【4】シマエナガ(・▴・)、飼われる
三人と一羽は、野山を歩いた。
休憩時間に人間たちは、ガラス瓶に入った鮮やかな色の薬を、一服ずつ飲んでいた。それが何なのかタダオには分からなかったが、『抵抗剤』とか言っていたのを聞き取れた。
夜にはキャンプをして、翌日の昼過ぎ、タダオたちは目的地に辿り着いた。
そこは全く何も無い、葛の葉に覆われた平原のど真ん中だった。
「開門せよ!」
黒服の片方が告げると、空が歪んだ。
――なんだ、こりゃ。
さっきまで雲一つ浮かんでいなかったはずの快晴の空に、巨大な街が浮かんでいた。
煉瓦色のウエディングケーキとでも言うべきだろうか。そのデカさときたら、東京ドームみたいに卑小な物とは流石に比較できぬ。世田谷区とかなら相手になるだろうか。
街の上半分は、中央に向かって段々状に構成された市街。高層建築が無秩序に並んでいて、その間を無数の通路や橋がメチャクチャに繋ぎ、橋の上にさえ小さな建物が乗っかっている。
下半分は、まるで地面に向けた剣山だ。真鍮色をした大量のパイプや、煙突のようなもの、何かの噴出孔らしきものが、ある種の規則性を持って整然と幾何学的に並んでいる。
――街が空を飛んでやがる。しかも姿まで隠していたと。光学迷彩ってやつか? 人間はたまに見かけるのに、人里ってものを全然見かけねえと思ったら、この世界の人間はこんなとこに住んでたのか。
とんでもないテクノロジーだ。
スノーウィが知る地球でも、まだこんなものは作れないだろう。
……だと言うのに、リラや黒服たちが使っている道具に、ハイテク感が無いことが気になった。自動車はもちろん、電子機器も無い。これだけの都市を造れるというのに奇妙な話だと思ったが……理由を知るのは後になってからのことだった。
「すごいでしょ、スノーウィ。これが私たちの家。『都市』だよ」
さて、この宙に浮いた街にどうやって入るのかと思ったら、カヌーみたいな形の無人の小舟が宙に浮かんで、すうっと降りてきた。
リラも、黒服どもも、慣れた様子で小舟に乗り込む。スノーウィは別に自分で飛んでいくこともできるのだが、折角なので一緒に乗ってみた。
すると、船はふわりと高度を上げ、街へ向かっていく。
そうして辿り着いた街の入り口は、空港の検疫ゲートみたいな雰囲気だった。
でかいテーブルやシャワースペースが目立つ。人間たちはそこで靴を履き替え、タダオは足を洗われた。ついでに胴体にハーネスも着けられた。
「ねえ、まずスノーウィを厩舎に連れて行きたいんだけど」
「なりません。
特異固体、および脅威度ランク5以上の魔物に関しては、一旦ギルド管理下に置かれます。むしろ低脅威度の魔物に関して、扱いを特例的に緩和している格好です。あなたはご存じなかったようですが」
「あらそう、存じ上げませんでしたわ。
でもこれからは私が。わ・た・し・が。この子の主人ですもの。
色々必要なことを教えてくださいね?」
その間もリラは、黒服どもと陰険漫才を繰り広げていた。
街の門というか、検疫所というか。
そこを抜けると、狭苦しくも活気に満ちた大通りだった。
両脇に高層建築が立ち並び、一階部分はほとんど店舗だ。狭い土地に人を詰め込んだ典型。東京の繁華街を見ている気分だった。
道脇の店で売られているものは、生活雑貨や、よく分からない道具、パック詰めされていない油紙でくるんだだけの食べ物などなど。
少なくともスマートフォンとかゲーム機みたいなものは無い。ついでに言うならバリツの防具を売るスポーツショップも無い。一方で、明らかに本物の剣や盾、中古の鎧なんぞを売っている店があったりもした。
――妙な感じだな。技術のレベルが低いのか?
そう言えば、ごみごみした雰囲気なのに何かが足りないような気がしていたのだが、電線だ。この街には電線が無い。
そのくせ、電灯みたいに光る水晶が軒先に吊してあったりする。どうやって光っているのか……
「テイマーだ、テイマーのお帰りだ」
「なんだ、あのデカい鳥は?」
「まだ脚輪が無いな。新しい使役獣だ」
「可愛いー」
通りを進むほど、スノーウィたちの周りは賑やかになっていった。
もふもふの巨大鳥(・▴・)は、何しろ目立つ。そう広くもない道の両脇に人が集まって、通りを見下ろす建物の窓にも人の顔が鈴生りになった。
大騒ぎロードはやがて、刑務所の如く厳重に囲われた一画に至る。
心持ち、他の建物よりも造りが堅牢で、敷地の取り方がいくらか贅沢だ。
建物の門前には長柄槍で(……警棒でもアサルトライフルでもなく、長柄槍だ……)武装し、背中に杖だか棍棒だかみたいなものを背負った警備員が居た。野次馬どもも流石に近寄れないようだった。
門をくぐった先に、異様に迫力のあるばあちゃんが待っていた。スノーウィが思わず足を止めそうになるほどだった。
何しろガタイがデカい。そして全身古傷まみれで、その眼光ときたら試合に臨む把律家めいて鋭い。背筋もぴんと伸びている。
長くカールした髪はビビッドパープルだったが、それが白髪染めである証拠に、根元の2ミリくらいは真っ白だった。何故おばあちゃんという生き物は髪をパープルに染めたがるのだろうか。
「お帰り、リラ」
脅しつけるような『お帰り』だった。
妖怪老女はたくましい腕を組んで、こちらをギロリと睨み付けていた。
「お、お師匠様……
たたたた、ただいま戻りまして……今日は良い天気ですね!」
「あたしが事務所に置いといた通行証が減ってるんだがね」
「それは大変ですね! ネズミが食べたんでしょうか? あははは……」
――勝手に持ってったのか。
何かを察したスノーウィは、あからさまに誤魔化しているリラの方を見て、ジト目のつもりのアルカイック・シマエナガ・スマイル(・▴・)で見つめた。
シマエナガは無表情である。こんな時にはあまり圧力は無さそうだ。
「そ、それよりも聞いてくださいよ!
ほら! 私、雪舞鳥を……」
「こんな大騒ぎになってんだ、とっくに聞いてるよ! だからここで待ってたんだ。
あたしの108の異名の一つが“地獄耳の”ナタリアだよ」
「そんな異名ありましたっけ」
どうやら彼女の名はナタリアと言い、リラの師匠であるらしい。
作業着姿の男たち(厩務員だろうか?)が、スノーウィのハーネスにチェーンを繋いで、全身の状態を検め記録する中、妖怪じみた雰囲気の老女はマイペースにスノーウィの身体をじろじろ見たり、反応を確かめながら触ったりしていた。
「リラが雪舞鳥を、ねえ?
どんな顛末だったのか、聞かせてくれないかい」
「ふっふっふ。とくとお話致しましょう」
かくかくしかじかと自慢げに、リラは師匠に対し、調馴の成り行きを話して聞かせていた。
ざっくり言えば、エサを無視されていたが、黒服どもにリラが襲われたときにスノーウィが助けに入って、話がまとまった(?)という成り行きだ。
「……と言うわけで、役所の中の処理とか諸々書き換えなきゃならないんで、イイカンジにお願いします。費用は実費で払いますから」
「うーん……まあそこは朝飯前だからどうでもいいんだけど」
ナタリアはリラの話が進むにつれて、眉間の皺を濃くしていた。
「あんたはどこでリラを気に入ってくれたのやら、ねぇ」
スノーウィの頬のふっかふかもふもふな羽毛に、ナタリアは『もすっ』と手を突っ込んで声を掛ける。
スノーウィは彼女から少し目をそらした。
途端、ナタリアの視線が単分子ワイヤーカッターの鋭さを帯びる!
「……あんた、さては……賢いね?」
スノーウィは縮み上がった。羽毛が頭の先までビリビリ震えた。
――どひー! 俺怖ぇよ、このばあちゃん! 何が見えてるんだよ!?
別に隠したかったわけではないが。
人間の言葉を、そして会話を理解していることを、ナタリアに見抜かれた。
思えば、リラが狼に抑え込まれた瞬間ではなく、黒服がリラを殺す決定をして彼女が死を覚悟したその時に助けに入ったのだから、随分と人間くさい対応ではあった。
話を聞いて目星を付けたナタリアは、後はこうして直に声を掛けて確認したか。
その道の達人は、時に神の如き視点から、常人には見えぬものを見通すのだと吉田兼好も言っていた。
ナタリアばあちゃんは、リラにとってテイマーの師匠。山ほど魔物を見てきた熟練の魔物使いなら、振る舞いから鳥の考えを見抜くくらい、朝飯前だろう。
「確かにスノーウィは頭いいですけど……」
「お前が思ってるより大分賢いだろう。魔物は個体差が人よりデカいから、たまーにゃ、人並みに賢いのも居るさ。この子を見くびるんじゃないよ」
ナタリアは勝手に納得していた。
妖怪・お見通しばあちゃんと言えど、まさかこのもふもふ毛玉鳥に、異世界の把律家の魂が宿っているとまでは見抜けなかった様子だ。
――本当は前世が人間だからなんだが……流石にそういうのはレアケースか? 俺以外に居ないのか?
もし、自分と同じように転生してきた魔物がいるのなら、バリツを広めたりできないか、ひょっとしたら自分以外にも把律家が居るのではないかとスノーウィは思ったのだが、それは期待薄のようだった。
まあ、無い物ねだりをしても仕方ない。バリツはスノーウィの中にある。それで十分。
今はバリツの時。ただバリツあるのみだ。
ナタリアは、広く立派な肩をこれ見よがしにすくめて、大きな溜息をつく。
「もしかしたら、リラの実力を過小評価してたのかと思ったんだが……あたしは何も間違ってなかったね。
やっぱりお前はヘッポコだ。ま、運と度胸は認めてやっていいか」
「お師匠様! それは流石に……」
「褒め言葉だよ。あんたは真っ当な実力こそまだ足りないが、運の良さと火事場のクソ度胸で、己がテイマーたり得ることを示した。
偶然の幸運を引き寄せるのも才能のうちだ」
回りくどい褒め言葉を、ややあってリラは理解し、はっと息を呑んで目を輝かせた。
「じゃあ、私……正規テイマー昇格ですか!?」
「いくらなんでも、ランク5の魔物を連れ帰った奴を放っておけるかい。すぐ上に掛け合おう」
「やったあ! 師匠、ありがとうございます!」
リラはナタリアに飛びついてハグをした。
体格差がありすぎて、ナタリアは小揺るぎもせず。
「ただ、ねえ。師匠として言うべきことは言うよ!
この鳥は、何の気まぐれか知らんが、お前を気に入って付いてきただけだ。それを調馴したとは言わねえんだ、普通は!
雪舞鳥はランク5の魔物だよ!? ベテランが慎重に準備して捕まえに行って、それでも下手すりゃ骨一欠片戻ってこねえレベルだ! 普通ならお前ごとき二秒で八つ裂きにされて餌になっとるわ!」
ナタリアの鋭い一喝と教示。
リラも、隣のスノーウィまでもが思わず気をつけをしてしまうような威厳だった。
スノーウィの周りで作業している厩務員たちまで背筋が伸びて、外見的な平均身長が2センチぐらい変化した。
実際、スノーウィもナタリアの言葉を否定できない。
もしリラと出会ったのが、把律家の生まれ変わりで高潔なバリツ精神を宿すスノーウィではなく、スノーウィの親鳥や兄弟姉妹であったなら、リラは餌になっていた可能性が高いだろう。
「……なあ、リラ。あたしがお前に、意地悪で七年も訓練生やらせてるとでも思ったかい?」
「いいえ。まさか。
都市が用意できるテイマーの席には限りがあります。
だから常に入れ替えがありますし、実力のある人と、次代のため見込みのある人を……」
「ま、及第点の答案だね。
向き不向きと才能の話をするなら、お前は『下の上』ってとこだ。
実力が至らねえ者を街の外に出して、みすみす死なせるのはあたしの仕事じゃねえ。本当ならお前のことは、頃合いを見て『準テイマー』扱いで、どこかの厩務員に押し込んでやろうと思ってたんだ」
「でも、それじゃ……EランクからDランクへの市民権昇格は、できません」
「そりゃ、かわいそうだがお前の事情だ。実力の世界の事情じゃあねえよ」
ナタリアの言葉はにべもないが、彼女に理があるとスノーウィには思えた。
リラがスノーウィを連れ帰ったのはナタリアが言う通り、追い詰められた果ての『運の良さと火事場のクソ度胸』でしかない。
お陰で彼女は出世したようだが……むしろ大変なのはここからだろう、とスノーウィは睨む。そして、どうやら彼女の師匠も同意見であるようだった。
「何の因果か、これでお前は晴れてテイマーだ。
だったらもう、しょうがない。この鳥公に釣り合うよう、他人の何倍も努力して穴を埋めな」
「……それ、人生終わっちゃいませんか?」
「やると言ったらやるんだよ! 他にどうしようもねぇんだからよ!」
「は、はい!」
問答無用の一喝!
――怖えけど、力量ある良いコーチって雰囲気だな。このばあちゃん。
得がたきものは良いコーチ。
この点だけでもリラは幸運だとスノーウィには思えたが、環境は才能の係数であり、才能は努力の係数である。いずれが欠けても選手は伸びない。
さて、リラはどうなのか……
「とにかく! これで私、配達依頼卒業ですよ!
これからばりばり活躍しますので! ご安心ください!」
「ああ、そうだね。そいつはよかった」
はしゃいだ様子のリラに、ナタリアは、皺深い目を細めて微笑んだ。
そしてそれからぼそりと、付け加える。
「本当にそうなるならね」
* * *
数日後。
賑やかな通り沿いの集荷施設前に、スノーウィは居た。
丸っこいスノーウィの身体には、タンクトップを着せるみたいに革のハーネスが着けられている。
ごつい金具で繋がれているのは、コンテナを満載した巨大な荷車である。
「それじゃ、初仕事……行こうか。スノーウィ」
心持ち、しおれた調子でリラは言った。