今度こそ彼にハッピーエンドを 3
以前投稿した短編2作品の続編となっております。そちらからお読み頂きますようお願い致します。
彼に会える日は、毎回とても特別な日だった。
もう、思い出せないくらい前から、好きで、好きで堪らなくて。
制止の声を振り切って、馬車から転げるように飛び降りて。
外で待ってくれている彼の前まで駆けていく。
その顔を向けてほしくて、その瞳に私を写してほしくて、そうして、笑ってくれたらもう他に何もいらなかった。
ただただ、おつとめを繰り返して、時たま彼に会うというご褒美をもらう。
そんな、当たり前に与えられてた毎日が、当たり前に続いていくと信じていた。
変わらないものなんて、何一つないのに。
「……………夢見、わる」
目頭が不自然に熱くて、園部 凛はぼんやりとしたまま無造作に顔をぬぐった。手のひらには微かな水滴が付いていて凛は溜息をはく。
「最近、本当に夢見悪すぎ」
タオルケットを剥ぎ取る。何となく干からびた感じがして、水を取ろうと手を伸ばして、うっかり鏡に写った自分を見た。見てしまった。
立派なクマが2匹。
しかも、瞼ははれぼったい。
夏真っ盛りのはずなのに、顔はむしろ白くていかにも不健康そう。
「ちゃんと、寝てるんだけどなぁ……」
鏡はとりあえず倒して置いておく。
時間は9時35分。
のろのろと水を流し込んで、引きずるように体をベッドから下ろす。
黙々と朝の準備を進める。クマと目のはれを何とか誤魔化せば、鏡の中には何と無く元気がなさそうな、でも普通の女子高生。
じりじりと照りつける太陽に反射的に回れ右をしたくなる心を叱りつけて、一歩踏み出す。
流石に今日こそ文化祭の準備に参加しないと、まずい。そろそろさぼるにしても風当たりが強くなってくる頃だろう。
庭先の扉を閉めて、歩き出す。
隣に誰もいなくて、少し胸が苦しくなったけれど、無理やり飲み込んで学校を目指す。
「……大丈夫、いつかは、これが普通になるよ。」
変わらないものなんて何もないと、凛は知っている。
「じゃあ凛、これよろしくねっ」
凛の目の前には大量の紙。
周りを見てみれば、それなりに整頓されていたはずの教室は、布やらベニヤ板やらが散乱して足の踏み場に困るような状態になっている。
正に文化祭の準備中、といった様相だ。
当の文化祭では、凛のクラスでは定番といえば定番な喫茶店をすることになっている。流行りのメイド喫茶にするというツワモノな意見もあったものの、予算とか、意見の不一致等々によって何故か和風喫茶になった。
大正ロマンをイメージして、袴姿にエプロンをするということで落ち着いた。いわく、和装ならサイズの制限が少ない、衣装は各自持ち寄ればレンタル料がかからない、作るのはエプロンとヘッドセットだけでOK、ということらしい。
文化祭の準備期間とはいえ夏休みでもあるため、集まっている生徒はそう多くはない。
凛は割り当てられたメニューを作る、という仕事を黙々とはじめた。
悲しくも、エプロンを作るだとか、宣伝用のポスターを作るだとか、はたまたベニヤ板を削って内装を作るだとか、そんなことは得意ではないどころか足を引っ張る自信があったので、なんとも絶妙な分配と言わざるを得ない。
切って貼ってを繰り返していけば、それなりに形になってくる。割といい和紙を使っているため、見た目は立派だ。
去年は大変だったのに今年はずいぶん楽だな、と凛は考える。
去年は始めての文化祭で実行委員なんかになったため、結局夏休みはほぼ毎日学校にくる羽目になった。
文化祭まで優とバタバタし続けたことを思い出して、ため息がこぼれた。
「………いきぐるしい」
メニューをあらかた作り終えた頃にはとっくにお昼の時間を超えていた。
昼食は各々適当にとることになっていて、凛も友人に誘われはしたが、特にお腹が空いていなかったので断っていた。
とりあえずやることは終わったし早く帰ろう、と凛が教室を出ようとした時、入れ違いで会った、会ってしまった。
「あれ、リン。来てたの?」
柔らかい、懐かしい声。会わなかったのなんてせいぜい一週間くらいなのに、涙が出そうなくらい懐かしくて。
「……ユウ、今日は文化祭の特別委員会じゃなかった?」
何でもないような声を出そうと思ったら、思ったよりも平坦な声が出て、凛自身が驚いた。
「よく知ってたね。今、終わったとこ。」
優はちょっと驚いたように眉をあげて、それからにっこりと凛に向かって笑った。
「特別委員会、夏休みにやるんだもん、めんどいよね。まぁ、でもうまくいったみたいで良かった。」
特別委員会があるって知ってたから今日来たんだよ、なんて言えないから、なんでもないように、いつも通りに言葉を返す。
「何とか希望通せたから、ほっとしてる。リンは何してたの?」
「メニュー作ってた。」
出来上がったメニューたちを指差す。
「また無難な感じの仕事だね。今年は指を縫ってなくて良かった。」
「……うるさい」
去年の文化祭で凛がミシンを使っている最中に、何が起きたのか、指を縫ってしまった事件を思い出したらしい。あの時は大騒ぎになったのだ。
ちらり、と優を見る。後ろに人影はない。
「あの、さ。」
「ん?どうしたの、リン。」
ゆっくりと瞬きを一つ。
変わらないものなんて何もない。今日、会ってしまったのは良い機会だったのかもしれない。『わたし』に自覚させるための。
「橘サン、とうまくやってる?」
優の顔が疑問符を浮かべる。何か言われる前に、凛は続ける。
「ほら、委員決める時にわたしが推薦してそのまま決まっちゃったじゃん?今更だけど何か困ってないかなーって。」
なんて卑怯な聞き方。顔を崩したくなる気持ちを無視して、何でもないような心配顔を作る。
凛にとっては橘 綾菜が困ってないかなど二の次で、心配して見せるのも優からうまく言葉を引き出すための手段に過ぎない。
『わたし』の最優先はいつだってただ一人。
「なんだ、そんなこと気にしてたの?大丈夫、明るくて優しくて、いい子だよ。毎日頑張ってくれてるし、皆ともうまくやってるよ。」
いたい、痛い。でも、もう少し。
うまく唇を笑みの形にして、ちょっとだけイタズラっぽそうに覗き込む感じで。
「そ、わたしとじゃなくて良かったね。」
「まぁ、リンの不器用さは皆の想像を越えてたからね。リンとやるより仕事、捗って楽だよ。」
凛と同じ、悪戯っぽい笑顔。
よくある応酬。幼馴染だからこその気のおけないやり取り。
だから、こんなに胸が痛む凛のほうがおかしいのだ。
「優くーんっ」
長い髪をポニーテールにして、パタパタと駆け寄ってくる彼女。
頬を上気させて、今日もきらめくばかりに愛らしい。
「ごめんなさい、遅くなっちゃった。ごは………あっ、お話の途中だったんだね。」
凛の姿を見つけて彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。
「んーん、大丈夫。久しぶり、橘サン。」
「綾菜って呼んでくれると嬉しいな。えっと、凛ちゃん?、ごめんなさい、皆そう呼んでたから……」
凛と優が互いに名前呼び捨てで呼んでいるため、自然とクラスメイトも苗字でなく名前で呼んでいることが多い。ましてや同性ならばなおさらである。
「凛でいいよ。今からご飯?」
先ほど綾菜が言いかけた言葉を先回りしてふる。
「そうなの、委員会で遅くなっちゃって。優くん、お待たせしました。」
にっこり。先ほどの無理やり作った凛の笑みよりも、ずっと可愛らしい満面の笑顔。
「気にしないで。橘さん、そんなに走ってこなくても良かったのに。」
綾菜の額にうっすらと浮かんだ汗の玉を見て優が言う。
「ううん、私の用事で待ってもらってたら悪いもの。」
二人で笑いあう。
あぁ、これが『私』の見ていたものか。
「教室、作業でぐしゃぐしゃだから別のとこに行こうか。」
「うん、邪魔にならないようにしないと。どこがいいかな?」
「この時間だと…中庭のベンチがちょうど日蔭になってる頃だから、そこはどうかな。」
「賛成っ。涼しそう。」
これが『わたし』の望んでいたもの。
こんなにも近いのに、なんて遠い。
「リン、リン?」
「えっ、あぁ、ごめん。ぼうっとしてた。」
名前を呼ばれて見上げれば、少し心配そうな優。
「なんか、暑くてダメだよね。脳みそ溶けちゃう。…で、何?」
「メニューこんなに作ったってことはリンもご飯まだなんじゃないの?一緒に食べよ?」
凛は、二人に混ざって食事をする自分を想像した。
本末転倒もいいところだ。
「ご飯ならもう食べたよ。」
何より、笑いあう二人を見ていられるほど凛は強くなれない。
「ほら、早く行きなよ。じゃあ、またね。」
『わたし』の願いは段々と形になってきている。
間違わずに、背を向けて違う道を歩んでいける。
この道の先に、彼がいなくても、きっと大丈夫。
幸せをつかんだ彼が遠くで笑っているのを、時たま見れれば。
『わたし』もきっと幸せを感じられるはずだから。
だから、彼が彼女の名前を呼ばなかったことを、喜んだこの気持ちなんて消えてしまえばいいの。