『芸文類聚』
『芸文類聚/欧陽詢ら撰』
六二四年(唐代初期)成立。
唐の高祖(=王朝を始めた最初の天子)李淵の勅命で、(初唐の三大家の一である)欧陽詢らによって編纂された、「漢詩作成のための用語集」的な位置づけの類書(=百科事典)。全百巻。引用元の書籍は千四百以上にのぼり、現在散逸した書の文例を見得るという点でも大変貴重であると言える。
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『日本書紀』の漢文潤色の隠れエースと言えばこれ。「類書」という検索に便利な形式であったことから、いわゆるあんちょこ的役割を担う存在として大いに活用されていた模様。特に雄略紀(巻十四)から欽明紀(巻十九)辺りまでの潤色ぶりは圧巻。そのため日本へは、遅くとも『日本書紀』成立直前の遣唐使帰朝(七一八年)までには伝来していたものと思われます。七五一年成立の『懐風藻』でも活躍が見られるとかで、本書が上代文学に及ぼした影響は多大だったんだとか。
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さて。
神代巻における『芸文類聚』からの拝借部分だと確実に言えるのは、やはり、『三五暦紀/歴記/歴紀』の項でも紹介した部分です。
『芸文類聚・巻一・天部上・天』
『芸文類聚』の「天の部」は全二巻。そのうち『三五暦紀』が引用されている「天について」は巻一の初っ端。『周易』を筆頭に、『尚書』に『礼記』に『論語』に『老子』、『荘子』に『呂氏春秋』に『説苑』と錚々たる引用元が並ぶ中、二十三番目に引用されているのが『徐整(の手になる)三五暦紀』です。ミカタ氏がそのお力を拝借したのは「天地は鶏卵のように混沌としていて、その中から神聖な存在(この場合は盤古ちゃん)が生まれた」という文言と思想です。
『徐整(の手になる)三五暦紀』に曰うことには「天地混沌如雞子、盤古生其中、萬八千歳、天地開闢、陽清為天、陰濁為地、盤古在其中」というのが『芸文類聚』における『三五暦紀』の原文。盤古を神聖に置き換えれば、日本書紀本文神話が始まります。天地開闢まで別に一万八千年待ったりしませんけどね。