まほーこっとーだん。1
私の名前は佐藤美佐子。25歳のただのOLである。
そして、今、すごく急いでいた。
今日は重要な会議が8時半に入っており、いつもより30分早く家を出なければならなかった。
たったこれだけの事だけれど、毎日欠かさず7時に起きている人にしてみれば最悪だった。
今日の朝、私は7時に目が覚めた。6時半にセットしておいたはずの目覚ましはいつの間にか止まっていて、電車が発車するまであと10分である。
着替えやら歯磨きやらメイクやらに5分。朝ご飯は抜きにしても、5分で駅に行くのはとてもきつい。だけど、私は諦めない。絶対にあの電車に乗ってやる!
という決意のもと、そんなこんなで駅が見えてきて、慌てて腕時計を見た。7時8分。もしかしたら間に合うかもしれない。その時。
プルルルル。
ケータイの着信音が響いて、慌てて私はバッグをあさった。もしかしたら重要な連絡かもしれない。
例えば、会議の開始時間が遅れる、とか。
だが、残念なことに、中学校からの親友である雨宮璃々からだった。璃々と会社は一緒だけど、彼女は事務なので関係がない、はずだと、思う。……たぶん。
「はい、もしもし。璃々、どうしたの?」
「え、大崎線20分ぐらい動いてないらしいけど。メールしたのに見ないし……。大丈夫なの?」
思ってもみない朗報だった。ラッキー!!
「あ、うん。ってことはさぁ……。会議、ちょっと遅れても大丈夫ってこと?」
向こうで苦笑したような笑い声が聞こえた。
「ああ、うん。大丈夫。なんだ、まだ乗ってなかったのか。あ、忘れずに遅延証明書をもらうように」
「はーい」
じゃあね、と電話が切られた。事務なのになぜ知っているのか。事務だからか。
それにしても、天が味方するとはこういう事なんだろうか。私って、結構運がいいのかもしれない。
何気なく一歩踏み出して、歩く。なんていうか、力が湧いてきた気がする。
と、突然、
ずりっ。
嫌な音がして、私は頭から地面にぶつかっていった。
「あいたぁ……」
運の悪いことに、転んでしまった。25歳になったのに、情けない。急いで立ち上がると、何かが違った。
景色である。
さっきまではふつうの駅前の商店街だったはずだが、なぜか目の前には巨大な城があった。
私の立っているところはなだらかな丘のてっぺんで、その丘は城を囲むような形になっていた。後ろを振り返ってみると、この丘の上には一本、木が植えてあり、丘の向こうには巨大な森が広がっているようだった。
「あ、お姉さん。ここで、何をしているの?」
ぎょっとして声のした方を向くと、抹茶色の髪の女の子が木の幹の裏から顔を出していた。目は深緑色で、顔はとても愛らしい。恐ろしいほどにまっすぐな髪が、肩の少し上で切られている。
でも、どこかで見たことがある顔だった。その顔は……
「璃々?」
きょとん、とびっくりしたように女の子がこっちを見た。
「お姉さんは、美佐子さん?夢の中で、お姉さんに似た人を見たよ。僕は女だったけど、璃々って名前で……」
「え……?い、今、なんて?」
衝撃的な言葉をさらりと言った女の子(?)は、可愛らしく首をかしげた。
「え、だから、夢の中で、お姉さんに似た人を見たって……」
「違うっ!それの後!!」
突然、女の子(?)は、笑い出した。
「ああ、やっぱりか。お姉さん、僕の事、女だと思ったでしょ」
「う、うん……」
「みんな間違えるんだよね。なんでかな」
どう考えても外見の問題だと思う。それにしても、見れば見るほど璃々に似ている。目鼻立ちも、仕草も、そっくりそのままだといってもいいくらいだ。
璃々は目立つ可愛さではなかったけれど、十分に可愛かった。それが男となって出てきたのだ。
今流行の男の娘っていうやつだろうか。
「そういえば、お姉さん、どこから入ってきたの?」
無邪気な笑顔で聞いてきた。私がショタコンだったらもう死んでたかもしれないぐらいの可愛さである。
「え、えーと……。あっち」
適当に背後の森を指す。すると、男の娘……いや、男の子はふーんと頷いてから、
「確か衛兵がいたはずなんだけど。全部倒せるなんてすごいね!!」
「運が良かっただけだよ。あ、ねえ、そうだ、君、名前はなんていうの?」
「僕の名前は、イェンスだよ。それより、お城の中には入らないの?」
城の中になんて入ったら、不法侵入者だということがばれてしまう。なので、その魅力的な提案はお断りすることにした。
「私、忙しいからここから早く帰らないといけないの。帰り道はどっち?」
イェンス君は、にっこり笑って城の反対側を指さした。
「あっちに正門があるよ。でも、秘密なんだけどね……」
イェンス君曰く、正門の左の方に生垣があり、一部に気づきにくいけれど隙間があり、そこを通れば道に出られるという。ポイントは音を立てないようにすること。音を立てると周りに筒抜けなので、ばれてしまうらしい。
彼は一緒に行きたいとだだをこねたけど、付いてこられても困るだけなので断る方法を必死に考え始めた私は、いつの間にか自分がこのファンタジーな世界が本当にある世界だと当たり前のように思っている自分がいた事に気が付いた。もしかしたら頭の打ち所が悪くて、幻覚を見ているだけかもしれないよ、と思おうとしても駄目だった。野生の勘的な何かがこれは現実だといっているからである。確か、こんな現象を異世界トリップ、というんだったか。
私が黙っているからか、心配そうな顔をして覗き込んでくるイェンス君が言った。
「お姉さん、大丈夫?なんか、具合が悪そうだよ」
「大丈夫。じゃあ、生垣のところまで一緒に来てくれる?」
そう提案すると、イェンス君は嬉しそうに笑った。
歩いて10分ほどたった頃、突然イェンス君が立ち止り、くるりと振り返ったので私は慌てて避けた。
「ここだよ」
目の前には、何の変哲もないただの生垣があるだけである。近くには掘立小屋のようなものがあったけど、あんまり関係がなさそうだ。薪が大量に置かれているけれど、暖炉にでも使うんだろうか。
「はら、早く早く。見つかっちゃうよ!」
私は見納めにと思ってイェンス君の姿をじっくり見た。白いシャツに、グレーのズボンとお揃いのベスト。やけに和な感じのする抹茶色の髪。でもミスマッチというわけでもなく、巨大な城を背景にしても全く違和感はない。それと、深緑色の目。なかなか好きな色だ。
「じゃあね、イェンス君。案内してくれてありがとう」
私は笑顔でイェンス君に礼を言い、わずかな生垣の隙間に体を滑りこませた。
生垣の中はなかなか明るい所だった。さすがあの城を囲っているだけある。関係ない気もするけど。
けれど、残念なことに音をたてないように歩くのは難しかった。生垣の中は空洞になっているけど、四方から枝が飛び出しているので服がかすれる。そして、その時になって、自分の着ている服が通勤服と違うことに気づいた。気づかなかった自分に呆れるほどだ。
私が着ている服は水色の長袖のワンピースに、エプロンのような白い前掛けだった。センスは悪くない
ことにホッとした。
でも、もうこの空間から出なければならない。葉っぱの間から道が見えている。幸い人通りはなさそうだったけど、不安になる。出られるところを見られたら、きっと不審者扱いされてイェンス君にまで迷惑をかけてしまう。
私は、深呼吸すると、外に一歩踏み出した。
それからきっと30分ぐらいたった頃、ついに街に出た。無駄に活気づいている。みんな楽しそうだ。
そして服もあたしと同じような感じなのでホッとする。
「あ、ねえ、そこのあなた?」
後ろから声がした。振り向くと、金髪の背の低い少年が立っていた。ベレー帽をかぶり、エプロンをかけていて、手にはパレットと筆を持っていた。あからさまな芸術家ファッション。
まさか、変な絵を押し付けられるのかも。困った。
「あ、私、お金持ってないんで・・・・」
変なことに巻き込まれないようにと思っての発言だったけど、少年は目を丸くしていた。それを見て、失言だったことを悟る。
「違います、違いますよ。あなた、インタリスの魔法骨董商団って知ってますか?」
いんたりすのまほうこっとーだん。何を言ってるんだろうか、この人は。
そして、また私は悟る。これはそのまほーこっとーだんとかそんな名前のところに連れていかれ、変なものを売りつけられるか、さもなくば商品を壊させて一生ただ働き、とかそんな感じの目的だろう、と。
いや、でも違うか。さっきお金を持ってないって言ったら違うって言ってたし……。
そんな事を考えていると、焦れったそうに少年が言った。
「あの、だから、あなたは魔法使いなんですか?」
「はぁ?」
まほーつかい。ファンタジーな世界じゃあるまいし。あ、違った。ほんとにファンタジーな世界だった。
でも、私は呪文も知らないし、杖もない。
「ほんとはすごい魔法使いだった、りしま、せ、ん」
「え?」
語尾の方が何故か途切れ途切れになっていて聞き取りにくかったので、ついつい私は聞き返した。でも、どうやら相手の視線は私の後ろに向いているらしい。私は後ろを振り向いた。
「ヴァレン?」
「ひ、ひい!?」
金髪の背の高い女の人が立っていた。後ろで素っ頓狂な叫び声、たぶん芸術家が駆け出した音がした。
目の前の女の人はいきなり表情を和らげると、さっきとは違う穏やかな声で言った。
「はじめまして。私はマデリエネと言います。あなたの名前は?」
「み、美佐……子です」
「ミーシャ、さん?」
子があまりにも小さくて聞こえていなかったらしい。
みさ、とははっきり言ったつもりだったけれど、ミーシャになってしまった。
まあ、ミーシャでもいいか。洋風だし。
「はい、そうです。ミーシャと言います。それで、何かご用でしょうか」
「インタリスの魔法骨董商団って知ってるかしら?」
私より背が高いマデリエネさんが、目を輝かせて聞いてきた。
なんで私にそんな事を聞くのか理解できないけど、きっとここで知らない、とかいうと騙されて金を払わさせられるかもしれない。
「はい。知ってます」
私が自信をもって(たぶん)そう答えると、マデリエネさんがさらに目を輝かせていった。
「じゃあ、あなた、商団に入らない?」
そ、そう来たか。しかし私は騙されない。異世界に来た挙句に一生ただ働きさせられるとか、そんなことは起こらない……はずだ。
私が口を開きかけると、マデリエネさんは早口で説明を始めた。
「さっきの子はヴァレンというのだけど、魔法使いを見分けられる力を持っているのよ。だからスカウト担当なのね。あ、私は物の製作者の名前を知ることができる力を持っているの。大抵は品の鑑定をしているわ。そして、ヴァレンは魔力が大きい人じゃないと声をかけないの。ちょうど、うち、魔法使いがいなくなったところだから。だから、おねがいね!」
私は目の前が真っ暗になった気がした。