【3】シマエナガ(・▴・)、バリツの光を見る
「待って、お願い! 話を聞いて!」
抑え込まれたままリラは必死で声を上げたが、もちろん黒服どもは取り合わなかった。
「合理的に考えれば、金銭的に困窮した貴様は意図的に『葛憑き』を作り出し、違法エネルギーを抽出して密売しようとした、と推認される。
これは即時処断に値する大罪だ」
「違います! 一瞬考えたけどやってません!
このタイミングは偶然です! け、検査してくれれば分かります! ジョーの死体を!」
「ランク5の魔物を調馴する、などという虚偽事由で外出許可を申請したのも、手ぶらで帰ったときに『調馴に失敗しただけだ』と言い訳するためだな?
Eランクのゴミが考えそうなことだ」
もはや黒服どもは、自分の頭の中にある物語以外に何も見ておらず、リラの話は一切聞こうとしない。
無能な警察官というのは、どこの世界でも似たようなものらしい。
リラは尚も何か言いつのろうとした。
だが、ふっと彼女の気迫が失せた。
「……ねえ。私が自首すれば、家族の『忠勤点数』は落ちないの?」
今にも自分を引き裂きそうな、狼の顎を見上げながらリラは問う。
「もはや自首の要件は満たさないが、自白と反省は、査問委員会の検討材料となる。
『都市』は……」
「合理的」
「その通り。故に、過ちを改め秩序を回復させる試みには、常に寛容だ」
「なら、私を殺して」
食い気味にリラは言った。
「よかろう。罪の自白と見なす。
……現刻を以て、即時処断とする。やれ」
狼の。
牙が。
――無抵抗の相手をその場で殺すのかよ!? てめえら神奈川県警か!?
スノーウィは駆けた。
藪を蹴立て、飛び越え、突き出た木の枝をへし折って、駆けた。
こちらに気がついた魔物たちが身構えるより、スノーウィの方が早かった。
リラに押さえ込み、食らいつこうとする狼。
その側面にスノーウィは猛進。そして。
――把律道・上段切り裂き蹴り!
鉄扇の如くに、脚の爪を鋭く立てて揃え、一撃。一閃。
スノーウィは、つま先で引っ掻くような回し蹴りを放つ!
化け狼の首が刎ね飛んだ。
「雪舞鳥!?」
黒服どもが驚愕の声を上げた。
「スノーウィ……!」
頭部を失って崩れ落ちる狼の下から、リラが這い出して起き上がる。
――必死で……身体が勝手に動いちまった。
スノーウィが今生の親から教わったのは、急降下で爪を立てて獲物を仕留める狩りの技だ。
だが今は、必死であったために、魂に馴染んだ動きが自然に出てしまった。
今、使った技は、前世の記憶。バリツの蹴り技の一つだ。
現代バリツの特徴と言えば、柔道由来の投げ技と、模造ナイフを先端に着けた『把律靴』による蹴り技。そう、バリツの蹴りは打撃でなく斬撃なのだ。
いかに刃の無い模造ナイフと言えど危険であり、それ故、バリツの試合では重厚なプロテクターを身につけるほどだ。
今の山部タダオ……スノーウィは、もちろん把律靴など履いていないのだが、多くの獲物を屠って血まみれになった脚の爪は、強靱で鋭い。少なくとも、競技用の模造ナイフと比べたら、遥かに危険な武器だった。
『てめえらに、どんな事情があるかは知らねえ! だが、女の子に狼をけしかけて食わせようなんて、ド非道は見過ごせねえ!
どうしてもやる、ってんなら俺が相手だ! 森羅万象の精髄たるバリツの輝きを見て悔い改めろ!』
(※スノーウィの言葉は通じていません)
スノーウィは激しく囀った。
覚悟を決め、リラを庇って立ち塞がり、翼を拡げて威嚇する。
バリツの始祖、バートン=ライトの思想とは何か?
軍隊格闘技として製品化され、帝国陸軍に『納品』された初期の把律道よりも、イギリスの本家バーティツにこそ見いだすことができ、日本の把律道協会も今はそちらを看板にしている。
曰く……襲い来る暴力への抵抗。
源流となるフランスの格闘技サバットからして、ナイフを持った暴漢と戦うためのキックボクシングだ。
自らを、そして弱き者を守るための技である。理想は理想、お題目はお題目だが、山部タダオはずっと、理想の把律家であろうとしてきた。そう、この瞬間も!
相手の魔物はもう一匹。
スノーウィにとっては見たことの無い魔物だった。銀ぴかの巨大なカブトムシみたいな奴だ。
「ギ、ギギギッ……!」
そいつは『喧嘩を売られた』と理解したのか、いきり立ってスノーウィに襲いかかってきた。
「待て、落ち着け! ダメだ!」
主の制止も聞かず!
……スノーウィは後々知ったことだが、この鉄甲虫という魔物は気性が荒く、思考が単純。隣で味方が首を刎ねられたのだ、最早、敵か自分が死ぬまで戦いを止めぬ!
西洋甲冑みたいな見た目でいかにも硬そうだ。しかもツノ部分には鋭いフォークを嵌められ、装備している。いぶし銀の輝きを放つ武器は、突いても裂いても一撃必殺だろう。
スノーウィは脚を突きだし、ツノフォークの刺突を爪で受けた。刀で切り結んだような清澄な音が響き渡る!
鋼鉄のカブトムシはすぐにツノを引き、ひねりを付けてスノーウィを突き刺そうとした。巨体に似合わず素早い。
――こいつっ! 『野生』の動きじゃねえ。訓練を積んで、武器の使い方を知ってやがる!
スノーウィは、顔狙いの突きを上体反らしで回避。
回し蹴りで弾きつつ一歩飛下がる。
そこに襲い来る突き! 爪で受け、刃が無い部分を握り込んで制した。
鋼鉄のカブトムシが体勢を崩した。
……崩し掛けたが、持ち直す。
ツノを握って抑え込むスノーウィの脚に、下からの圧力が掛かった。なるほど、ツノで喧嘩の相手を投げ飛ばすのはカブトムシの特技。このまま放り捨てる気か。
相手は思い切りツノを振り上げ、スノーウィをツノフォークで引き裂きながらひっくり返そうとした。
瞬間!
スノーウィは脚を引いて、相手のかち上げを空ぶらせ、即座に脚を返して突き一閃!
――把律道・顎貫き蹴り!
「ギッ!」
鋼鉄カブトムシの、首回りの装甲の隙間に、爪が深々と突き刺さった。
爪を捻って、裂く。そいつはへたり込んで、もう動かなかった。
――おい。今のは……今の蹴りの攻防は、かなりバリツだったぞ! しかもプロレベルだ!
スノーウィは久方ぶりのバリツ体験に、状況も忘れるほど感動していた。
爪と槍の競り合いは、バリツの試合での、中距離からの蹴り合い攻防を思い出した。
鳥の身体に転生し、バリツを奪われたと思ったが、違った。スノーウィの中にバリツは存在したのだ。
――俺としたことが、とんでもない勘違いをしていた! この世界にもバリツは存在する! ここに俺が居るんだから! 俺こそがバリツ! バリツ・シマエナガだ!!
腕を失った今、前世で得意だった投げ技は、もはや使えない。
だが、蹴れる。そのための脚をスノーウィは持っている。
そして……バートン=ライトの願いを体現できた。守り、抗う、戦いだ。
――ああ、山部タダオよ! この愚か者め! 理想の把律家であれ、と誓ったではないか! バリツの理想は、腕を失った程度で諦めるほど、どうでもいいものだったのか!? 違う! 俺にはまだ、脚がある! そしてバリツの魂がある! 諦めてなるものかよ!!
バリツは。
スノーウィのバリツは、今ここで必要だった。必要とされた。
なれば、今こそバリツの時。
バリツ、そしてバリツ。ただバリツあるのみだ。
一方、リラと揉めていた『監査部』とやらは、ペットが返り討ちにされ驚き戸惑っていた。
「どういうことだ!? まさか、本当に調馴したのか!?」
「…………もちろん」
一部始終を見ていたリラの声は、恐怖ではなく興奮に震えていた。
「私は雪舞鳥を調馴するため、ここに来ました。
滞在中の事故で、使役獣が『葛憑き』となってしまい失ってしまったけれど、調馴には成功しました。
外出手続きに関しては……合理的に考えるなら、お役所内で不幸な行き違いがあって、誤って『申請が通った』と私に通知されてしまったみたいですね。結果的に無断外出になってしまったので、その辺は帰ってから訂正要求をしましょう」
「さっきと言ってることが違うぞ! 罪の自白を……」
「……スノーウィ。これ、蹴って。思いっきり。
分かる?」
リラがひょいと取り出したのは、沢での水くみのために彼女が持ってきたと思しき、魔法瓶サイズの水筒だった。
それをリラは自分の足でカンカン蹴って、スノーウィにお手本を見せた。
――こうか?
スノーウィは、真似して蹴った。
ガァン、と重い金属音が山に響き、スノーウィの爪は金属製の水筒を内側にひしゃげさせながら貫いて、突き刺さった。
人間たちの基準で作られた道具は、化け物シマエナガの爪に対してあまりに脆弱だった。
ともすれば、人体も。
「あなたたちを守る使役獣は、もう居ないんだって分かってる?」
リラは、なかなかにゲスい顔をして、黒服どもに言い放った。
混じりっけ無しの脅迫だった。
あまりの潔さと居直りっぷりに、スノーウィはリラに、呆れつつ感心する。
脅しの片棒を担いだシマエナガとしては……正直、良心は大して痛まなかった。話を盗み聞きしていただけなので正確な事情は全て把握できていないが、黒服どもは何か酷い早合点をして、弁明の機会すら与えずにリラを殺そうとしていたようだから。
「……我々の手には余るぞ」
「ぐっ……
無断外出の罪が消えるわけではないからな! いいな!」
「お説教はあなた方のお仕事ではないでしょ。おつとめご苦労様」
男どもは捨て台詞を吐いて、引き下がる。
「ありがとう」
リラはスノーウィに抱きついて、もふもふの羽毛に『もすっ』と顔を埋め、キスをする。
それから、物言わぬ骸となった相棒の傍らにかがみ込んで、固く抱きしめて頭を撫でた。
スノーウィはぶんぶん脚を振って、爪に突き刺さった水筒をやっと引き抜いた。
――礼を言うのは俺の方だ。
礼の言葉が伝えられぬ事を、スノーウィはもどかしく思った。
リラの行動が、スノーウィにバリツの火を点した。
当然彼女は、スノーウィ(=山部タダオ)の事情など一切知らずに行動していたわけだが、勢い任せな彼女の行動が、スノーウィの運命を玉突き事故のように動かしたのもまた事実。
そして、スノーウィを必要とする彼女は、これからスノーウィにバリツの舞台を与えるだろう。
スノーウィはリラに近づいて、腰のベルトポーチをクチバシで突き、アピールした。
そして、器用なシマエナガクチバシで勝手にポーチを探り、中からリンゴを咥えて出した。
「スノーウィ、それ……」
リラが山に持ち込んだ食料のうち、ひとつ。
彼女がスノーウィにつきまとって食わせようとしていた、艶やかに赤いリンゴだ。
「食べてくれるんだ」
――手付金だろ? ありがたく頂くよ。
スノーウィは、リンゴに爪をめり込ませながら脚で握りつぶして、破砕。
その欠片を口の中で転がして味わってから、呑み込んだ。