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日本書紀本文神話を愉しむ  作者: 村咲 春帆
漢籍篇
1/19

『淮南子』

淮南子(えなんじ)劉安(りゅうあん)


 紀元前百四十年頃(前漢武帝の頃)成立。


 前漢の宗室(=皇族)淮南(わいなん)王・劉安(りゅうあん)が編纂させた(劉安については『史記』列伝の第五十八「淮南衡山列伝」も参照されたし)、『鴻烈(こうれつ)(内二十一篇、外三十三篇)』のうち、現在伝わる「内」部分の称。


 老荘思想を基調に天人相関説や陰陽五行説など、諸子百家の思想が入り乱れているため、一般的には雑家の書に分類される(『淮南子』への理解を深めるにあたっては『淮南子の思想 - 老荘的世界/金谷治(講談社学術文庫)』も参照されたし)。



 『日本書紀』の漢文潤色と聞いて真っ先に挙がる漢籍と言えばこれでしょう。


 書紀の冒頭に配された神代巻の、さらに冒頭である第一段の、そのまた冒頭を飾る文言と思想をお借りしたからだと思いますが、数ある漢籍の中からわざわざ『淮南子』が選ばれたのは、もしかしたら、神代巻を書いたと目される山田史三方(やまだのふひとみかた)氏(「三方(みかた))の表記は「御方(みかた)」あるいは「御形(みかた)」とも)の愛読書だったのかもしれません(ちなみに山田史三方とは「史(=文筆業従事者)である山田さん家の三方君」という意味です。固有名詞であることを敢えて取っ払って「文筆家山田ミカタ」とでも表記しておいた方が耳や目に馴染むでしょうか)。



 さて。

 神代巻における『淮南子』からの拝借部分は巻三(と二もちょっぴり)ですが、「日本書紀的陰陽二元論の聖書と言っても過言ではない」とかぶち上げちゃっても許されるかも知れません。


『巻二・俶真訓(しゅくしんくん)

 基本的には「有」とはどういうことか、「無」とはどういうことか、について語られた巻です。ミカタ氏がそのお力を拝借したのは比較的後半の「無の無の無」について語られたくだり。「天地未剖、陰陽未判」の部分です。「未判」を「不分」に変えてはありますが、ここまできたら正直必要のない改変のような気もします。


『巻三・天文訓(てんもんくん)

 巻名に相応しく、天地創造、天地開闢について語られた巻です。それだけに、ここでもミカタ氏のお力拝借は冴え渡ります。宇宙について語られた部分はばっさりと切りつつも、「清陽者薄靡而為天、重濁者凝滯而為地。清妙之合專易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定」はがっつり拝借。ここは「ぶっちゃけ神が生まれる前まではほぼ『淮南子』じゃん!」とツッコむところですよ、皆さん。

 ちなみに「北斗の神には雌雄がある(北斗之神有雌雄)」だの「男が左回り、女が右回り(雄左行、雌右行)」だのと定義しているのも、この「天文訓」だったりします。



 こういう流れだからこそ、神が登場し、本編が始まった途端に、陰陽二元論が吹っ飛んでしまう訳ですね。

 もうちょっと取り繕おうよ、ミカちゃん……。

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