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もしかして、わたくしがサルトル?

作者: とも
掲載日:2026/09/22

「哲学って何ぞや」


 すべては、その一言から始まった。


 いや。


 本当はもっと前から始まっていたのかもしれない。


「哲学とは、簡単に言えば『当たり前だと思っていることを、本当にそうなのかと疑うこと』ですわ」


「ほう」


「たとえば、善とは何か。悪とは何か。人間とは何か。自分とは何か」


「なるほど」


 男は腕を組んだ。


 そして、三秒ほど考えた。


「もしかして、わたくしがサルトル?」


「違いますわ!!!」


 女の怒声が部屋に響いた。


「ジャン=ポール・サルトル! フランスの哲学者! あなたではありませんわ!」


「でも、わたくしも人間の選択について考えておりますわ」


「だから何ですの!」


「イケメンですし」


「サルトル関係ねえですわ!!!」


 男は不満そうに頬を膨らませた。


 窓の外では、夕日が沈みかけていた。


 世界は赤い。


 部屋の中には二人しかいない。


 ――はずだった。


「ところで」


 男が言った。


「わたくし、霊を呼べますの」


「はい?」


「降霊術ですわ」


「急にジャンル変えるな!!!」


 女が机を叩く。


「さっきまで哲学の話してましたでしょう!?」


「哲学も霊も似たようなものでしょう」


「全国の哲学者と霊媒師に謝れ!!!」


「では、呼びますわ」


「聞け!!!」


 男は目を閉じた。


 両手を広げる。


「来たれ……」


「やめなさいって」


「ジャン=ポール……」


「まさか」


「サルトル!!!」


 しーん。


 何も起きない。


「…………」


「…………」


「来ませんわね」


「来るわけないでしょう」


「照れ屋さん」


「死者に何を求めてるんですの!」


 その瞬間だった。


 カタン。


 二人同時に振り返る。


 机の上に置かれていたペンが、床へ落ちていた。


「…………」


「…………」


 男の口角が上がった。


「来ましたわ」


「偶然です」


「サルトル先生ですわ!」


「ペン一本で断定するな!」


 カタン。


 今度は本が落ちた。


「…………」


「…………」


 電気が消えた。


「…………」


「ブレーカーですわ」


「あなたが現実的になるな!!!」


 暗闇。


 そして――。


『違う』


 声がした。


 二人は固まった。


「……今」


「聞こえましたわね」


『違う』


 再び声。


 男は震えながら尋ねる。


「サ、サルトル先生……?」


『違う』


「では、あなたは……」


『お前だ』


「はい?」


 沈黙。


『お前が、サルトルだ』


「…………」


「…………」


 男はゆっくり女を見る。


 女も男を見る。


 男は自分の両手を見た。


「もしかして……」


「やめろ」


「わたくしが……」


「言うな」


「サルトル?」


「だから違いますわ!!!」


 電気がついた。


 男が消えていた。


「……え?」


 椅子だけが残されている。


「ちょっと」


 返事はない。


「どこ行ったんですの?」


 静寂。


 女は立ち上がった。


 そして気づく。


 机の上に、一冊の本が置かれている。


 さっきまではなかった。


 恐る恐る開く。


 一ページ目。


 そこには、一文だけ書かれていた。


『人間は、自らの選択によって自らを作る』


「…………」


 女は息を呑んだ。


 まさか。


 本当に。


 あの男は――。


「にししし」


 背後から声がした。


「!?」


 振り返る。


 男がクローゼットから顔を出していた。


「これが狙いでしたわ」


「お前えええええええ!!!」


 女は本を投げつけた。


「痛っ!」


「何なんですの! 電気まで消して! 本まで用意して!」


「壮大な伏線回収ですわ」


「何の伏線ですの!」


 男は床に落ちた本を拾う。


 そして、不敵に笑った。


「わたくしがサルトルではないという伏線」


「最初から分かっとるわ!!!」


「にししし」


「その笑い方やめろ!」


 二人の声が部屋に響く。


 くだらない夜だった。


 哲学とは何か。


 人間とは何か。


 自分とは何か。


 結局、答えなんて出なかった。


 ただ一つ分かったことがある。


 人間には、自分の行動を選ぶ自由がある。


 そしてこの男は、その自由を――


 全力でくだらないことに使った。


「なあ」


「今度は何ですの」


「でもさ」


 男は少しだけ笑った。


「くだらないことを選べるのも、人間なんじゃない?」


 女は黙った。


 数秒考える。


「…………」


「…………」


「ちょっといいこと言ったみたいな顔するなあ!」


「にししし」


 その夜。


 二人が部屋を出たあと。


 誰もいないはずの机から、


 カタン。


 ペンが一本、落ちた。


 ――完――

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