『三五「暦紀/歴記/歴紀」』
『三五「暦紀/歴記/歴紀」/徐整』
三世紀頃(三国時代)成立。
呉の太常・徐整撰の神話集。
原文は散佚したため全貌は不明(ただし、天地開闢の巨神・盤古とセットで語られることが多い)。唐代初期成立の類書『芸文類聚』、宋代初期成立の類書『太平御覧』辺りに細々と引用されている内容から在りし日のお姿を妄想したり、はたまた孫引きしたりするしかない模様。
ちなみに『芸文類聚』では一貫して『三五「暦紀」』表記、『太平御覧』では『三五「歴記」』表記だったり『三五「歴紀」』表記だったりするのが切ない(それとも本当に3種存在したのかしらん?)。引用先の『芸文類聚』や『太平御覧』の方が扱いが良いのがもっと切ない。
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『日本書紀』の冒頭に配された神代巻の、さらに冒頭である第一段の、そのまた冒頭を飾る文言と思想に対して『淮南子』以上の影響を与えながら、今ひとつ扱いの悪い(影の薄い?)不遇な漢籍と言えばこれ。
原文散逸しちゃったしー、何するにも孫引きするしかないしー(散佚した引用元の書名を挙げながら、本文は引用先から、となると、どうしてもそうなっちゃいますよねー)、ぶっちゃけタイトルの表記からしてままならないしー、という三重苦はさすがに如何ともしがたかったんでしょうが、だからといって該当部分の種本として引用先の『芸文類聚』の方を大きく取り上げなくてもいいんじゃないかという気がします。勿論、その存在は無視できませんけれどもね。
いくら『芸文類聚』がいわゆるあんちょこ的役割を担う存在だったとしても、はたまた孫引きの謗りを免れたいという下心だったとしても、実際には『芸文類聚』にはまるで記載がなく、『日本書紀』成立以降の九八四年に完成した『太平御覧』所引にしかない文言もある訳で、しかし(当然のことながら)『太平御覧』が種本だとは誰も言わない訳で、だとしたらやっぱりミカタ氏は本家本元の『三五暦紀/歴記/歴紀』そのもののお力を拝借したのではないか(はたまた『芸文類聚』以外の、今となっては散佚してしまった別の漢籍からのお力拝借ではないか)と思いたい訳ですよ。
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さて。
神代巻における『三五暦紀/歴記/歴紀』からの拝借部分は、天地開闢の創造神である巨人・盤古の誕生前後。「日本書紀的創造神のモデルは盤古ちゃん」とかぶち上げちゃっても許されるかも知れません。
『芸文類聚・巻一・天部上・天』
『芸文類聚』の「天の部」は全二巻。そのうち『三五暦紀』が引用されている「天について」は巻一の初っ端。『周易』を筆頭に、『尚書』に『礼記』に『論語』に『老子』、『荘子』に『呂氏春秋』に『説苑』と錚々たる引用元が並ぶ中、二十三番目に引用されているのが『徐整(の手になる)三五暦紀』です。ミカタ氏がそのお力を拝借したのは「天地は鶏卵のように混沌としていて、その中から神聖な存在(この場合は盤古ちゃん)が生まれた」という文言と思想です。
『徐整(の手になる)三五暦紀』に曰うことには「天地混沌如雞子、盤古生其中、萬八千歳、天地開闢、陽清為天、陰濁為地、盤古在其中」というのが『芸文類聚』における『三五暦紀』の原文。盤古を神聖に置き換えれば、日本書紀本文神話が始まります。天地開闢まで別に一万八千年待ったりしませんけどね。
ちなみに『太平御覧』の巻二(天部二・天部下)もほぼ同じ文章です。もしかしたらこの部分は『芸文類聚』からの孫引きなのかもしれません。そもそも『太平御覧』自体、孫引きの多い本らしいですし。
『太平御覧・天部一・元気』
『太平御覧』の「天の部」は全十五巻。かなりの気合です。そのうち『三五歴記』が引用されている「元気」はこれまた巻一の初っ端。今回は『淮南子』をも退けて堂々第一番目に引用されています。ミカタ氏が特にそのお力を拝借したと言えるのは、天地が別れる前の鶏卵のような混沌から「自然の気が集まって何かが萌し始めた」という文言と思想です。
『三五歴記』に言うことには「未有天地之時、混沌状如雞子、溟涬始牙」。さらには「清輕者上為天、濁重者下為地」という部分も参考になったはずです。もしかしたら天地創造と盤古神話とは別立てしてあったのかもしれません。
ちなみに同じ『太平御覧』の巻七十八(皇王部三・天皇)にも、『徐整(の手になる)三五歴記』として、「元気」よりは短いものの、ほとんど同じ文章が引かれています。
いずれにせよ「溟涬始牙」の部分は『太平御覧』所引の『(徐整)三五歴記』にしかない訳で、もしもミカタ氏があんちょこ『芸文類聚』だけを片手に本文を潤色していたのだとしたら、「溟涬而含牙」の部分をどう説明するのか、ということになってくるのではないかと思います。
ミカちゃんが自らひねり出した偶然の一致、奇跡の産物とか言っときます?
上記のごとく息巻いておきながら、何気なく読んでいた某古典文学全集の『日本書紀』にて、「溟涬始牙(芸文類聚・帝王部)」なる注釈を見つけてしまいまして。
慌てて『芸文類聚』と『太平御覧』に当たってみましたが、『芸文類聚・巻十一・帝王部一・天皇氏』所引の『三五暦紀』本文は「徐整三五暦紀云、歳起攝提、元氣肇、有神靈一人、有十三頭、號天皇」だけで全部のはず。『太平御覧・巻七十八・皇王部三・天皇』所引の方が「徐整三五歴記曰、溟涬始芽、濛鴻滋萌、歳起攝提、元氣肇啓、有神靈人十、二頭號曰天皇」なので、やはり本文の主張で矛盾はないかと思います。
え、じゃあ注釈は? ……気の迷い?