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第1章「断罪される悪役令嬢」


「頭が、割れる――」


クリスタリア王立魔法学院の入学式典。水晶のシャンデリアが煌めく大広間で、私の視界が突然歪み始めた。


「アイリス・フロストヘイヴン様、お嬢様!」


遠くから呼びかける声が聞こえるが、それよりも強烈なのは頭の中で渦巻く記憶の嵐。華やかな舞踏会の場面、涙を流す金髪の少女、「断罪」という言葉を口にする王太子、そして――違う世界の日常。パソコンの画面に映る「氷華の約束〜王立魔法学院の恋物語〜」というゲームタイトル。


「どなたか!お嬢様が!」


周囲から心配の声が上がる中、私は必死に正気を保とうとした。香水の甘い香りと焦げた蝋燭の匂いが混ざり合う大広間で、私の指先が震え、冷や汗が背筋を伝う。


「大丈夫ですか、お嬢様」


耳元で囁かれる声に、何とか我に返る。振り向くと、長年仕えてくれている侍女長のリディアが銀色の眉を寄せて心配そうに見つめていた。


「……ええ、問題ありませんわ」


自動的に口から出る完璧なお嬢様言葉。それもそのはず、この体は貴族社会で17年間生きてきたのだから。


しかし心は混乱していた。なぜ私が「氷華の約束」の悪役令嬢アイリス・フロストヘイヴンとして存在しているのか?


そう、このゲームの中で、アイリス・フロストヘイヴンの末路は決まっている——どの攻略ルートを選んでも、必ず「断罪」されるのだ。


周囲の視線が痛い。畏怖と嫉妬の入り混じった目で見つめる貴族の子女たち。彼らの囁き声が耳に届く。


「さすが氷の令嬢ね、また誰かを泣かせるのかしら?」

「去年は三人も退学に追い込んだって噂よ」

「美しいけど冷酷すぎるわ…」


———


「万雷の拍手で、今年度の新入生代表、アイリス・フロストヘイヴン嬢をお迎えください」


校長の声が大広間に響き渡る。私は一度深呼吸し、表情を引き締めてから前に進み出た。


大理石の階段を一段一段上りながら、脳裏にはゲームの各シーンが走馬灯のように流れる。


精霊舞踏会でヒロインを公衆の面前で侮辱し、王太子の怒りを買う場面。その冷たい紫の瞳と、「婚約破棄だ」という厳しい言葉。


ヒロインに危険な罠を仕掛け、重傷を負わせて犯罪行為で追放される結末。


魔法学院での決闘大会で禁忌魔法を使用し、魔力暴走で他者を傷つけ、断罪される未来。


それぞれの場面でアイリスが浮かべる高慢な笑み。まるで別人の記憶のようなのに、どこか馴染んでしまう恐ろしさ。


冷や汗が背筋を伝う。息が浅くなり、心臓が早鐘を打つ。でも表情には出せない。「氷の令嬢」の仮面を外すわけにはいかない。


「本日はこのような栄誉ある機会をいただき、心より感謝申し上げます」


壇上に立ち、完璧な笑顔で挨拶を始める私。周囲からは称賛の視線と、嫉妬に満ちた目が混在している。この世界での「アイリス・フロストヘイヴン」は、才色兼備の完璧令嬢。氷属性魔法のA級使い手であり、礼儀作法、舞踏、音楽、全てにおいて一流と評価されている。


だがそれは表の顔。ゲームの中のアイリスは、嫉妬心から平民出身のヒロイン「セレスティア・ブライト」を徹底的に迫害する悪女なのだ。


「魔法の力は我々貴族に与えられた神聖なる使命です。その力を国と民のために正しく使い、クリスタリア王国の繁栄に貢献することを誓います」


流暢に言葉を紡ぐ間も、私の内面は混乱していた。なぜ私がこのような形で転生したのか。しかもただの物語だと思っていた世界に。そして何より、どうすれば「断罪」という運命から逃れられるのか。


———


「さすがはアイリス様、素晴らしいご挨拶でしたわ」


入学式の後、廊下を歩いていると甘ったるい声がした。振り向くと、薔薇色のドレスに身を包んだミランダ・クリムゾンが立っていた。巻き毛を指に絡ませながら、微笑むその目は何かを企んでいるようだ。公爵令嬢で、表向きは親しげだが、ゲームでは裏でアイリスを陥れる役回りの人物だ。


「ミランダ、ご丁寧に」


冷淡すぎない程度の微笑みを返す。ゲームの中のアイリスなら、もっと高慢な態度を取るはずだ。でも今の私には、そんな余裕はない。


「ところで、聞いてらっしゃいます? 今年は特別入学枠で平民の子が入ってくるそうですわ。しかも光の属性魔法のS級だなんて」


ミランダの言葉に、背筋が凍った。指先が冷たくなり、喉が乾く感覚。


セレスティア・ブライト。ゲームの主人公で、平民出身ながら光属性魔法のS級使い手。彼女の入学により、物語は本格的に動き始める。


「まぁ、珍しいことですわね」


平静を装いながらも、頭の中は混乱していた。もうそんな時期なのか。予想よりも事態は進行している。


「アイリス様のような方が気にすることでもありませんわね。でも、あの子、レヴィン王子様と幼少期に出会ったことがあるという噂も…」


その言葉には明らかな挑発が含まれていた。レヴィン・クリスタリア第一王子は私の婚約者。政略結婚とはいえ、ミランダが密かに王子に想いを寄せていることは、ゲームの設定で知っている。彼女の眼差しには、私の反応を窺う計算高さが浮かぶ。


「ええ、まぁ。それではこれで」


丁寧に会話を切り上げ、自室へと急いだ。廊下に響く靴音と共に、胸の動悸がさらに高まる。


———


「フリーズ、出てきなさい」


私の部屋に戻るなり、契約精霊を呼び出した。窓から差し込む夕日の光が床に長い影を落とす中、青白い光が浮かび上がり、小さな氷の結晶の姿をした精霊が現れる。


「なんだい、アイリス。いきなり呼び出して。今日の入学式、うまくいったかい?」


フリーズの声は少年のように高く、タメ口で話す。青い光を放ちながら、部屋の中を浮遊している。貴族なら普通、このような態度の精霊とは契約しないだろう。でもアイリスはこの精霊を幼い頃から大切にしていた。


「あなた、知っていたの?」


鋭く問いかける。フリーズは一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐにinnocentな笑顔に戻る。


「何のことだい?」


「私が…別の記憶を持っていること。前世のこと」


フリーズは沈黙し、しばらく宙に浮いていたが、やがて静かに言った。


「気づいたんだね…予想より早かったよ」


やはり。フリーズは何かを知っていたのだ。


「教えて、私はなぜここにいるの?なぜ『氷華の約束』の悪役令嬢として…?」


「全てを話す時ではないよ、アイリス。でも一つだけ言えるのは、君はただの『ゲームキャラ』なんかじゃない。この世界は実在する。そして君の存在には、とても重要な意味がある」


フリーズの言葉は謎めいていたが、確かな真実が含まれていることは感じられた。


「でも私は…このままでは断罪される。ゲームの中のアイリスは必ず破滅する運命なの」


手が震え、声も小刻みに揺れる。部屋の空気が急に冷たくなり、触れた机の角が凍り始めた。感情に合わせて魔力が漏れ出している。


「運命?」フリーズは小さく笑った。「君が記憶を取り戻したのは、その『運命』を変えるためかもしれないよ」


寒さを感じ、両腕を抱きしめる。これが「氷の令嬢」の力なのか。蒼白い指先から霜が広がるのを見つめながら、深呼吸を繰り返した。


———


「リディア、あなたは私の側についてくれる?たとえ私が…変わっても」


夜、侍女長のリディアに真実を打ち明けようと決意した。彼女は幼い頃から私に仕え、この世界で一番信頼できる人物だ。


キャンドルの優しい光が揺らめく部屋で、リディアは深いブルーの瞳で私をじっと見つめ、静かに言った。


「お嬢様、私はいつもあなたの側です。前から感じておりました。入学式の後から、お嬢様が何か…違うと」


彼女の洞察力に驚く。


「私は…前世の記憶を持っているの。そこでは別の人間として生きていた。そして、この世界が物語だということも知っている」


言葉を発しながら、自分自身の声が遠くに聞こえる感覚。これが現実なのか、それとも何か錯覚なのか、今でも半信半疑だった。


リディアは驚いたようすもなく、むしろ安堵の表情を浮かべた。


「やはり…古い言い伝えは本当だったのですね」


「言い伝え?」


「フロストヘイヴン家には伝説があります。『時が満ちれば、氷翡翠の巫女が目覚める』と」


氷翡翠。フロストヘイヴン家に代々伝わる宝石の名前でもある。私は首に下げているペンダントに手を触れた。中央には翡翠のように青く輝く氷の結晶が埋め込まれている。それが触れる胸元だけが、この冷え切った部屋の中で温かかった。


「もっと詳しく知りたい」


「それは…お嬢様のお母様が残した書物にあります。明日、密かにご用意しましょう」


母の遺品。私の母は私が5歳の時に亡くなった。記憶はおぼろげだが、優しい微笑みだけは覚えている。時折閉じた目をすると、長いシルバーブロンドの髪と青い瞳を持つ美しい女性の姿が浮かぶ。彼女が横になったベッドの傍らで、小さな私が涙を流している場面。


「くわしく…教えて」


「お母様—エレノア様は私が仕えた最初の主人です」リディアの目に懐かしさの色が浮かぶ。「彼女はとても優しく、そして聡明な方でした。特に魔法研究には並々ならぬ情熱を…」


話しながらリディアの表情が暗くなる。「そして10年前、突然の病で亡くなられました。しかし…」


「しかし?」


「お母様の死には不自然なことがありました。あまりにも唐突で、症状も奇妙だったのです」


そこまで言って、リディアは口を閉ざした。「詳しくは書物を見ていただいてから」


「これから、私は『悪役令嬢』の運命を変えるつもりよ。でも表向きは、みんなが知るアイリスのままでいなければならない。協力してくれる?」


リディアは膝をつき、忠誠を誓うポーズを取った。


「このリディア・フロスト、命に代えてもお守りいたします」


———


翌日。


朝の柔らかな光が窓から差し込む中、鏡の前に立ち、自分の姿を見つめた。シルバーブロンドの長い巻き髪、氷のように透き通った青い瞳、皓白の肌。


これが今の私、アイリス・フロストヘイヴンの姿。美しいが、どこか冷たさを纏った顔立ち。


「運命を変えるために、まずは情報収集ね」


前世の知識では、ゲームの世界は知っていても、細部までは分からない。この「現実」としての世界では、どこまでがゲームと同じなのか。


服の袖をたくし上げると、右腕の内側に小さな氷の結晶の模様があることに気づく。指で触れると、涼しさを感じる。生まれつきのあざだと思っていたが、今見ると明らかに「氷翡翠」の形をしている。


フリーズの言葉、リディアの言及した「伝説」、そして母の残した書物。全てがつながっているような気がする。それに何より、前世の記憶が突然戻ってきたタイミング。ゲームでの「断罪」が近づいていたからなのか?


「危険な橋を渡るには、慎重に一歩ずつね」


窓の外を見ると、学院の中庭で新入生たちが集まっていた。そしてその中に、一人の少女が目に入る。輝くような金髪と翡翠色の瞳を持つ小柄な少女。


セレスティア・ブライト。


彼女を見た瞬間、胸に奇妙な感覚が走った。まるで何かに引き寄せられるような、運命的な繋がりを感じる。


「光と氷…」


なぜだろう、恐怖と期待が入り混じった感覚。このヒロインこそが、私の断罪の引き金になるはずの存在。でも同時に、彼女こそが運命を変える鍵かもしれないという直感。


窓を閉め、深呼吸をする。


これから始まる学院生活。ゲームの中の「悪役令嬢」アイリスは、セレスティアを迫害し、自らの破滅へと突き進む。


でも私は違う。


この運命を書き換え、断罪から逃れる。


そして、もしかしたらその先にある、本当の使命を見つけ出す。


「さて、物語を変えるとしましょう」


窓辺から離れ、学院の制服に袖を通しながら、私は静かに決意した。遠くから鐘の音が聞こえる。今日、あの平民の少女—セレスティア・ブライトが正式に入学する日だ。彼女との出会いが、全ての始まりになる。


(第1章 おわり)

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