親愛なる莉 ♯2
「うんまぁい」
ひとりだけ勝手に天国にいっている莉を、うまく見れないでいる純。
先ほどの言い争いもなんのそのでふたりの食事は始まっていた。
「どうせ莉に味なんてわかんねぇだろ?お世辞ならいうなっつうの」
そういう純はあまり食が進んでいないようだ。
「いやぁ、よくできた弟だよ純は」
うんうんとフォークを片手に頷き納得し始めるから困ったものだ。
「でも最近ほんと料理上手くなったよね?これじゃあ姉としての私の立場がないなぁ、むぅ」
「なにが姉だよ。学校ではきりっとかしこまって生徒会長やってるくせに、家に帰れば小学生みたいに跳んだりはねたり歌ったり。おまけに掃除以外の家事はまるでできないし。困った女だ」
もう勘弁してくれよ、という呆れた表情をさりげなくちらつかせる。
「えぇ、いいじゃん!片付けられる女じゃん!ていうか料理は純がいつもしてるからだよ。私だって人並みくらいできますぅー。それに、跳んだりはねたりはしてるけど歌ったりはしてないでしょう?」
「いやいや、風呂場でおっさんみたいに歌ってんだろ毎日。今更だが中学生のころからずっとそうだ。そして上手いかというとそうでもない」
「 ・・・ 」
莉は不穏な眼差しを優しく向けた。
「 ・・・何だよ?」
言い過ぎたか?心の中で自分の言葉を再生してみる純。
しかしそれほどでもない気がして、状況の由々しい理由はわからない。
「私、そんな大きな声で歌ってたかしら?」
「!」
「中学生の頃からずっと近くで観賞していただけてうれしい限りだわ常連さん?今後の活動にもどうぞご期待あれ・・・」
純に向けられているその瞳は、すでに軽蔑の眼差しへと変換されていた。
どうやら双子の弟から覗きの常習犯へと認識を変えられたらしい。
「いや、それは・・・。あ、あほじゃねぇの?双子だろが。今更おまえのどこみたってなんともおもわねぇよ!」
その言葉はルーヴルの世界から莉を立ち上がらせた。
椅子のすれる音がする。
「なによそれ!?私のすべてを見たような言い方だけど、ちゃんと日々進化してるんだからね!?まだまだこれからなんだからね!?」
いきなり怒鳴られて反射的に純も椅子を蹴る。
置いたスプーンがお皿の淵に当たり、ゴングが鳴るような音がした。
二人はリング上で仁王立ちだ。
「何をわけわかんねぇこといってんだよ!?しらねぇよ!?つーか別に毎日見に来てたわけじゃねぇよ!普通にトイレの横だから聞こえてただけだっつの!」
「あぁ!いま毎日は見に来てないっていった!聞いたからね!毎日って聞いたからね!?このむっつり純!」
「うるせぇ!おまえが異常に長風呂だから気になって見に来るだけだし!」
「気になってるのは私の成長じゃないの!?そんないいわけ、姉に通用するとでも思ってるわけ!?」
「あぁもぅうぜぇな!!誰がA止まりの胸なんか見にくんだよ!」
「いったわねむっつり!そんなに具体的にいうな!だいたいAじゃないもん!Bだもん!」
「嘘つけ!どう見てもBだろうが!最近になって無理してBのやつなんかつけやがって。つけたらそのサイズになる商品じゃねぇん・・・だぞ?」
「着やせするの!ていうかそんなこと知ってる!そこまで抜けてないわよ!ちょっと気ぃつかって声小さくなってるところがムカツクのよ!ムゥ!」
「あぁそうかよ!!でもこれだけは言わせてもらう。おまえはAだ!」
純がそういいきったとき、莉は拳銃にでも撃たれたかのようにびくっと震え、そのまま薄い肩を落として呼吸を緩やかに整えた。
「 ・・・どうして?どうしてそんなこというの?いいじゃない、夢をみさせてくれたって。日本人は小さい人が多いのよ?えぇ私はAよ。でもね純?私もこれだけは言わせて?いい?高校に入ってからね、いろいろと試してみたの。大豆がいいって友達にきいたからさ、純も見たでしょう?私がたくさん大豆を買い占めて毎日食後に食べてるの。私、頑張ったんだ。へへ、笑っちゃうよね?自分で言ってても恥ずかしい。実はそれを続けて先月で一年だったの。それで勇気を出して測ったのよ。そしたら・・・」
力なく立ったままうつむく莉。
前髪が頼りなく垂れ下がり、純からは莉の瞳は見えない。
けれど、きっと悲しい色をしているんだろうな。そう、純は思った。
肩まであるさらさらの黒い髪が、雨に濡れたように艶をもって色を増しているようだ。
「2ミリ、増えてたの」
潤んだ瞳が純を捕らえた。
「 ・・・ 」
口を半開きにしたまま眼を合わせたりそらしたり。
純は気が気でない。
理由はどうであれこんな莉をみたのは久しぶりだった。
よりによって誕生日に。
「 ・・・ 」
莉は口元だけで精一杯笑って見せた。
しかしそれは笑顔には程遠いだろう。
強がって少し胸を張る。しかし、それは余計に悲しみをそそるだけだと知り、やはり肩を落とした。
「 ・・・ 悪い」
静かなリビングに響く低い呟き。
「 ・・・ いいのよ、わかってくれれば」
二人は静かに席について、食事を再開するのだった。
ルーヴルを味わう莉の顔は、まるで最後の晩餐だとでも物語っているように衰弱していた。
そして純もまた、胸に一物を携えていた。
どうしても莉に伝えておかないといけないことがある。
でも、これは言えない。
今日の莉には、これはつら過ぎる。
純は、莉の部屋にある大量の落花生を思い出していた。