2 ”腐れ”縁の幼馴染
2 ”腐れ”縁の幼馴染
次の日の朝――
僕はアパートの前で、いつものように鍛錬を始める前にストレッチをしていた。
僕が住んでいるのは、教会直営のアパート「天使の園荘」だ。
表向きは孤児のための住居だが、実態は“天界関係者専用”の特別な場所。
住人は僕とセリア、そして天使時代の先輩。……つまり、少し特殊な住まいなのだ。
そんな環境の中、僕はこの世界に来てから、雨の日以外は毎朝かかさず鍛錬を続けている。
二年制の【聖徒戦士養成校】をギリギリで卒業し、今は【聖徒戦士高等訓練校】の試験を受けるために、負荷高めのメニューに挑んでいる。
二年制の【聖徒戦士養成校】をギリギリ卒業し、今は【聖徒戦士高等訓練校】の入学試験に向けて、負荷の高いメニューに取り組んでいる最中だ。
【聖徒戦士養成校】や【聖徒戦士高等訓練校】について話すと長くなるので、それはまた今度にするとして――
僕が高等訓練校を目指すのは、より高い戦闘技術を身につけて、生き残る確率を少しでも上げるためだ。
ちなみに「聖徒戦士」という名称は、この世界の人々が主(神様)を信仰する【神聖教】の信徒であることに由来する。“聖なる信徒の戦士”、というわけだ。
しかし、本当の理由は冒険者や探索者より神聖そうに見せるための、教会による印象操作だと僕は考え―― おっと誰か来たようだ。
「おはよう、宙哉。今日も精が出るわね」
挨拶してきたのは、近くの洋館に住む幼馴染<ルシエル・モルゲンシュテルン(17)>であった。
彼女はふわりと黒い日傘を傾けながら歩いてくる。
日傘の陰でも、彼女の白い肌は朝の光を受けたように艶やかに輝いていた。
肩より少し長く伸びた銀髪は、薄い影の中でもキラキラと煌めき、歩みに合わせて静かに揺れる。ややつり上がった青い瞳が涼やかにこちらを見つめ、その視線には自然とクールな気配が漂っていた。
神が造ったような整った顔立ちと白磁の肌。その美しさは、息をのむほどだった。
身に纏った黒のストリートロリータは、その銀髪と白い肌を一層引き立てており、すらりとした身体とあいまって、まるで二次元の世界から抜け出してきたかのような印象を与える。それでいて、どこか親しみやすい可愛らしさも、彼女の存在から滲み出ていた。
――と、ここまでルシエルの美しさをべた褒めしてきたけれど、そんな完璧美少女にも、実はひとつだけ気にしているところがある。それは――
どこがとは言わないが、かなり控えめな部分があるのだ。
他者の視線から誤魔―― 守るように幾重にも重ねられたフリルは、彼女のその秘密をそっと隠している……。が、正直、周囲にはバレている。
それでも、これまでの人生で僕が出会った人(天使)の中でこの美しさに匹敵するのは…… 主が創造した天使の中で最も美しいとされる天使ルシフェルと次点でミカエル様だろう。あと、これは完全に身内贔屓だけど、天使時代の義妹・さーちゃん(天使サブカルフォン)ってことにしておこう。
「おはよう、ルシエル」と挨拶を返しつつ、僕はさっそく話しかける。
話題は、昨夜の深夜アニメについて。僕らが仲良くなったきっかけがアニメと漫画だったからだ―― 決して僕が陰キャヲタクで、他の話題についていけないからではない。
「昨日の”さくらいろすけっち”は、話も作画も良くて最高だったな」
”さくらいろすけっち”は、現在大人気の高校を舞台とした日常系百合漫画だ。作者は<えいぷりる・ふ~る>先生。なおちょっとエロい。
「そうね、よかったわね」
会話と言っても、熱量の高い僕が七割くらい喋っていて、彼女の割合は三割くらいだ。
しかし、僕がひと通り語り終えると、ここからは攻守交代となる……。
「じゃあ、次は昨日の“佐々野と宮木”の話ね!」
弾んだ声でルシエルが言う。
普段はクールな彼女が、BL作品の話になると一気に温度が上がる。まるでそれが本当の姿であるかのように――というか、実際そうなのだ。
「は、はい……」
少しだけ気圧されながらも、僕はいつものように耳を傾ける&相槌モードに突入する。
それから、約三十分……
ルシエルの熱気は未だ冷めやらず、ひたすら語り続けていた。
「それに、あの最後のシーン! 佐々野を見る宮木の表情……。あれ、完全に堕ちた顔だったわね。二十回見直したから、間違いないわ!!」
「にっ… 二十回……」
思わず呟くと同時に、その回数に一瞬ドン引きしてしまう。だが、そんな僕の反応など意に介さず、腐女子エルは勢いよく語り続ける。
「それに、あのシーンは―― っ!? ごめん……。私ったら、また熱くなっちゃって……」
僕の辟易とした顔に気づいたのか、ルシエルはようやく我に返り、少し照れたように謝った。
「あ、いや……、かまわないよ……」
その顔があまりに可愛くて、思わずドキッとしてしまう。
今さらだけど、ルシエルは“お腐りになっている”女の子だ。
BLの話になると、普段のクールさがどこかに吹き飛ぶ。
それが理由なのか、これほどの美少女なのに、恋人ができたことは一度もないらしい。
ちなみに、百合ジャンルも嗜んでいる。昔、ある知人に勧められたのがきっかけだとか。
でも、本命は今も変わらずBLだ。
いつからか、僕たちはアニメを見た後、こうして会ったり、無料通話アプリで語り合ったりするのが習慣になっていた。
とはいえ、BLの話になると僕は完全に聞き役だ。
それでも、ルシエルと話すこの時間は、なんだかんだ楽しかったりする。
ちなみに、こんな腐女子モードのルシエルを見られるのは、僕だけらしい。
「こんな私を見せるのは…… 宙哉だけなんだから……」
ルシエルは照れたように上目遣いで僕を見上げ、体をクネクネさせながら、そう告白された時は……
「正直、僕もあまり見たくなかった……」と、言えなかったので、「そ、そうなんだ……」と苦笑いで返すしかなかった。
「……ところで、話は変わるけど…… もう、聖徒戦士は諦めたら? 宙哉の能力じゃ、死ぬだけよ」
「……」
あまりに唐突な話題の転換に、僕は言葉を失った。
内容もそうだが、さっきまでの“腐女子モード”との落差に戸惑ってしまったのだ。
「それとも、まだイアン・カブラギになれるとでも思ってるの?」
<イアン・カブラギ>
約二百年前、「役立たず」として最初のパーティーから追放された男。
だが、半年間の鍛錬を経て覚醒し、真の仲間たちとともに上級魔族を討ち果たした英雄。
死後は聖人に列せられたが、その奇跡は希望にも、ある意味で“呪い”にもなった。
彼の奇跡譚は、才能のない者たちに「努力すれば自分も覚醒できる」という夢――いや、“甘い幻想”を見せてしまうのだ。
「イアンみたいな奇跡は、あの人だけのもの。だから、アナタもミコも、もう諦めたほうがいいわ」
ルシエルの言うとおりだった。
この世界で活躍できるのは、“優秀なギフト”を授かり、その能力に見合う努力を積んだ者だけ。
実際、イアン・カブラギが活躍できたのも、本当は――
教会の資料には載っていないが、彼が“優秀なギフト”の持ち主だったからに他ならない。
なぜ、僕がそんなことを知っているのか、それは――
(……わかってるよ、そんなこと。だって僕の前世が、その”イアン・カブラギ“なんだから……)
心の中で、そっと呟く。
僕は、前前世での善行が評価され、チート級のギフトを授かった。
そして、二百年前、この世界に“イアン・カブラギ”として転生する。
けれど、生前の僕はただの陰キャヲタク。
突然与えられた力を使いこなせず、最初のパーティーでは“役立たず”として追放されてしまった。
だが、その後の半年間の鍛錬によって、能力を自在に使いこなせるようになり、同じく転生してきた仲間たちとパーティーを結成。
その後、僕たちは人類最大の脅威――“最上級魔族”二体の撃退に成功する。
これまで撃退された“最上級魔族”は十三体のみ。
これまでに“最上級魔族”が撃退された例は、たったの十三体。そのうち九体は救世主(神の子)によるもの。僕たちは二体。残りは、ほかの英雄たちが一体ずつ。
しかも、撃破できたのが、救世主によるルシファーの一体のみ。
これで僕たちの偉業がどれほど凄いか、わかったことだろう。
――え?「救世主に比べたら、ぜんぜんすごくない」って?
あっ、はい……
まっ まあ―― ともかく、その時の活躍とその他もろもろの功績が主(神様)に認められ、僕は天使になったのである。
「今の宙哉では、魔族や魔物に殺されるだけよ」
「そっ そんなことないよ。魔界門周辺で活動するから、大丈夫さ」
僕はすぐに反論しようとしたが、彼女の言っていることはあながち間違っていない。だから、言葉を詰まらせながら苦し紛れに言い返すしかなかった。実際、僕が相手にできるのは、魔界門の近くに棲んでいる弱い個体だけなのだ。
「確かに魔界門周辺は、弱い個体が多いわ。でも稀に強い個体が流れてきて、犠牲者が出ているじゃない!」
「……」
魔界には【魔素】と呼ばれる物質が大気中に漂っており、魔界の奥地に行くほどその濃度は高くなり、それに比例して“魔のモノ”(魔物や魔族)は強くなる。
そのため、自然と濃度の薄い魔界門周辺には、弱い個体が生息することになり、実力の低い戦士たちの討伐対象となっていた。
「そもそも安全な職業は、いくらでもあるわ。……なんだったら、私の屋敷で執事として一生雇って―― ゴニョゴニョ……」
ルシエルはそう言って、赤くなった顔をそっと日傘で隠した。
――が、女性慣れしていない陰キャヲタクの僕が、そんな彼女の機微に気づけるはずもない。
「ごっ ごめん。”執事が”の後、なんて言ったの?」
だから、気持ちを汲み取ることもできず、途中から聞き取れなかった部分を、つい何の気なしに聞き返してしまう。
「――っ!?」
フルフルと震える黒い傘の隙間から見えたルシエルの口元は、なぜか引きつったようにピクピクしていた。――が、それもすぐに、元の整った美しい形へと戻る。
そして、彼女は怒りをぶつけるように叫んだ。
「私の屋敷で、”執事と主人モノのBLもちろん18禁”を一緒に見ようって言ったのよ!!」
「どうして今の話の流れで、急にそんな提案を!?」
あまりに予想外すぎる回答に、僕は思わず素でツッコミを入れる。
「とっ、とにかく! もう一度冷静に自分の能力を見つめ直して、今後の進路を考え直すべきだわ」
彼女は日傘で顔を隠したままそう言い、ひらりとストリートロリータの裾を優雅に翻す。そして、去り際―― 悲しそうな声で、僕に語りかけてきた。
「宙哉がいなくなったら、私は…… 私は……」
「ルシエル……」
「誰とBLを語ればいいのよ……!」
「ネットの掲示板で語ればいいんじゃないかな」
「宙哉のバカーッ!! 宙哉のヘタレ受けーー!!」
「誰がヘタレ受けだよっ!」
ルシエルは涙声でそう罵ると、その場を駆け出して行った。
彼女の心配する気持ちは、とても嬉しい。
正直、僕自身も聖徒戦士は厳しすぎるんじゃないかと思っている。なんなら”公務員に就いたほうがいいんじゃないか?”と考えたこともあった。
けれど、主が“ハズレ枠”だったとしても、僕に戦闘系のギフトを授けたということは――
<戦いの場で命を懸けて善行を積み、罪を贖罪せよ>
……ということなのだろう。だから、危険は承知の上で聖徒戦士として生きるしかない。
そして、どうせ戦うなら“世界の消滅を防ぐ”ために頑張りたいのだ。
(少し遅くなったけど、走り込みに行くか)
そのためには鍛えるしかない! ということで、僕は次の鍛錬メニューであるランニング”を始めることにした。