【14】シマエナガ(・▴・)と努力の在処
五日目の夜。
風除けとなりそうな木々が並んだ陰に、リラは雨除けの布と寝袋だけ出してキャンプとした。
「あー! 今日も疲れたーっ!」
集めた薪にファイヤーボールで火を点けて、リラは焚き火の前にひっくり返る。
――お疲れさん。
スノーウィもリラの隣に座り込んで、彼女の顔を覗き込む。
すると彼女は手を伸ばし、スノーウィの頬をもすもすひっぱたいた。
「本当に無茶やらせるんだから」
魔物を狩るときはまずリラを戦わせ、野山を歩くのもなるべく助けない。
そうしてスノーウィはひたすら、コーチになるつもりでリラを鍛えた。
野山でキャンプしながらこれをやるのだから、ハードな合宿だ。しかしリラは、ぶつくさ文句を言いながらも日程をこなした。と言うかリラは闘技会に出るためのワイロ集めをしているのだから、止めるという選択肢は無いわけだが。
リラの手が力を失って倒れる。
夕飯もまだだというのに、彼女はちょっと横になって休んだ途端、寝息を立て始めていた。どうやら本当に疲れ切っていたようだ。
スノーウィはしばし、焚き火を眺めて、自らも羽と筋肉を休めた。
だが、近寄ってくる物音を聞きつけ、心苦しく思いつつも、リラのデコっぱちをクチバシで突いて起こした。
「ふぇ!? 豚肉!?」
リラが何の夢を見ていたのかはともかくとして。
「あ、ああ、ごめんスノーウィ。ごはん、まだだったよね。
『抵抗剤』も飲まなきゃ……」
叩き起こされた理由を勘違いしたようで、リラは荷物から携帯飼料を出そうとするが、スノーウィは服を引っ張ってそれを止める。
そして、警戒の声で鳴いた。
『あっちだ、あっち』
(※スノーウィの言葉は通じていません)
日が落ちて、夜闇と共に近づいてくる音がある。
人間の聴覚ではすぐには認識できなかったようだが、やがてリラも気づいたようだ。
「……何か来る……?」
だが、『何か』にリラが気づいて杖を構えた頃には、スノーウィは、接近してくるものをシマエナガ聴覚で完全に判別して、警戒を解いていた。
ガチャつく鎧の鳴る音と、荒ぶる獣の鼻息、そして足音。
発光クリスタルのランタンをぶら下げた大猪に、鎧の騎士がまたがって、林の奥から姿を現した。
「やあ。順調かい、リラ君」
「ルシーオさん!」
夜の光に引き寄せられるのは、夏の虫だけではなかった。
* * *
焚き火の前に並んだ戦利品を見て、ルシーオは唸る。
「ほほう……」
化け熊の肝と手。
巨大昆虫の触角。
トカゲとドラゴンの雑種みたいな爬虫類の鱗。
巨獣の腹を割いて、内臓から取り出した結石などなど。
リラとスノーウィが周辺を探索して回り、討伐した魔物から剥ぎ取ったものだ。
「見たところ、5,6匹分といったところか?」
「ですね。
本当はもっと、獲物の全身剥ぎ取りたかったんですけど、持ちきれないので価値がある部位だけ持ってきてるんです」
「魔物討伐の戦利品は、いつだって、持ち帰る労力と価値の両天秤さ。
欲を搔いたばかりに余計な荷物が増えて、帰り道で命を落とした冒険者も多い」
どれにどの程度の価値があるか、スノーウィには分からないので、戦利品の取捨選択はリラ任せだった。
ルシーオの反応を見るに、リラの判断は概ね正しかったらしい。
「いやいや、この短期間で、やるじゃあないか。
流石はスノーウィ号だ」
「私も頑張ったんですよお。スノーウィに無理矢理戦わされましたから」
「何?」
「スノーウィったら、私を主人じゃなくて、出来の悪い妹か何かだと思ってるみたいで。
狩りを教えようとするんですよ!?」
「あっはっはっは! やるな、鳥公!」
ルシーオはスノーウィの背中をもすもす叩いた。
それから、焚き火に掛けていたヤカンから湯をついで、何かの粉末を溶かした。
つんと、アルコールの香りが立ち上る。粉末酒らしいそれを、ルシーオは呷った。
「雪舞鳥だったか……興味深い魔物だな」
「本当なら、遙か北の方に住んでいる魔物らしいですね」
二人の視線がこちらを向いて、スノーウィは首を90°かしげた。
「なんでまた、そんな魔物を使役獣にしたんだ?」
「スノーウィは、何故か一羽だけでこっちに来てて……私はその噂を聞いて……
鳥の魔物って、全体的に賢くて扱いやすいですから。強い魔物でも、もしかしたら私にも調馴できるかなって、挑戦したんです」
「挑戦と言うには、ずいぶん無謀だな」
ルシーオは酒を飲み干して、筋肉を共振させるような重い声で言った。
もし、調馴に向かうところに出会ったら、自分なら止めていたぞと言わんばかりである。
ナタリアはリラの行動を『普通なら死んでいる』と評した。ルシーオも同じく思ったようだ。
「……Eランク市民なんです、私。
妹のために、Dランクへの昇格目指してて……お母さんがお師匠様を泣き落として、入門させてくれたのに、全然ダメで、でも……もう待てなくなって……賭けたんです。命を」
「では、闘技会を目指すと言ったのもそのためか」
ふーむ、とルシーオは、野外訓練五日目で剃りきれないヒゲが浮き始めた顎を撫でる。
「リラ君。スノーウィ号が強いのは分かったが、では君はどの程度戦える?」
「どの程度って……魔法は使えますよ。ちゃんと。
生体魔力容量でしたら、去年の計測で70ちょっとでした」
「違う違う。その数字も多少は改善が必要と思えるが、俺が言っているのはそこじゃない。
技術の話だ。杖を振ればテイマーの仕事は終わりだとでも思っていないか?」
「……どういうことです?」
「魔法の技はそれだけではない、ということだ」
ルシーオは立ち上がると、剣のように腰に提げていた杖を抜いた。
すると、杖は突然伸びた。
杖の先端に、長い光の穂先が生み出されたのだ。それはもはや杖ではなく、槍だった。
――ほう!? こんな魔法の杖もあるのか!
先日戦ったアッシュは、光の槍をぶん投げる魔法の杖を持っていた。
ならば、その穂先を杖の先に着けたままにすれば、杖そのものが槍になるわけだ。そういう魔法の杖があってもおかしくない。
「俺の【猛牛槍】が良い例だ。魔法としての効果は光の穂先を生み出すだけだが……突き、薙ぎ、払う。武術の技を練るほどに威力を発揮するわけだ」
「でも私の【燃えさしの枝】は、火の玉がまっすぐ飛ぶだけですよ。だからこの魔法、買ったんですもん。ややこしい技とか使わなくても、杖を振るだけでそれなりの成果が期待できる魔法です」
「だからってな……何かあるだろう。小さな獲物を狙い撃つ技術とか!」
「まあ、それくらいの工夫の余地なら……」
「工夫の余地を生み出すのは、基本の技だ。その杖を手足のように扱えれば、次なる技も見えてくるだろう」
リラはどうもピンとこない様子で、【燃えさしの枝】の杖を弄ぶ。
「そういうものですかぁ?
なんかすごい威力の隠し技とかないのかな……」
傍で話を聞いていてスノーウィは、無表情な渋面を作る。
――ホント、こいつは……
前世がまるごと人生是努力だったバリツシマエナガとしては、ルシーオの言葉に思いっきり頷ける。今なら水飲み鳥のオモチャより激しく頷く、水飲みシマエナガになれる。激しいヘドバンで、シマエナガ・ロックだってできる。
だがリラの反応は、もどかしいほど鈍かった。
「努力の積み重ねを面倒に思ってはいかんぞ。それが勝負を決めるのだから」
「努力……ですか。
何年掛けて、努力を積み上げても……それが無意味だって後で分かったり、何かのきっかけで全部蹴散らされたりして……その時、どうするんです?」
リラ自身も、テイマーとして七年間修行して芽が出なかった身の上である。
しかし今リラが言ったのは、リラだけの話だけではなかろう。
家族のために人生一発逆転を目論んだリラの行動が、努力を積み重ねて人生を上向かせようとしたアッシュを叩き潰して、狂わせた。
それを彼女は目の当たりにしたばかりだ。
『努力など無意味である』。
……と、リラが強く思ったとしても、無理なからぬことではあった。
「努力が報われる保証など、無いさ。
それでも我らは努力を積む以外に何もできぬ。届かずとも、崩されるとも、また次の努力を積むのだ。その営みが真の実力となる!」
「そんなことしてる間に、人生終わっちゃいますよ……」
リラの言葉は静かに消え入るかのようで。
だが、容易くは動かせぬ、鉄の重さをスノーウィは感じた。
「報われるか分からない努力より、簡単にそれなりの成果が出る工夫の方が、大事じゃないですか?
この『冒険手引』だって……」
リラは、ルシーオの書き込みによって有用な攻略本と化したクソ雑誌を、荷物から取り出してめくった。
「何が何でも100%絶対に役に立つと思って、買ったわけじゃなかったんです。
私が払ったのは多少のお金だけ。仮に役に立たなかったとしても、人生は終わりません。
でももし役に立ったら、人生の近道ができる。
……そういう賭け方をする方が、努力に賭けるより合理的じゃないですか?」
ルシーオは鼻に息を溜めるように唸り、聞いていたスノーウィもクチバシを軋らせた。
「参ったな。俺はそんなつもりで君を助けたわけではなかったのだが……」
「あの、その節は……ありがとうございました」
「礼など構わぬ。
だが、ううむ……」
むしろ、リラはよく考えているとさえスノーウィは思った。
コスパ、タイパ、リスクとリターン。
実を結ぶか分からない努力に人生を投げ捨てるよりも、小手先の誤魔化しで成果を取りに行く方が、確かに人生の期待値は高くなるだろう。
狂気の努力を積み重ねてバリツを極め……最後の最期に突き落とされた山部タダオだからこそ、そう言える。
しかして。
努力でしか購えぬものがあるのだ、とも、バリツ・シマエナガは知っていた。
「闘技会は魔境だ。技を極めようとするテイマーが集っている。……と言って、俺もまだ出たことは無いがな……
使役獣だけ強くても足下を掬われるぞ!」
熱く拳を握って、ルシーオは暑苦しく熱弁する。
その言葉もリラに届いた様子はなかった。
――別にリラは怠け者じゃねぇんだ。ただ、リラには時間が無い。それどころか才能も無ければ、これまでの積み重ねも碌に無い。そのせいで一発逆転主義に走ってるんだ。
スノーウィもかつては定命の人間であり、今だって、永遠の命を持つ不死鳥ではなくて一羽のシマエナガだ。
何度突き崩され、敗北しても、次の努力を積む? ……そんなことをしている間に、時間が尽きるというのもまた、残酷な摂理だった。
山部タダオの場合はアスリート寿命の限界。そして今のリラは、家族の事情。リラの場合、終わるのは、リラの人生の前に家族の人生なのだ。
――努力、か。俺も栄冠を逃す度、努力に裏切られた気分だった。それでもひたすら特訓を続けて、飯谷のヤローの背中が見えた、わけだが……
思えば前世の俺は、リラに比べればまだ恵まれていた、俺自身のためにバリツに打ち込めたし、世界で二番目になれる程度の才能はあった。
その点、リラは……
実を結ぶかどうかも分からない努力を、のんびりやっている時間はない、という考えは理解できる。
山部タダオが最後の最後まで自分の努力に運命を賭けられたのは……賭ける気になったのは、それまでの長い積み重ねがあったことと、自分の才能を信じられたからだ。
自分と同じように努力しろと、リラには言い難いのも確かではあった。
――……だとしても、目の前の努力を放棄する理由があるとは、俺には思えん!
たとえ時に無意味だとしても、努力することには意味があるともスノーウィは思う。
だがしかし、その意味を知らない者に説明することはとても難しい。努力が実を結ぶ感覚を知らない者には、全てが無意味に見えるのも仕方がない。
「とにかく、私は闘技会に出て、Dランク市民になります。
その程度なら……スノーウィの力でどうにかなるでしょうし」
「うむ……」
焚き火は、燃えていた。
やがて燃え尽きるまで。