【2】シマエナガ(・▴・)、テイマーと出会う
――なんなんだ、この山ガールは?
自分の前に現れた謎の少女とトカゲ荷車を見て、タダオ改めスノーウィは、首を90°近く傾げた。
この世界の人間の言葉は分からないが、彼女が自分に名を付けたのは、なんとなく分かった。
かつて山部タダオであった名無しの鳥に、『スノーウィ』という名前を付けた少女は、じっとスノーウィの方を見ていた。
半分以上は戸惑いから、スノーウィもじっと、少女の出方を窺っていた。
すると少女は、大トカゲに牽かせてきた小さな荷車に手を掛け、引き出し、積み荷をスノーウィの前にぶちまけた。
食い物の山だった。
主に肉。他には穀類ミックス、多少だが野菜や果物も混じっている。
今のスノーウィは栄養バランスもクソもない肉食生活。旅の途上で見かけた獲物に襲いかかっては、生で食らうのが日常だった。山に自生してる果実や木の芽も食えることは食えるが、どう考えても栄養が足りないし、不味い。
対して目の前の食料はどうだ。人類の叡智、品種改良の力が見られる。艶やかなリンゴも、カットされた色鮮やかなニンジンも、小松菜のような外見をした瑞々しい緑の葉物野菜も、宝石のように輝いて見えた。
肉だって『食うため』に育てられた、適度に脂の乗った食肉だ。
だが、それに飛びついてむさぼり食おうという意欲は、あまり湧かなかった。
食欲とは生きる事への欲求だ。生きる目的など最早持たないスノーウィには、美味いメシも色褪せて見えた。
腹が減れば機械的に食う。それができなくなったときに死ぬ。ただそれだけだった。
貢ぎ物を差し出した少女は、多少の距離を保ってじっとタダオの様子を窺っている。
――どうして俺にこんなものを? もしかして、俺を餌付けする気か? そこのトカゲみたいに、俺を使おうってハラか?
サーカスの猛獣使いのように。
いや、猛獣と言うよりも化け物使い、魔物使いか。
――そーゆー商売はしてないし、する気も無いんだがな……
前世では実業団バリツ選手だったわけで、練習以外の時間は働いて給料を貰っていた。だがそれは、バリツのため。生計を立てて生きながらえ、バリツの訓練を積んで栄冠を掴むためだった。
その道が途絶えた今、誰かに飼われてまで生きようとは思わなかった。野生の掟に従って、食える物を食って生き延び、どこかで死ぬ。飢えか、病か、もしくは自分より更に上位の捕食者に狩られてか……
――受け取る気は無ぇ。帰ってくれ。
スノーウィは食べ物の山に背を向けた。
* * *
だが少女は帰らなかった。
ちょうどスノーウィが寝床にしていた山に、テントを張ってソロキャンプの態勢となった。
そしてスノーウィが、自分を力尽くで追い払おうとしないのが分かると、それをいいことに図々しくスノーウィに付き纏い、エサをチラつかせた。それはもう、執拗に。
「ほら、そろそろお腹が空いてきたんじゃない?
おいしいよー。高かったんだよー」
もふもふのほっぺにリンゴを押しつけられて、スノーウィはほとほと困り果ててしまった。
元よりこちらは、行く当ても帰る場所も無い旅ガラス。いや、旅シマエナガ(・▴・)。彼女から逃げて旅立とうかと思ったが、この調子では自分を探して付いてきそうだ。
「うーん……動いてる獲物じゃないと襲う気にならないのかな……?
ほら、これならどう!?」
少女が得意げに転がすリンゴを、スノーウィは見送った。
スノーウィこと山部タダオは、一般的な日本人と同じく、『食い物を粗末にしてはならない』という信仰じみた強迫観念を持つ。
自分のために用意されたメシを捨て置いて腐らせるなど言語道断だ!
「資料とは食性が違う……? でも他に何を……
もしかして、人が見てると食べないとか……?」
少女はブツブツと呟きながら考え込んでいた。
『気持ちはありがたいが、受け取る気は無いから、持って帰ってそこのトカゲにでも食わせてやってくれ』と伝えたい。だが言葉が通じない。ボディランゲージ? それも難しい。この世界の文化が分からないことには、どうすれば伝えられるか見当も付かない。
では、少女が健気に差し出してくるエサを、『腐らせるよりは』と食うべきか? いや、おそらくエサを口にすれば契約成立だ。手付金だけ受け取って仕事をばっくれるなんて最悪だ。それも避けたい。スノーウィは律儀だった。
――おい、トカゲ。俺の代わりにこれ食えよ。
荷車を牽いてきた大トカゲに食物を横流ししてみようと試みたものの、奴はスノーウィに恐れをなした様子で近寄ってすら来ない。目線をやるだけで逃げていく始末だ。
無視してたら諦めて帰ってくれないかな、と思いつつもそうはならず、遂に少女のソロキャンプは三泊目に突入。
新たな人間が山に現れたのは、その日の昼下がりだった。
* * *
少女がテントを離れ、沢まで水を汲みに降りていったところに、彼らは姿を現した。
「リラ・06N60273-E。我々はテイマーギルド監査部です。
合理的な対応を期待します」
黒一色の威圧的な探検装備を身につけた二人組だった。
彼らは、ちょうど少女が大トカゲを連れてきたのと同じように、お供の化け物を一匹ずつ連れていた。鉄の殻を持つカブトムシみたいな奴と、マッチョな狼だ。
「はい、合理的です。
……その。監査部……が、どうしてここに?」
「あなたの虚偽事由による外出許可申請、および無断外出について検めるためです」
狼狽える少女に、黒服は告げる。
何やら物騒な雰囲気が漂っていた。
――あれは警察か何かか?
その会話をスノーウィは、離れた藪の中から聞いていた。
空から獲物を狙う、化けシマエナガの目と耳は、人間よりも鋭いのだ。
キャンプ少女の帰りが遅かったので、ふと気になって探しに来てみたら、何やら別の人間たちが山に入ってきて、トラブルを起こしている雰囲気ではないか。
奇妙なことにスノーウィは、この世界の人間の言語を理解し始めていた。リラ、ことキャンプ少女が自分に話しかけてきたのと、彼女が黒服どもと揉めている会話を少し聞いただけで。何故なのかは不明だが……今はどうでもいい。
「任務外における訓練生の外出は認められていません」
「許可なら申請したじゃない! 使役獣の調達に行くって!」
「却下されましたが、その時、既にあなたは街を出ていました。そもそも外出許可申請の返答を待たないのは、外出が許可されたとしても規則違反です」
「外出の10日前までに申請しなきゃいけないのに、正規の手続きに最短で15日掛かるのが悪いのよ!」
「遵法精神に欠ける発言です。マイナス5点」
「それで期日内に処理してもらうためのワイロが金貨6枚なんておかしいでしょ! 相場の倍も要求されて、はいそうですかと払えるわけないじゃない!」
「遵法精神に欠ける発言です。マイナス5点」
青髪の少女・リラは、必死で抗弁していた。
話を聞いていてスノーウィが分かったのは、何かリラが規則違反をしたらしい、ということ。黒服はそのことでリラを咎めるため、やってきたらしい。
――んん? だとすると、やっぱり国とか町とか、そういうのがどこかに存在するのか。
ここ一年間、スノーウィは世界を飛び回って、文明らしきものを見つけられなかった。
だが、人間どもは明らかに何かのコミュニティの規則の話をしている。リラがトカゲ車で持ち込んだメシだって、文明の力が見て取れるわけで。
そして、どうやら彼らの社会は、なんかすげえ面倒くさいようだ。
「で、でも、その、普通そんなことで、監査部が動くなんて……」
「あなたが申請した外出の事由は、雪舞鳥の調馴でしたね」
黒服は、ベルトに固定された鞄から、馬鹿馬鹿しいほど分厚い書類の束を取り出して、めくった。
どう見ても野外に持って行く量の書類ではないのだが、黒服は慣れた手つきだった。おそらく、あの黒服どもは一日三食書類を食べて生きているのだろう。
「正規のテイマーですらない訓練生のあなたが、ランク5の魔物を調馴しに行くと? 本気ならただの自殺です。あなたが単なる愚か者である可能性も当然考慮しますが、合理的に考えれば、何か別の目的があると疑うに十分でしょう」
調馴。ニュアンスから察するに、魔物を手懐けに行くことか。
スノーウィは、自分が……と言うか、自分の属する種である化け物シマエナガ(黒服どもが言うところの『雪舞鳥』)が、野生の世界ではかなり上位の力を持つと、薄々気づいていた。アフリカで言うならチーター、奈良で言うなら鹿程度に強いだろう。
では。
たとえば専門学校で修行中の調教師見習いが、アフリカでチーターをペットにすると言って格安航空のチケットを取ったら? 普通に考えたら自殺志願者かYouTuberだ。
スノーウィがこちらの世界に転生してから、初めてまともに関わった人間がリラで、当然ながら魔物使いもリラ以外に知らなかった。そのせいで比較対象が無くて気づかなかったが、彼女の行動は不自然で無謀だったのだ。
リラは、身を固くして何か考えている様子だった。
やり込められて言葉が無い、と言うよりも、言いたいことは山ほどあるけれど言葉の無意味さも分かっていて、躊躇っている、という様子に見えた。
「見てください。これ。
……私の理由です」
リラはポケットに手を突っ込むと、破り捨てた後に握りつぶしたと思しき封筒を、取り出して示した。
「それが何か?」
「安楽死局からの通知です。私のお母さんと妹に、先月届きました」
「意思表示の勧めですね。知っています。それが何か?」
「死ねって……言われてるんですよ。家族が」
「安楽死を強制する権限は、安楽死局にもありません。
あなたの家族が嫌だと言うのなら、申請しなければいいでしょう」
黒服の言葉は慇懃無礼、理路整然。
リラの血管がブチ切れる音を、スノーウィは聞いたような気がした。
「分からないでしょうね! あなたたち上級市民は年を取っても病気になっても、意思表示の勧めなんて届きませんから!
これからは何の制度を申請しても、助けになるものの代わりにこの封筒が出てくるんですよ! シャーリーンの……妹の、来月分の薬は、もう買えないんです!」
「仮にそうだとして、都市政府に援助をたかるのではなく自費で賄えばいいではありませんか」
「ええそうですよ! だから稼ぎに来たんです!
確かに私はEランク市民です!
だけど、それでも年の離れたお母さんと病気の妹に『生きててほしい』って願うことの何が悪いんですか!」
「それで規則を破って、身の丈に合わない調馴をしに来たと?
……非合理的ですね。
あなたが個人的な感情によって都市の秩序を乱したことは、よく理解しました」
怒りに満ちたリラの悲愴な叫びにも、黒服どもが心動かされた様子は無かった。
むしろ、制服という拘束具では隠しきれぬ侮蔑と嘲笑の色が、彼らの顔に滲む。
シマエナガは、人間どもの事情全てを把握しているわけではない。
それでも黒服どもの精神が、バリツに反するものであることは理解した。
「ところで、あなたの使役獣は?
先程から姿が見えませんが」
「え?
それは……」
「グルル……」
と、その時だ。
黒服の連れていた巨狼が、唸った。
何事かと、三人は一斉に、狼が威嚇する方を向く。ちょうど、スノーウィとは反対の方だ。
巨狼が威嚇する方から、何かがドタドタと突撃してくる。。
炎のように燃える紅い眼光を引き、そいつは手近な生命体に襲いかかる。
「ギシュルルルルル!」
「ジョー!?」
リラの連れてきた、毒々しい色の荷車牽き大トカゲだった。彼女はトカゲの名を、ジョーと呼んでいた。
狂乱の紅い光を双眸に宿し、酸毒のヨダレを撒き散らしながらジョーは、唸る狼に組み付こうとする。
狼は、身を翻すように飛び下がって回避。
ジョーの口から垂れたヨダレが、河原の石を溶かして白い煙を立てた。
「『葛憑き』だ!」
「やはり作っていたか!」
黒服どもは色めき立ち、背負っていた杖だか棍棒みたいなものを構えた。
――おいおい、どうなってんだこりゃ。こんなの見たことねえぞ。
スノーウィは、唐突な成り行きを呆気にとられつつ観察していた。
あのトカゲの魔物は、終始こちらに脅えていて、借りてきた猫みたいに固まっていた。
それが今はどうだ。正気とも思えぬ……どころか、明らかに異常な様子で、自分より二回り大きい狼に無謀にも食らいつこうとしているではないか。
スノーウィは今までの野生生活で、何百匹もの獲物を仕留めてきたが、こんな訳が分からない状態になった魔物は、こちらの世界に生まれ変わってからこの方、見たことが無かった。
「殺せ!」
監査部と名乗った男どもが命じ、その配下の魔物たちが腕を振るう。
「ゲ……ギシュッ……ゲッ」
鋼鉄カブトムシの、大鎌みたいな前腕に貫かれた大トカゲは、幾度か痙攣して動かなくなる。
無謀な戦いを挑んだ大トカゲは、いとも容易く叩き潰された。
――なんだ。ちょっと驚いたけど、別に強いわけじゃないのか。人間も同じだけど、平凡な奴が狂ったところで平凡なままなんだよな。
事切れた相棒の哀れな姿を見て、リラは愕然とする。
「そんな……ジョーが『葛憑き』に……」
だが、彼女は死を悼んでいる場合ではなかった。
巨狼が、次の相手はこちらだとばかりに、リラの小さな身体を組み伏せたのだ。
「きゃっ!?」
「罪人、リラ・06N60273-E。意図的に『葛憑き』を作り出した罪にて捕縛する」