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絞首台の街、安楽死の少女  作者: 東雲佑
第一章 絞首台の街
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■4 ちゃんと一度で死なせてね

 もちろんそこには大きな葛藤があった。

 倫理的な忌避感、生理的な嫌悪感、そして純粋な感情としての畏れと悲しみがあった。

 しかし結局、カッコーは弟の最後の頼みを聞き入れることにした。『ダメならそれで構わない』という弟の言葉がカッコーの首を縦にさせた。

 俺が拒んだらこいつは一人で死んで行くんだろうな、と彼は思ったのだった。ともすれば、最後の最後に兄に見放されたという悲しみを抱きながら。

 弟が何故死を決意したのか、結局それは教えてもらえなかった。

 しかしそれがなんであるにせよ、カッコーはもうこれ以上なにも弟に背負わせたくなかった。


 三日後の深夜に兄弟は絞首台広場を訪れた。弟がその日と決めたのは土曜日だったが、真夜中を過ぎて日付は既に日曜日へと変わっていた。

 広場に着いて兄弟がまず最初に取りかかったのは、絞首台からロープをほどきとる事だった。結び目は固く、園内灯の明かりだけを頼りに行うこの作業にはひどく難航した。

 それでもどうにかほどき終えると、弟はロープを放り投げて絞首台の上に渡した。

 絞首台を頂点にロープは山なりの線を描き、その両端を二人はそれぞれに手にした。首を通す縄輪の作られた側を弟が、反対側をカッコーが。


「なにからなにまで任せきっちゃおうなんて思ってないから、心配しないで」


 弟は笑いながら言った。


「ロープ一本で人間一人を吊り上げるっていうのは結構な重労働だろうからね。だから、途中までは普通のやり方でやろうと思う。僕が踏み台に乗って自分でそれを蹴る。そしたら兄さんは僕の身体が地面についちゃわないようしっかりとロープを引っ張ってて欲しいんだ」


 わかった、とカッコーは答えた。

 弟は満足げな笑みで返すと縄輪に頭をくぐらせ、途中で外れてしまわないようしっかりと耳の後ろまでそれを通した。

 いよいよなんだな、とカッコーは思った。動悸が跳ね上がるのが自分でもわかった。

 これからこいつは死のうとしている。これから俺は、こいつを、弟を殺さなければならない。


 俺は、お前を。……俺は、でも、お前に――だから。


 ちきしょう、とカッコーは声に出さずに呟いた。ちきしょう。


「あのさ、兄さん」


 弟がカッコーに向き直って言った。


「なんだ?」と、ほとんど食い入るような調子でカッコーは返事をした。この期に及んで弟が決意を翻すことを期待している――そんな自分に彼は気付かされた。

 しかし弟からの返答は、そうした兄の期待を粉々に打ち砕くものだった。


「うん、あのさ。もしかしたら吊り上げられた僕が苦しくてジタバタ暴れるかもしれないけど、だからといって途中で力を緩めたりは絶対にしないで欲しいんだ。失敗してもう一度最初からやり直しになるのは、そっちのほうがよっぽど苦しいだろうからね」


 ちゃんと一度で死なせてね、と冗談めかした口調で弟は言った。

 そして踏み台の位地を調節し、ゆっくりと片足ずつその上に乗った。

 不安も緊張も感じさせぬ動作で、彼はあっけなく死への一歩を踏み出したのだった。


「それじゃあ、これで本当にお別れだ」


 弟は言った。


「まず合図をして、それから蹴る。重たいだろうけどそれほど長くはかからないと思うから、よろしくね」


 カッコーはなにも言葉を返せなかった。弟を直視することすら出来なかった。

 彼は視線を足元に落としたまま、自分の掌に幾重にもロープを巻き付けて握りしめた。

 そして来るべきその瞬間に備えてすべての意識を集中させた。ほかにはなにも考えることが出来なかった。


 俯いたままの彼の耳に、ほんの少しだけ名残を惜しむような調子を帯びた弟の声が届いた。


「僕ね、兄さんの弟で良かったって、本心からそう思ってる。

 ……それじゃ、『さよなら』」


 それが合図だったのだとカッコーが気付いたのとほぼ同時に、ロープにぐんと負荷が加わった。危うく引きずられかけたが、カッコーはロープを背負うような姿勢をつくりなんとか踏みとどまった。

 ロープを通じて弟が藻掻いているのが伝わってきた。まるで魚のようだ、と彼は思った。思った瞬間に耐え難い嘔吐感が込みあげてきた。

 目を回した時のように世界が回っていた。ロープが手に食い込んでひどく痛かった。心はもっと痛かった。


 やがて伝わってくる振動が完全に途絶えても、カッコーはそのままいつまでもロープを引っ張り続けていた。手の力を弛めることが彼には出来なかった。

「ちゃんと一度で死なせてね」という弟の言葉が彼を支配していた。まだ死んでないかもしれない、まだ。

 ロープから力は抜かないまま、彼はそれまで堪えて続けていた涙を滂沱と解きはなっていた。


 明け方になって一人の老人が広場にやってきた。

 毎朝この時間にこの場所を歩いている散歩者だった。その老人はカッコーを一目見た瞬間に小さく悲鳴をあげてその場を後にした。

 カッコーはまだロープから手を離していなかったのだ。

 老人は程なくして同年配の仲間数人を連れて再び現れた。


 老人たちに諭されて、カッコーはようやくロープから手を離した。ようやく彼は弟を地面に降ろしてやることが出来たのだ。

 カッコーは老人たちにすべてを打ち明け、自分を警察局に引き渡してくれるよう懇願した。俺は人殺しだ、と彼は主張した。

 しかし老人たちはこれに取り合わず、めいめいに弟の冥福を祈ったあとで、すりむいて血だらけになった手に丁寧に包帯を巻いてくれた。


「なんとも、君は大変に立派な男ではないかね」

 老人たちの一人が言った。最初にカッコーを見出した散歩者だった。

「君のような兄に恵まれ、弟さんもさぞかし幸せだったろう」


 その場にいた全員が口々に同意を述べた。

 しばらくしてやってきた若い巡査もまた、事情を説明されるとともにカッコーに多大な同情を示した。そして老人たちとまったく同様の意見を口にした。

「どうかご自分を責めないでください」と彼はカッコーをいたわった。



 ともかくこのようにしてカッコーは弟を失った。

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