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絞首台の街、安楽死の少女  作者: 東雲佑
第一章 絞首台の街
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■5 その朝もカッコーは絞首台を見つめていた。

 どうしようもない悲しみが心を引き裂いた。圧倒的な孤独と喪失感の前で途方に暮れ、どこへも持って行きようのない後悔に一人のたうちまわった。

 人々は一貫してカッコーに同情的だった。事情を知った誰もが慰めの言葉を携えて彼を見舞い、同時に彼のことを素晴らしい兄と賞賛した。

 人々の言葉は芯から心のこもったものだった。


 しかし、そうした慰めの数々は逆にカッコーを追いつめるばかりだった。

 彼は鍵をかけて家に閉じこもり、すべてを誤魔化すかのように声をあげて泣きわめいた。


 涙が枯れたのは弟の死から九日後のことだった。

 九日目の朝、カッコーは目覚めるとともに戸口へ向かい、部屋着のまま家を出た。

 彼の足は自然と街の中心に向かっていた。



 その朝は第三火曜日だった。絞首台の周囲には既に奉仕活動の老人たちが集まっていた。

 カッコーは少し離れた芝生の上に腰を下ろして遠巻きに彼らの活動を眺めた。老人たちの中には弟が死んだ朝に出逢ったあの散歩者の姿もあった。

 なんであの老人たちはあんなに楽しそうなんだろう、とカッコーは思った。それはつい幾日か前に俺が弟を殺したもので、なのになんであんたらはそんなに平然とそれを扱うんだ?

 どうしてみんな俺を慰めようとする? 俺をいたわるくらいなら、その分すこしでも弟の死を悲しんでくれればいいのに。どうして俺にばかり。みんな、どうして弟の死に目を向けてくれないんだ。

 カッコーには理解出来ないことばかりだった。彼はほかにも多くの疑問を抱えていた。たとえば弟が死を望んだ理由。それに、いくら訊いてもそれを教えてくれなかった理由。最期に兄の手で死にたいと願った、その心境とはいかなるものだったのか。


 そして、頼まれるままに弟の死に荷担したこの俺の是非は?


 しかしそれらは、今となっては永久に答えの得られぬことばかりに思えた。


 老人たちが引きあげていくと、彼は絞首台の前まで歩いていきしげしげとそれを眺めた。

 すべてが弟の死んだ夜と同じだった。唯一ロープだけが真新しいものに取り替えられていた。

 俺も死んじまおうかな、とカッコーはロープを手に取りながら考えた。


 しかし結局、彼は踏み台に片足を乗せることすらなかった。

 代わりに彼が行ったのは、広場から最も近いアパートの管理人室を訪ね、空き部屋を片っ端から見て回ることだった。

 そして三階の一室を選ぶと無理を言ってその日のうちに賃貸契約を整えてしまった。

 翌日、カッコーはたった一人ですべての引っ越し作業を済ませた。手間はかからなかった。弟と暮らしていた家を家財道具ごと引き払うと、そのまま、彼はほとんど身一つで移り住んだ。

 新しい部屋で彼がまずしたのは、窓を開け放ち、絞首台をその視野に収めることだった。



 そうすることにどんな意味があったのか、カッコー自身にもわからなかった。けれどもそれは確かに必要なことだった。

 そうしなければ俺はこのさき生きてはいけないだろうと彼は思った。

 そうしなければ俺はこのさき死ぬことすら出来ないだろうと彼は思った。


 その日を境に、彼の人生のすべては窓辺へと集約されていった。

 自分が絞首台に対していかなる感情を抱いているのか、カッコーにはそれすら判然としなかった。けれどももはや絞首台より他には彼が関心を抱けるものなど何一つ存在しなかった。

 街に暮らす他の人々とはまったく異なった形で、そしてともすれば他の誰よりも深刻に、カッコーもまた絞首台に依存していた。


 いつかは俺はもう一度、今度は自分のためにあの絞首台を使うことになるだろうな。


 そんな漠然とした予感を胸に抱きながら、彼は一年を生き二年を生きた。

 毎月第三火曜日には老人たちが絞首台に奉仕する姿を見物した。トランジスタラジオは永久に一つの周波数だけを拾い続け、バス停にバスがやってくることは一度もなかった。

 そして時折、真夜中に絶望した誰かがやってきては、絞首台を使って自分と自分の苦悩とをこの世から精算した。

 カッコーは最も身近な場所からその様子を眺め続けた。


 しかし、それでもカッコーは三度目の冬を迎えた。

 答えの得られぬ悩みに雁字搦めにされ、自らの正当性すらも疑いながら、その朝もカッコーは絞首台を見つめていた。

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