【8】シマエナガ(・▴・)、盗人を追う
「留め具がっ……」
スノーウィが振り向いて見れば、ハーネスの留め具が外れ、スノーウィは荷車から切り離されていた。
同時、フードで顔を隠した二人の子どもが左右に走り去り、雑踏に姿を消す。
荷車を牽く魔物は、同時に荷物の護衛でもある。
いざとなれば荷役の使役獣がすぐに戦えるよう、魔物荷車は着脱しやすく作られているようだった。
裏を返せば、要となる接合部を切り離すことは容易い! 怪しい子どもたちが、すれ違いざまに荷車を切り離したのだ。
「わ、ちょっ……」
ここは上り坂だ。
荷車を支えるスノーウィが切り離されたら、M×g×sinθに従って、車輪は後退を開始する! ただし摩擦はあるものとするが、それでも荷車は止まらない!
リラが掴んでいる手綱だけが、今やスノーウィに直接繋がっている状態だった。
御者席とスノーウィの間でリラは股裂きになりそうだった。かといって手綱を放せば、制御不能になった荷車と運命をともにし、大事故になるも知れぬ。
「スノーウィ、来て!」
スノーウィはクチバシで手綱を掴んでリラを引き寄せ、自分の身体にしがみ付かせた。
リラの救出には成功したが、配達荷車は徐々にスピードを増して坂道を滑り落ちていく。
悪質な悪戯か、とスノーウィは思いかけた。
それが違うと気づくのに、大して時間は掛からなかったが。
荷車が滑り落ちる行く手の人々は、往来でのトラブルには慣れっこなのか、さっと荷車を避け、幸いにも誰も轢かれなかった。
荷車は坂の下に至れば、当然ながら地面との摩擦、および車軸の摩擦によって徐々に停止する。
だがその荷車に取り付く者があった。
――なんだ!? 荷車を……
フード付きのレインコートみたいなものを着て、人相も体型も隠した怪しい男が、馬鹿でかいサソリを引っ張って大通りに飛び出してきたのだ。
毒々しい紫色に輝く甲殻の大サソリは、スノーウィと同じように荷牽き用のハーネスを着けていた。
男は荷車を大サソリに繋ぐと、自らは御者席に飛び乗って手綱を振るい、発進させたのだ。
「盗られた!?」
大サソリは、多足をカサカサと気持ち悪く動かして、思いがけないほどの速度で走り出す。
瞬く間に荷車は離れていった。
――上り坂で荷車の留め具を外して、荷物を奪うだぁ? 荷車を持って行く使役獣まで坂の下で準備してたなら、完全に計画的犯行じゃねーか!
この地域の治安の悪さを甘く見ていたと、スノーウィは思った。
と言うかリラは、地元なら安全だと言っていたはずだが、これはどうしたことか。まあ確かにリラに直接危害を加えられてはいないが。
「スノーウィ、追いかけて!」
――よし来た!
リラはスノーウィのハーネスに手足を掛け、しがみ付いていた。ちょっとバランスは悪いが荷車に比べたら羽のように軽い。走るには問題ない。
なんなら空を飛んで追いかけることもできるが、リラが落っこちたら危険だし、走るだけで十分に追いつく!
スノーウィはフロリダのカーチェイス・パトカーの如く走り出した。
疾走するスノーウィにしがみ付いたまま、リラは、悪霊が退散しそうな御札をベルトポーチから取り出した。
そして…………躊躇った。本当にこれを使うべき事態なのか迷っている様子だったが、リラは意を決して、迷路遊びのように御札表面の複雑な呪文をなぞった。
御札が光を放つ! と、見るや、リラはそれを掴んで耳に当てた!
「お母さん! 配達の荷車、盗られた!」
『なんだって!? 誰が地元でリラを狙うってんだ!
しかもギルドの荷物だろ!? どこのバカ脳足りん猿ゴリラ身の程知らずだ!?』
まるっきり電話。スマホの通話と同じ使い方だ。さっき別れたリラママの声が、御札からは聞こえた。
――なんだそのトランシーバー御札!? それも魔法のアイテムってやつか!?
目の前の事件と同じくらい、スノーウィはこの世界の『魔法』とやらが気になった。
ある点では科学を遥かに超えた力を持ち、ある点では同程度に便利で、逆に劣る部分もある。
科学文明出身のシマエナガとしては、興味深くも意味不明だ。
考えても仕方ないことは置いといて、スノーウィは分かる部分に集中した。耳元で交わされる会話を聞き取ろうとした。
「今、スノーウィに乗って追いかけてるけど……犯人は『風ノ四』地区へ向かってる。越境犯罪じゃない? だから……」
『調停役を呼ぶよ!』
「お願い!
私は深入りしない程度に追いかけてみる!」
『分かってると思うけど、緩衝地帯までだよ!
隣街には入っちゃダメだ。待ち伏せされても誰も助けられないからね!』
「分かってる!
……じゃあ通話符が燃え尽きるから、これで!」
耳元での会話を聞いて、スノーウィは状況を把握する。
相手が手を出せない場所に逃げ込む前に捕まえたい、という話だと理解した。
通話が終わるとリラは、いつの間にか茶色く枯れ朽ちていた御札を風に散らした。
この魔法のトランシーバー御札、どうやら使い捨てらしい。
使う前のリラの躊躇い方から推測すると、まあ、彼女の収入の五日分くらいだろうか?
「仕事の失敗は評価に関わるわ……
配達すら上手くいかないようじゃ……別の仕事は来ない!」
リラが呟く。
彼女は自分の責任だと感じているようだが……
――みすみす荷物を盗られるようじゃ、俺が牽いてた意味がねえ!
スノーウィもまた、己を責めていた。
◇
Eランク市民街は『地上』と違い、衛兵隊による治安維持が行き届いていない。
その隙間を犯罪組織が埋め、住人を(自分たちが持って行くみかじめ料以外の)脅威から守りつつ、縄張り争いをしている……と言うのが現状だった。
しかして、その狭間狭間に、辛うじて都市政府が犯罪組織を追い払って統治している地域がある。
Eランク市街を管理するためには『合理の塔』が不可欠で、それだけは絶対、犯罪組織に渡せない。いかにリソースを消費し、血を流したとしても、必要なことだった。
そうして法の力が支配する場所は、Eランク市街の住人たちからは『緩衝地帯』と呼ばれている。治安も(Eランク市街の基準で見れば)良好で、外の住人も比較的安全に訪問できる場所となっていた。
「皆様! 本日はEランク市街視察ツアーにご参加頂き、誠にありがとうございます!
このツアーは都市の底辺であるEランク市民の生活を知ることで、皆様が市民ランクを維持して都市に貢献する気持ちを養うという、完璧に合理的な目的で催されております!」
『緩衝地帯』の繁華な大通りに、朗々たる声が響く。
仕立ての良い、煌びやかな服を着た若者たちがたむろしていた。
「注意点としましては、まず個人防護結界を切らないこと。
それから、必ずツアー警備員の見える場所で行動すること。もしEランクのゴミどもが因縁を付けてきても、戦いは警備員にお任せください。Eランク・ハンティングは惜しまれつつも違法化されました。いやあ、何故でしょうね?」
「「「HAHAHAHAHAHA!」」」
若者たちは朗らかに笑う。
重武装の衛兵たちが、いつでも杖を振れるように構えて、彼らの周囲を固めていた。
衛兵がこんな風に個人を警備することは、一部の要人を除いてはあり得ないはずなのだが、たまたま、偶然、この場所をパトロールしているのだった。合理的に考えれば勿論そういうことになる。
そんな物々しい一団に、周囲の通行人たちは近寄ろうともしない。思いっきり離れて歩いていた。関わり合いになれば、どんな酷い目に遭わされるか分からないからだ。
「それから、Eランクのゴミどもがどんなに哀れに見えても施してはいけません。奴らは金が貰えると見れば、つけあがって尻の毛までむしられますよ。
今夜のカジノ・バーベキューパーティーより前に、素寒貧になりたくないなら……」
「おい、何か来るぞ。なんだありゃ?」
と、そこへ。
土煙を巻き上げて、通りのど真ん中を疾走する配達荷車が近づいてきた。
通行人たちは音を聞いた時点で異常を察知し、道の隅や建物内に退避していく。
ツアーの先導者である若者トーレは、わざわざ荷車の進行方向に躍り出て、都市政府の紋章が入った小旗を掲げた。
都市政府の紋章への攻撃は、即ち都市政府への攻撃。極めて非合理的な行為だ。このツアーが都市政府の公的な管理の下で行われている証として、トーレはこれを掲げている。
旗を持つ者は権力に守護されるのだ。今、トーレは全ての市民が恐れ跪くべき存在であった。
「うおーい! そこの配達ー! この旗が見えるだろう!?
貴様が合理的なら、頭を低くして避けて通れー! ここにはBランク市民が50人は居るぼげぶぎゃ!?」
「うおっ!?」
「ぎゃあああ!」
トーレは轢かれた!
毒々しい紫色の大サソリが牽く配達荷車は、迂回のために速度を落とすことよりも、目の前の小さな障害物を撥ね飛ばすことを選んだのだ!
ニヤニヤ笑いながらトーレの所業を見ていたツアー参加者たちも、恐れおののき逃げ惑う!
蹴鞠のように吹き飛んで道脇の建物に叩き付けられたトーレの身体から、ボロボロと蒼白色の光の膜が剥離して消えていく。身を守るためのアイテムで展開される魔法、『個人結界』である。巨体の魔物と正面衝突したダメージを吸収し、結界はトーレの身を守った。
もちろん、だからってこの大事故で無傷ではいられなかったが。
「おのれ……なんてことを……!
僕のパパは司直長なんだぞ……非合理的なゴミめ、絶対に許さない……」
地に伏し、骨にひびが入った激痛にうめきながら、トーレは走り去る配達荷車を睨む。
下ろしたばかりのスーツは擦り切れて破れ、ボロ雑巾のようになっていた。
その傍らを、サソリ荷車に少し遅れて、巨大な白毛玉鳥(・▴・)が駆け抜けた。
◇
――なんなんだ、さっきの奴? なんで全力疾走する荷車の目の前に自分から飛び出したんだ? つーか、あんなものに轢かれてよく無事だったな?
繁華街の真ん中にたむろしていた、スラムには似つかわしくない上等な服を着た、マルチ商法とかやってそうな若者グループ。
そのリーダーっぽい奴がいきなり、奪われた荷車の進行方向に飛び出してきて、轢かれたのをスノーウィは見た。
幸いにも、何故か死んではいない様子だったが。
Twitter(※イーロン・マスクが『X』だと主張しているSNS)で聞きかじっただけだが、警察は、追いかけている相手の運転が下手くそでこのままでは事故を起こすと判断したら、逃走車の追跡を諦めるものらしい。
自分もそうするべきだったのだろうか、とスノーウィは一瞬思ったが、流石に大通りのど真ん中に進んで出てくる狂人の存在まで想定はできぬと、吉田兼好も弁護してくれるだろう。
スノーウィの前方では、奪われた配達荷車が、目に見えて速度を落としていた。
車輪の回転が不安定になる。今の衝突で荷車が壊れたようだ。
盗人が『緩衝地帯』を抜けて自分の巣穴へ逃げ込むには、スピードを落とすわけにはいかなかったのだろう。謎の飛び出し坊やを避けたり止まったりする余裕は無かった。
しかし衝突事故もまた、配達荷車にとって致命的な傷となったのだ。
どちらに行っても詰みという残酷な二択。人生とか格ゲーではままあることだ!
遂に車軸が……折れる!
荷車は、牽引していた大サソリを巻き込んで横転!
御者席に座っていた男も、当然放り出されて転げた。
「うわっ!」
そして、男が立ち上がろうとしたときには、その傍らにスノーウィが居て。
スノーウィにしがみ付いたまま、リラが杖を突きつけていた。
「さぁて、もう逃げられないけど、どうする?」
「ぐ……!」
荷車盗人は、サイズを間違えて買ったのかというほどダボダボの、フード付き上着で体型も顔も隠していた。
だが。シマエナガ聴力とシマエナガ言語力は誤魔化せない。
――つーか、俺こいつの声聞いた覚えがあるような気ぃするんだけど。
スノーウィは、フードの根元辺りに脚の爪を立てると、服を引き裂きながらもぎ取った。
「「あっ!」」
男とリラが同時に叫んだ。
自尊心の塊みたいなツーブロックが、フードの下から出てきた。
先ほどまでは荷車の護衛だった男。アッシュだった。
リラに先に帰されたはずだった彼は、荷物泥棒として戻ってきたのである。
「どうして、こんなことを……」
「……あーっははははははは!」
アッシュは三秒で居直った。
そして笑った。
捨て鉢な狂笑だった。
「お前さあ! 来週の査定で昇格するのが急遽決まったろ!?
だけどテイマーの椅子の数は! 都市内の厩舎スペースの数は変わらねえ!
代わりに誰が蹴落とされたと思う!?
まあ、知るわけねえよなあ!」
「まさか……」
「俺だ。
次の入れ替えで……テイマーに戻れるはずだったのに……取り消しになった!」
アッシュは。
卑屈であり、傲慢である、引きつった笑みを浮かべていた。
「準テイマーに落ちてから……苦労したんだぜ。
ひたすらトレーニングと勉強の日々。
あちこちの厩舎でタダ働きしてギルド上層部に取り入り、俺を売り込んだ。
金が無さ過ぎて橋の下で寝て、水を買えなくて廃液も啜ったし、端金で冒険者の仕事もした!
なのに……耐えに耐えて、やっと俺の順番が来たのに……!」
奥歯が削れて丸くなりそうなほどに軋らせ。
アッシュは叫ぶ。
「なんで、てめえは!
雪舞鳥なんか、さらっと持ってきやがるんだよ!
Eランクを脱出して、地上に引っ越して……彼女と結婚するはずだったのに、全部、全部……」
血を吐くが如く。
……この都市国家には、『市民ランク』なる制度があるらしい。
リラも、アッシュも、最下層たるEランク。市民ランクが低い者は居住地にも制限を受け、高い税金を払わされ、他にも色々と制度的な不利益を被るようだ。
テイマーとして活躍すれば昇格できるとリラは言っていた。
リラは機会を与えられ、アッシュからは奪われた。
「それで……査定の前に仕事を失敗させて、私の点数を、落とそうと……」
一人と一羽は、一瞬、アッシュに気圧された。
あるいは同情のために呆然としたか。
その隙に、裂けたコートの下で、アッシュが何かを手に取る。
瞬間、爆発的に煙が立った。
――煙幕!?
完全に視界を封じる、濃密な煙幕!
翼で顔を覆ったスノーウィは、シマエナガ聴覚のみで敵の動きを探った。
アッシュは跳ね起き、手探りで這いながら距離を取りつつ……何かの金具を外した。
――チッ!
スノーウィは、自分の翼をうちわにして、思い切り羽ばたいた。
シマエナガ(・▴・)風起こしだ。風力発電機は流石に回せないが、風車のオモチャくらいなら動かせる原始的クリーンエネルギーである。なお二酸化炭素はそれなりに排出する!
滞留していた煙幕が吹き飛んだ時には、荷車泥棒の大サソリは拘束を切り離され、代わりにその背中にアッシュが騎乗していた。
「俺はもう終わりだ!
だが! お前も終わりにしてやる!
お前みたいな奴がテイマーになるのはおかしいんだ! 思い知れやあ!」