表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

「宛先のない手紙」



 その街には、不思議な郵便局があった。


 差出人も、宛先も書かれていない手紙だけを扱う、小さな郵便局だ。そこでは、誰にも言えなかった言葉や、伝えそびれた想いが、ひっそりと封筒に入れられていた。


 ある日、一人の女性がやってきた。彼女は少しだけ疲れた顔で、けれどどこか迷っているような表情で、ペンを手に取り、白い紙にゆっくりと文字を綴った。


 「どうして、好きになると、うまく話せなくなるんだろう」


 書き終えると、彼女は小さく息を吐いた。

 封筒に入れて、宛先は書かない。


「これ、本当に届くんですか?」


 彼女がそう尋ねると、局員は穏やかに微笑んだ。


「ええ。“必要な人”に届きますよ」


「それって、誰なんですか?」


「そうですね……“まだ言葉にできていない人”です」


 女性は少しだけ考え込むようにして、それから小さく頷き、郵便局を後にした。


 


 数日後。


 彼女のもとに、一通の手紙が届いた。

 見た瞬間に、胸の奥が少しだけ騒ぐ。

 それは、青い蝋で封がされた、見慣れた生成りの封筒だった。

 

 少しだけ緊張しながら封を開けると、中には柔らかな筆跡で、こう書かれていた。

 

『ちゃんと話せないのは、臆病だからじゃないよ。大事にしたいから、言葉を選びすぎているだけ。きっとその人は、完璧な言葉なんて求めていない。少しくらい不器用でも、途切れながらでもいいから、あなたの声で聞きたいと思っているはずだよ。


 それにね。


 もし、その気持ちが届かなかったとしても、“好きになったあなた”は、ちゃんと素敵だよ。』


 


 女性は、その手紙をしばらく見つめていた。それから、ゆっくりと息を吐いて、小さく笑う。


「……ずるいな、こういうの」


 でも、その頬は少しだけ緩んでいた。


 


 次の日。

 彼女は、職場の休憩スペースでその男性と向かい合って座っていた。

 いつも通り、少しぎこちない空気。

 会話も途切れがちで、沈黙が落ちる。


 


 けれど、その沈黙の中で、彼女はふと思い出す。


 ――完璧じゃなくていい。


「ねえ」


 自分でも驚くほど、自然に声が出た。


「私、あんまり話すの得意じゃないんだけど……」


 言葉は少しだけ震えていた。


「あなたといると、もっと下手になるみたい」


 一瞬の沈黙。でもそのあと、相手はふっと笑った。


「それ、俺も同じだよ」


 その一言で、張りつめていた何かが、すっとほどけた。


 


 帰り道、彼女は空を見上げる。

 特別なことは、何も起きていない。

 告白をしたわけでも、関係が変わったわけでもない。


 それでも――


 ほんの少しだけ、距離が近づいた気がした。




 


「……あの手紙」


 誰が書いたのかは、わからない。

 もしかしたら、誰かが誰かのために書いた言葉。

 あるいは、いつかの自分が、誰かに向けて綴ったもの。

 彼女が開けるべきではなかったのかもしれない。


 でも。


 帰り道、彼女は郵便局の方角を向き、頭をぺこりと下げた。


「ありがとうございました」


 今は、ただそれだけを伝えたかったから。 








 その街の郵便局は、今日も静かに手紙を受け取っている。


 言えなかった「好き」や、飲み込んだ言葉たちが綴られた手紙。


 そしてそれらは、巡り巡って……誰かの、ほんの少しの勇気になることを待っている。





 誰かが封を開ける、その時まで。





 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ