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第2章「光の少女の入学」


朝の講堂に差し込む光は、水晶のシャンデリアに反射して虹色の輝きを放っていた。新学期最初の全校集会。私はフロストヘイヴン家の名に恥じぬよう、背筋を伸ばして着席していた。


昨夜は母の日記帳を読み漁った後、なかなか眠りにつけなかった。頭の中は前世の記憶とこの世界の情報が混在し、目を閉じるとセレスティア・ブライトの笑顔と、その後の断罪の場面が交互に浮かんでは消えた。


周囲では上流貴族の子女たちが小声で噂話に興じている。富と権力を象徴する宝石のきらめき、高価な香水の芳醇な香りが満ちる空間。その中で私は孤独を感じていた。


「お静かに」


校長のヴァンダイク卿の声が響き、ざわめきが収まる。彼は銀色の髭を整えながら、喉を軽く鳴らした。木の杖で床を軽く叩く音が広間に反響する。


「今年度より、特別入学枠での入学を許可された生徒を紹介します。セレスティア・ブライト」


その名前を聞いた瞬間、全身に電流が走った。心臓が早鐘を打ち、手の平に汗が滲む。いよいよ始まるのだ。


入場してきた少女は、輝くような金髪と翡翠色の瞳を持ち、小柄ながらも凛とした佇まい。学院の制服は彼女の上では別のものに見える。まるで光を纏っているかのようだった。歩く姿には不安と緊張が見えるが、それでも芯の強さを感じさせる。


ざわめきが講堂を満たす。「平民が?」「特別枠って何?」「あの子、可愛いわね」「でも場違いよ」


「彼女は平民の出ではありますが、稀有な光属性魔法のS級の才能を持つ者。王国の未来のために育成すべきと、陛下のご意向により入学が認められました」


校長の説明に、さらに大きなざわめきが起こる。魔法のS級は百年に一人と言われるほど稀。それも光属性となれば、なおさらだ。


私は彼女を見つめながら、心の中で呟いた。


「始まった…」


ゲームのオープニングシーン。ここから物語が動き始め、やがて私の「断罪」へと繋がっていく。その運命を変えられるのか?胸に下げた氷翡翠のペンダントがわずかに脈打つように感じた。


———


「なんて身分不相応な。平民のくせに特別扱いなんて」


「貴族の子が何年もかけて学ぶ礼儀作法も知らないのに」


「きっとただの道化でしょ。すぐに退学するわよ」


授業開始前、教室では貴族の子女たちがセレスティアの悪口で持ちきりだった。窓から差し込む陽光の中で囁かれる悪意の言葉に、私は居心地の悪さを覚えた。


私の隣でミランダがくすくすと笑う。薔薇の香りを漂わせながら、彼女は巻き毛を指に絡ませていた。


「アイリス様はどう思われます?あの子、レヴィン王子様と幼少期に出会ったことがあるって噂まであるのよ」


透き通った声だが、その目は細められ、試すような色を帯びていた。


ゲームの中のアイリスなら、この場面でセレスティアを徹底的に貶めるはず。「平民の分際で王太子に近づくなど烏滸がましい」と言い放ち、いじめの先導役になるだろう。でも今の私はそうはしたくない。かといって、いきなり擁護すれば周囲の疑いを買う。


「私の婚約者の過去なんて、どうでもいいことよ」


冷たい笑みを浮かべながら答える。喉が締め付けられる感覚と戦いながら。攻撃はしないが、擁護もしない。微妙なバランスを保つのが精一杯だった。


その時、教室のドアが開き、セレスティアが入ってきた。


瞬間的に教室が静まり返る。彼女の存在感が部屋の空気を変えた。光の魔法使いなのだ、と改めて感じる。


彼女は恐る恐る席に向かおうとしたが、誰かが足を出し、つまずかせた。床に膝をついたセレスティアの顔が赤く染まる。膝から伝わる痛みが私の胸にも響くようだった。


「まぁ、平民は歩き方も知らないのね」


誰かが言い、教室に笑い声が広がる。


私は彼女を助けたいという衝動に駆られたが、それはできない。ここでアイリス・フロストヘイヴンがヒロインを助ければ、物語の流れが大きく変わる。情報が足りない今、そんなリスクは取れない。


代わりに、さりげなく机の上の筆記用具を落とした。「あら」と小さく呟き、ペンが床に転がる音をわざと大きくした。


周囲の注目が一瞬私に集まったその隙に、セレスティアは何とか席にたどり着いた。彼女の緑の瞳に安堵の色が浮かぶのが見えた。


ミランダが私の耳元で囁く。「アイリス様、今のわざとでしょう?」


「何のことかしら?」


冷淡に答えながらも、内心では動揺していた。ミランダの洞察力は侮れない。


———


昼食時、私は噴水庭園の東側にある日陰のベンチに座っていた。ここは視線を避けつつも、学院の中央広場を見渡せる絶好の位置だ。噴水から飛び散る水滴が太陽に輝き、かすかな虹を作っている。


「お嬢様、こちらにお食事を」


リディアが運んできた食事は、いかにも上流貴族の昼食といった趣。銀のトレイに並べられた繊細な料理の香りが漂うが、今の私の気分ではとても喉を通る状態ではなかった。胃がきりきりと痛み、焦燥感に襲われる。


「リディア、見て。また始まったわ」


広場では、上級生たちがセレスティアを取り囲み、彼女の持っていた本を奪い合っていた。セレスティアの抗議の声が風に乗って届く。


「貴族の世界を理解できるはずがないわ」


「無駄な努力しないことね」


他の生徒たちは笑いながら見守っている。その光景は何度もゲームで見た展開そのもの。でも今は画面越しではなく、目の前の現実だ。


「…何もできない」


私はベンチから立ち上がり、広場の反対側へ歩み去った。このまま見ていても、助けることはできない。さらにはフロストヘイヴン家の令嬢として、こんな「小さないじめ」に介入するわけにもいかない。しかし足取りは重く、各歩みが痛みを伴うようだった。


リディアが私の後を静かについてきた。彼女は私の苦しみを察しているようだ。


「お嬢様、あの子のために何かできることはありますか?」


「直接的には何もできないわ…でも」


ふと思いついて、足を止める。庭の石畳に小さな花が咲いている。光を求めて育つその姿に、閃きを得た。


「図書館へ行きましょう」


———


夕方、私は学院の図書館で魔法理論の本を読んでいた。「光属性魔法の基礎と応用」というタイトルの古書だ。埃の匂いと古い羊皮紙の香りが鼻をくすぐる。長い歴史を感じさせる図書館の静寂が、私の心を落ち着かせる。


光属性は治癒と防御に長けているが、その力を制御するのは難しい。特にセレスティアのようなS級の使い手は、適切な指導がなければ魔力の暴走リスクがある。


「氷と光…相性がいいのね」


ページをめくると、興味深い記述を発見した。指先が震えるほどの発見だった。


『氷の魔法は光を屈折・反射させることで、その力を増幅または制御することができる。古代においては、光の魔術師と氷の魔術師がペアを組み、強大な治癒魔法を行使していたという記録が残る。最も著名な例は「翡翠の光」と呼ばれた伝説的な魔法だが、その詳細は失われている。』


「私とセレスティア…」


不思議な縁を感じた。これは偶然ではない。私が彼女を助けるべき理由があるのかもしれない。


そのとき、図書館の入り口から小さな物音がした。本のページがこすれる音に続いて、誰かが息を呑む音。視線を上げると、セレスティアが恐る恐る入ってくるところだった。彼女の制服は少し汚れ、髪も乱れている。いじめの跡だ。


私たちの視線が合い、彼女は一瞬たじろいだ。ゲームでは、アイリスはセレスティアを徹底的に迫害する立場。彼女の恐怖は当然だった。体が小さく震えているのが見える。


「す、すみません、失礼します」


彼女は小さく頭を下げ、すぐに離れた書棚に向かおうとした。その肩には諦めが乗っているようだった。


その背中を見て、突然決断した。直接助けることはできなくても、間接的なら...


「待ちなさい」


冷たい声で呼び止めた。セレスティアの肩がビクッと震える。彼女の緑の瞳に恐怖が浮かぶ。


私は立ち上がり、彼女に近づく。心臓が激しく鼓動し、一瞬迷いが生じる。でも引き返せない。周囲には誰もいないことを確認してから、手に持っていた「光属性魔法の基礎と応用」の本を彼女に差し出した。


「あなた、これ読みなさい。特に第7章は重要よ」


セレスティアは困惑した表情で本を受け取った。彼女の指が震えている。


「で、でも…なぜ私に?」


「別に親切でやっているわけじゃないわ。単に、あなたみたいな者が魔力暴走を起こして学院に迷惑をかけるのが嫌なだけ」


冷たい口調で言い放ち、彼女の横を通り過ぎようとした。胸がきゅっと締め付けられる感覚。この言い方でしか助けられない自分に苛立ちを覚える。しかしその時、小さな声が聞こえた。


「ありがとうございます、フロストヘイヴン様」


心臓が小さく跳ねる。振り返らずに図書館を後にした。でも、彼女の言葉は私の中で温かく共鳴していた。


———


「お嬢様、見つけました」


その夜、リディアは私の部屋に一冊の古い日記帳を持ってきた。母の形見だという。


「これはお母様が残されたもの。特に後半のページには、『氷翡翠の伝説』について詳しく書かれています」


手に取るとかすかに薔薇の香りがした。母の香り。指先が懐かしさで震えた。


ページをめくると、美しい筆跡で書かれた記録が目に入る。その文字はまるで生きているようで、一つひとつが私に語りかけてくる感覚だった。


『氷翡翠の真の力は、時の流れを見通すこと。その力を持つ者は「巫女」と呼ばれ、世界の危機が訪れるとき、導き手となる』


『光の守護者と氷の巫女が力を合わせたとき、世界の均衡が保たれる』


『我が愛しい娘が目覚める日が来ることを、私は知っている』


最後の一文に、息が詰まった。胸が熱くなり、目に涙が浮かぶ。これは…母が私に向けて書いたもの?まるで今の状況を予見していたかのようだ。


「リディア、この日記の日付…私が生まれる前のものもあるわ」


「はい、お母様は不思議な予知能力をお持ちだったと言われています。『氷翡翠の巫女』の血筋を引く者として」


氷翡翠の巫女…。その言葉が胸に響く。私は単なる悪役令嬢ではなく、何か特別な使命を持っているのだろうか?


「他に何か、母についての情報は?」


「実は…お母様の死因について、不審な点があります」


リディアの言葉に、背筋が凍った。部屋の温度が急に下がったかのようだ。


「公式には病死とされていますが、侍女長として仕えていた私は、毒殺の疑いがあると感じています」


「毒殺?誰が?」


心臓が激しく鼓動する。母の最期の情景が断片的によみがえる。幼い私がベッドに横たわる母の手を握り、涙を流す場面。もしそれが病死ではなく、誰かに殺されたものだとしたら?


「それは…まだ証拠がありません。でも、お母様の死の直後、お父様が再婚された継母様が…」


ドロシア・フロストヘイヴン。私の継母であり、常に冷たい視線を向けてくる女性。彼女は宮廷に大きな影響力を持つ家の出身だった。


「調査を続けて」


その夜、私は母の日記を読み続けた。そして翌朝、決意を固めた。


単に「断罪」から逃れるだけではない。この世界には、もっと大きな秘密と使命がある。そして私とセレスティアは、その中心にいるようだ。肩に重圧を感じながらも、心には奇妙な興奮も生まれていた。


———


「本日の実技授業では、属性ごとにグループを組み、対抗戦を行います」


マーカス教授がそう宣言すると、教室にざわめきが起こった。実技場の床から立ち上る魔力の匂いと、魔法石の微かな輝きが空間を満たしている。


「氷属性、火属性、風属性、土属性、そして…光属性」


最後の言葉で、全員の視線がセレスティアに集まる。光属性は彼女一人だけ。孤立無援の彼女に同情の念が湧いてきた。


「光属性は氷属性と組みなさい。相性がいいからね」


その瞬間、私の周りにいた氷属性の生徒たちがざわめいた。誰も「平民」と組みたくない。彼らの顔には嫌悪や軽蔑が浮かんでいる。


「私が組みましょう」


自ら名乗り出た私の言葉に、教室が凍りついたように静まり返った。「氷の令嬢」が平民と組むなど、前代未聞の事態だ。一瞬、全ての音が消えたかのような沈黙が訪れた。


ミランダが驚きの表情を隠せずにいる。「アイリス様…?」彼女の眉が不自然に釣り上がっていた。


「別に彼女のためではないわ。単に勝ちたいだけ。光と氷の相性は理論上最強だもの」


冷淡に言いながらも、内心では胸が高鳴っていた。これが私の最初の一手。表向きは冷酷を装いながらも、セレスティアと接触する機会を作る。


セレスティアは驚きと恐怖が入り混じった表情で私を見つめていた。彼女の瞳には疑いと希望が同時に浮かんでいる。


「勘違いしないで。あくまで勝つための戦略よ。あなたの光の力が使えるなら、それを利用するだけ」


彼女は小さく頷いた。「わかりました、頑張ります」


実技場に向かう途中、彼らの視線を感じながら、彼女が小声で言った。


「本、役立ちました。ありがとうございます」


返事はせず、ただ前を見て歩き続けた。しかし、それでも私の心は少し温かくなっていた。無言の連帯感が二人の間に生まれつつあるのを感じた。


———


実技場は広大な円形のアリーナ。透明な魔法バリアで囲まれている。天井からは魔力の結晶が吊るされ、青白い光を放っている。床からは微かに力が漏れ出し、皮膚に軽い痺れを感じる。


「今日の課題は、対抗チームの魔法陣を無効化すること」


マーカス教授は各チームに小さな魔法陣の刻まれた石板を渡した。石板には古代語で複雑な文様が刻まれ、触れると微かに脈動しているのがわかる。


私たちのチームは氷と光。対するのは火と風の組み合わせで、ミランダたちのチームだった。彼女は薄笑いを浮かべながら、私たちを見ている。


「セレスティア、聞きなさい。私が氷の障壁を作る。あなたはその後ろから光の魔法で敵の魔法陣を照らして」


彼女は緊張した面持ちで頷いた。近くで見ると、彼女の翡翠色の瞳には小さな金色の斑点があることに気づく。


「はい、でも…私、まだ魔力の制御が…」彼女の手が小刻みに震えている。


「大丈夫、私の氷が光を正しい方向に屈折させる。第7章に書いてあったでしょう?」


彼女の目が驚きで大きく開いた。「読んでくださったんですね」


返事はせず、戦闘態勢に入った。でも心の中では「当然よ」と答えていた。


「始め!」


マーカス教授の合図で対戦が始まる。実技場に緊張感が走り、魔力が空気を震わせる。


ミランダたちのチームが真っ先に攻撃を仕掛けてきた。炎の渦が私たちに向かって飛来する。その熱気が顔に当たり、一瞬息が詰まる。


「Glacialis Murus!」(氷の壁)


私の唱える言葉と共に、地面から氷の壁が立ち上がり、炎を防いだ。壁は透明な青色で、まるでクリスタルのように光を通す。氷の冷気が周囲に広がり、私の力が実技場一杯に満ちていく感覚。


「今よ!」


「Lux Divina!」(神聖なる光)


セレスティアの掌から放たれた光の束が、私の氷の壁を通過する。壁が光を増幅し、完璧な角度で屈折させ、対抗チームの魔法陣に命中した。眩しい光に目を細める生徒たちの歓声と驚きの声が混じり合う。


魔法陣が光を受けて震え、そしてゆっくりと消え始めた。


「まさか…!」


ミランダの驚愕の声が聞こえる。彼女の計算通りにはいかなかったようだ。


しかし、勝利の瞬間、予期せぬことが起きた。セレスティアの魔力が不安定になり、光の魔法が暴走し始めたのだ。


彼女の周りを光の粒子が渦巻き、制御不能になっている。「助けて…!」彼女の叫び声に恐怖が混じる。彼女の体が宙に浮き始め、まるで光に飲み込まれそうになっている。


反射的に、私は彼女のもとへ駆け寄り、両手を掲げた。心臓が激しく鼓動し、額に冷や汗が浮かぶ。でも彼女を見捨てるわけにはいかない。


「Glacialis Catena!」(氷の鎖)


繊細な氷の鎖が光の粒子を捕らえ、整列させていく。氷の結晶が光を反射し、美しいオーロラのような現象が起きた。実技場全体が青と白の光のハーモニーに包まれる。


息を飲むような光景に、実技場全体が静まり返る。まるで時間が止まったかのようだ。


やがて光は収まり、セレスティアは膝をついて息を切らしていた。彼女の顔は青白く、力を使い果たした様子だ。


「大丈夫?」


思わず優しい声で尋ねてしまった。その声には本当の心配が滲んでいた。周囲の視線を感じ、慌てて表情を引き締めた。


「次からは自分の力をきちんと制御なさい。迷惑よ」


冷たく言いながらも、そっと彼女の腕を支えて立ち上がらせた。彼女の肌は触れると熱く、まるで魔力の余波がまだ残っているようだった。


帰り際、マーカス教授が私に近づいてきた。彼の鋭い目が私を観察している。


「フロストヘイヴン嬢、素晴らしい連携でした。光と氷の魔法は古来より特別な関係があると言われています」


「ええ、少し調べてみたんです」


「続けなさい。君たち二人には特別な才能を感じる」


教授の言葉に、何か大きな意味があるような気がした。彼の視線には単なる称賛以上のものが含まれていたように思う。


———


夕暮れ時、宿舎への帰り道。空は赤と紫のグラデーションに染まり、学院の尖塔が黒いシルエットとなって浮かび上がっている。中庭の噴水付近で、数人の上級生がセレスティアを取り囲んでいるのが見えた。


「平民が調子に乗るから、お仕置きよ」


彼女たちはセレスティアの持ち物を水に浸している。セレスティアの抗議の声と、女生徒たちの嘲笑が交錯する。


心の中で呪いながらも、私は違う道を選ぼうとした。直接助ければ「氷の令嬢」の評判に傷がつく。それはまだ避けたかった。胸が痛むような罪悪感と、自分の臆病さへの怒りが混じり合う。


「お嬢様」


リディアが小声で言った。「あちらは…」


振り向くと、ミランダが木陰から状況を眺めている姿が見えた。そして、彼女の唇に浮かぶ薄い笑み。勝利を確信する狩人のような表情だ。


「まさか…あの子の仕業?」


彼女は私に気づくと、優雅に手を振った。「アイリス様、素晴らしい実技でしたわね」


「ええ、ありがとう」


冷静に返しながらも、頭の中は回転していた。ミランダは私とセレスティアの関係に何か感づいている。そして、私を試しているのだ。


「あらら、あんな所で何かしら」


わざとらしく噴水の方を指さすミランダ。彼女は私の反応を見ている。その計算高さが腹立たしい。


「つまらないいじめね。下品だわ」


私は鼻で笑い、無視して通り過ぎようとした。


「おや、アイリス様がそう言うなんて意外ですわ。だって…彼女をいじめるよう指示したのはアイリス様だと、みんな思っていますもの」


足が止まる。心臓が激しく鼓動する。


「何ですって?」


「ええ、『あの平民を懲らしめて』とアイリス様が言ったと…私は違うと思っていましたけど」


巧妙な罠だ。私がいじめを止めれば「意外」だと驚かれ、放置すれば黙認したと見なされる。


決断した。喉が乾き、手が震えるのを感じるが、引き返せない。


「言っておくけど、私がいじめを指示するなら、こんな下品なやり方はしないわ」


噴水に向かって歩き出した。ミランダの驚いた表情が後ろに残る。


「やめなさい」


冷たく命令すると、上級生たちは驚いて振り向いた。彼女たちの顔から血の気が引いていく。


「フ、フロストヘイヴン様…」


「もう十分でしょう。これ以上は見苦しいわ」


彼女たちは困惑した表情を浮かべながらも、すぐに散っていった。貴族社会の序列は絶対だ。


残されたセレスティアは、ずぶ濡れの教科書を抱え、震えていた。水滴が彼女の髪から滴り落ち、制服を濡らしている。震える唇からは白い息が漏れていた。


「フロストヘイヴン様…ありがとう…」


私は彼女を一瞬見つめ、その翡翠色の瞳に映る感謝の色を見た。そして冷たく言った。


「勘違いしないで。単に、私の名前を使った勝手な行動が気に入らなかっただけよ」


そして低く、周囲に聞こえないように付け加えた。


「魔法理論室の裏庭。放課後、誰もいない時間に行きなさい。濡れた本を修復する方法を教えるわ」


彼女の目が驚きで見開かれた。希望の光が灯るのを見て、なぜか胸がきゅっと締め付けられた。


私は踵を返し、颯爽と歩き去った。宿舎の入り口でミランダと再び対面する。


「アイリス様…」彼女の声には困惑が混じっている。


「ミランダ、私の名前を使って勝手なことをするのは止めなさい。私が誰かを潰すなら、もっと徹底的にやるわ」


冷酷な笑みを浮かべて言い放った。これが「氷の令嬢」の評判を保つ演技。しかし内心では今日の選択が正しかったのか、不安が渦巻いていた。


その夜、私は窓辺に座り、星空を見上げた。表と裏の二重生活は想像以上に疲れる。でも、最初の一歩を踏み出せた。


「光と氷の守護者…」


母の日記に書かれた言葉が、今日の実技で見た光景と重なる。セレスティアと私の魔法が共鳴したとき、何か特別なものを感じた。その感覚は言葉では表現できないが、確かに運命的なものだった。


窓際に置いてあった母の形見の氷翡翠のペンダントが、月光を受けて淡く光っているように見えた。指で触れると、かすかな脈動を感じる。まるで生きているようだ。


「伝説は、本当なのかもしれないわね…」


窓の外では、明日も晴れることを予感させる星々が輝いていた。そして明日は、セレスティアとの特訓が始まる。この関係がどこへ導くのか、期待と不安が入り混じる中、私は静かに明日を待った。


(第2章 おわり)

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