【6】シマエナガ(・▴・)と厄介な配達
「はい、こちらにサインと市民番号をお願いします」
「ご苦労様。ちょうど低級合理化酒が品切れになるとこだったんだ」
昼間から開いている酒場の女将は、リラに愛想良く応じてサインをした。
酒場は昼日中から賑わっている。客層はダメな大人どもではなく、意外にも、しっかりした作業着姿の労働者が店内には多く見えた。
「私は合理的で心穏やかです。労働が大好きです」
「私は合理的で心穏やかです。労働が大好きです」
昼前から酒を飲んだ労働者たちが、不気味の谷に落ちたアンドロイドのような無機質な目つきで、ブツブツ機械的に呟きながら店を出て行くところだった。
こいつらが飲んでいるのは本当に酒なのかスノーウィは疑問だったが、怖いので深く考えないことにした。
「しっかし、このでかい鳥。よく働くねえ。暴れもしないんだろ?」
「はい。むしろ、荷物運びが好きみたいで……張り切って遠回りしようとするんです」
「へえ」
スノーウィのもふもふボディを見上げて、女将は首を傾げていた。
スノーウィも首を傾げ返した。90°ほど。
「なにしろ目立つから、みんな噂しててさ。
……それで聞いたんだけど。こいつ、本当は強い魔物なんだって?」
「はい!
雪舞鳥って言いまして、見た目は可愛いですが、恐ろしい空の狩人なんですよ!」
「それがなんで荷物運びをしてんだい?」
「それは……」
リラは、ぐっと言葉に詰まる。
別にスノーウィとしては不満は無い。
今生の身体は、今まで把律家らしい基礎トレをしていなかった。空を飛んで急降下で獲物を仕留めるばかりだったのだから、ちゃんと良い蹴りができるよう、足腰を鍛えるところからだ。基礎トレとして荷物運びは悪くない。
しかも、そのトレーニングで街の人々を助け、収入を得て飯が食えるなら、実に幸運なことだ。
とは言え、永遠にこのままではいられない。
スノーウィよりもリラの問題だ。荷運びの仕事が安い仕事であることは、スノーウィも察している。そして彼女に猶予が無いことも。
リラは何やら真剣に考えている様子で、むっと口を結んでいた。
* * *
一日最後の配達を終えて、空の街を夕焼けが赤く燃やす時間。
「いいですよー、だ。
配達なら配達で、稼ぐ道はあるんだから」
スノーウィとリラは空っぽになった荷車と共に、街中のハブ倉庫(あるいは『サービスセンター』か?)に戻ってきた。
荷物はここに一旦集積され、そこから届け先や、他のハブ倉庫に持って行く仕組みだ。エンジンは原始的だが、意外にも配達サービスの体制はしっかりしているようだ。
狭い街中なので倉庫の搬入口も、目の前の道路も狭い。
宅配荷車を返すため、スノーウィは一方通行の細い道路に入っていった。
――駐車場すら無ぇんだから窮屈だよなー。街そのものが狭いからな。
街を走り回ってみての感想だが、とにかくどこへ行っても狭くて、建物が縦に長い。
その理由にも察しが付いていた。これ以上は街を拡げられないのだ。
空飛ぶ街は、外に地面が続いているわけではないのだから、増築して土地を増やすのは不可能、あるいは至難。縦方向に可能な限りの空間活用をして、後は狭い場所ですし詰めになるしかないのだ。
ドライブスルーみたいな搬入出口にスノーウィが横付けすると、どんな荷物よりもデカい腹を持つ所長のオヤジが、タバコを吸いながらひょいと顔を出した。
「お疲れー」
「所長。『地下』行きの荷物、次から私がやって良いですか?」
「うえっ!? リラちゃんが!? ……熱っづ!?」
所長は、いきなりリラに言われて驚き慌て、くわえていたタバコを腹に落として飛び跳ねた。
彼は醜態を誤魔化すように、石床でタバコを踏み躙って揉み消す。
「……俺が言うのもだけどさ、危ねえよ?」
「大丈夫ですよ。この子が居ますから」
リラは御者席から身を乗り出して、荷車を牽くスノーウィの後頭部をもすもすと叩いた。
「うーん……まあねえ……」
「それに私、『地下』生まれですから!
地元なら安全だし、そうじゃない場所も通り方は心得てます!」
「そこまで言うなら頼むかあ。
実際、みんなやりたがらないルートだしさ」
「やった!
危険ルート手当、お願いしますね!」
所長のオヤジは事務所内のシフト表らしきものを見て、リラの名前が書いてあると思しきマグネットを張り直した。
ちなみにスノーウィは、この世界の人間たちの文字は読めない。会話をちょっと聞いただけで言語を理解した、謎のシマエナガ言語力は、あくまでもリスニングに限った力であるようだ。
配達員が配達先のシフトを決めるとき、エンジンに相談するだろうか。いや、しない。
スノーウィは話を聞いて状況を推察するだけだ。
――治安の悪い地域に行かされる、ってことか。
スノーウィとしては望むところだ。バリツ的な仕事と言える。
バリツの祖先は、ナイフを持った暴漢から身を守る格闘技だ。バリツの力で危険を退けて仕事をするのは、バリツのあるべき姿だろう。
そんな場所にリラを連れて行って大丈夫なのかは、少し心配だが。
「それじゃ、ええと、明後日の分からか。
配達前に『冒険者ギルド』……もとい、調査局の方に行って、護衛の人と合流してね。
向こうの人にも担当が変わったこと、伝えとくから」
「はい!」
* * *
翌日。
朝も早くに厩舎を出たリラとスノーウィは、昨日と別の道を通って出勤した。
お役所的な、少ししっかりした建物が建ち並ぶ区画にて。
出勤する役人や労働者たちの注目を浴びながら、一人と一羽が歩いて行くと……スノーウィは変なものに出会った。
――なんだアレ?
シマエナガ目が見たものをそのまま描写するなら『空中に浮かんで固定された吊り輪を使って懸垂をするツーブロック・ゴリラ』である。
(※ツーブロック・ゴリラ:髪型がツーブロックのゴリラ。ビジネス街などに生息し、外敵に対してはエンターキーを激しく叩いてスライドのページを送るなどの威嚇行為を行う)
青い光を放ちながら宙に浮かぶ、吊り帯の無い吊り輪があって。
そいつにぶら下がってトレーニングする、武装した若い男がそこに居た。
「……ふっ!
……ふっ!」
「あのー」
「うわっ!?」
声を掛けると、驚いたゴリラは樹上から、もとい吊り輪から滑り落ちた。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ失礼。トレーニングに集中すると周りの声が聞こえなくなるもので」
ワンテンポ置いて、浮遊感を失った吊り輪が落っこちてくる。
スノーウィは、そいつを何気なく拾ってやったところ、異様な感覚に襲われた。
――うお、なんだこれ! 重いって言うか……持ってるだけで体温を吸われてるみたいに疲れるな!? 生物の持つ魔力を吸い取って宙に浮かぶ、魔法の吊り輪……って事か!?
スノーウィは『魔法』という言葉を、厩舎で仕事をする人間たちの会話から幾度か漏れ聞いていた。
街が浮かんでいるのも、照明器のクリスタルが光っているのも魔法のお陰。この世界の人間たちにとっては当たり前に存在する技術らしい。
では、このちょっとだけ浮かんだ輪っかも、魔法の産物か。
見た目には、細い丸形蛍光灯みたいな代物だ。
青い燐光を放つ輪っかを、スノーウィは何も無い空中に引っかけてみた。
奇妙な感覚だが、そいつは宙にガチリと嵌まり、スノーウィが片脚で懸垂のまねごとをしても動かなかった。
「あら、真似してる」
「上手い上手い。
お前、トレーニングに興味があるのか? 見込みがあるな」
――興味があるどころか、専門家だぜ。
ツーブロック・ゴリラはスノーウィに親近感を覚えた様子で、歯茎が見えそうなくらい笑った。
スノーウィが懸垂を止めて、謎の輪っかから脚を離すと、それは浮遊の動力源を失って、ぽとりと地に落ちた。
――つまり、筋肉と魔法の力に同時に負荷を掛けて鍛える器具か。この世界ならでは、だなあ。
見たところ、簡素でお手軽なトレーニング器具という風情だが、だからって持ち歩いて隙間時間にトレーニングするとしたら、結構なトレーニングフリークだ。
スノーウィが過去にコンクリートジャングルで遭遇したツーブロック・ゴリラは、インチキ自然食品の広告塔になるようスポーツ選手を勧誘するという邪悪な生態を持ち、極めて悪い印象を抱いていた。
だが、トレーニングに熱心な目の前の個体に関しては、スノーウィは同志として多少マシな第一印象を抱いた。
「配達の護衛の方ですか?」
「ええ。
調査局のアッシュです。合理的です!
Eランク市民街行きの護衛を務めさせていただきます!」
アッシュなる男は、そう言って社員証みたいなプレートを提示した。
張り付いたような爽やかスマイルの、二流セールスマンみたいな雰囲気の男だ。だが着ているのは一着一万円の格安スーツではなく、リラが最初にスノーウィに会いに来た時と同じような防護服。
そして彼は背中に紋様入りのゴツゴツした杖を背負っていた。
「テイマーギルドのリラです。合理的です。
こっちは使役獣のスノーウィ。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。
それじゃ、行きましょうか」
リラが挨拶をして、振り返った0.5秒。
彼女の背中に刺さるアッシュの視線が剣呑に鋭くなったのを、シマエナガ目は見逃さなかった。
その理由は、すぐには分からなかったが。
* * *
その日の配達では、リラはいつも通りに御者席で手綱を握り、護衛だというアッシュは荷車の後ろを歩いていた。
さて、Eランク市民街とはどこなのか。
リラの指示に従ってスノーウィが歩いて行くと、地下へ潜っていくトンネルがあった。
そもそもここは空飛ぶ街なのだから、『地下』という表現が適切であるかは諸説あるだろうが、これまでスノーウィが見てきた市街の最下層と思われる場所よりも、さらに道路の下へ潜っていく道があったのだ。
最初にスノーウィが都市に来たとき、まるで煉瓦色のウエディングケーキみたいに見えたものだが……
その喩えを用いるのであれば、これまでスノーウィが見てきた街は、ケーキの上のトッピングだ。
今スノーウィは、土台となるスポンジの中へ降りて行く。
――臭えな。東京のニオイだ。
人間の生活に起因する悪臭が、ふわりと漂う。
トンネル内は、光を放つクリスタルが等間隔で壁に埋め込まれ、道を照らしていた。そのクリスタルが照らすのは道だけではなく、落ちている紙くずや、割れたガラス瓶の欠片、直視したくない有機的な物体などなどだ。
トンネルは長く感じたが、実際の距離はそう長くなかっただろう。
やがて、視界が開けた。
――なんだ、ここは。
トンネルを抜けると、そこはスラムだった。
妙に天井が高い倉庫、という雰囲気の、広大な地下空間だった。
スノーウィの、つまり山部タダオの地球知識に照らすなら、首都圏外郭放水路の調圧水槽に似ていた。
あるいは……実物を見たことはないが……地下の戦闘機格納庫なんかは、こんな雰囲気なのだろうか。
天井からのクリスタル照明以外にも、どこかに窓でもあるのか、多少は日光が差し込んでいる雰囲気だった。
その空間に、ごみごみした寄せ集めの街が広がっていた。
建物自体は意外としっかりしている一方、それが特に何の計画も無く雑然と並んでいるようで、整然と隙間無くテトリスされた地上市街に比べたら、ひどく無秩序な雰囲気だった。
錆びたシャッターが閉まったきり、朽ち果てている空き店舗などもあった。地上の市街では見かけなかったものだ。
――こんな場所があったのか。
リラは手綱を絞り、心持ち速度を上げるよう、スノーウィに指示した。