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Trifle  作者: 小柚
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第3話(1)

挿絵(By みてみん)


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 その日の朝、俺たちは船着き場へ向かった。

「フラヴェル行きの船はこれか?」

「はい。渡航許可証はお持ちですか?」

 船員にそう問われて、俺は懐から黒革の手帳を取り出した。

 船員はその表面の銀糸の刺繍と、中に記載されたサインを確認して俺に手渡す。

「確かに、確認しました。そちらはお連れさまですか?」

「ああ」

 俺は隣に立つ黒髪を眺めつつ、今更ながらに不安になる。

 そういえばこの許可証、連れにも適用されるのだろうか。

 どうしてそんな単純なことに今まで意識を向けなかったのか。自分でも疑問に思ったが、拍子抜けするくらいあっさりと船員は道を開けてくれた。

「席でお待ちください。予約者が揃いましたら出航します」

 頷いて、乗船する俺たち。

 これから向かうのは、フラヴェルという島だ。片道一時間もかからない近場にあるので、船はずいぶん小型のものだ。

「わー、これが船か! 思ったより小さいんだな」

「すぐそこの離島に行くだけだからな」

 俺は近くに見える大型帆船を指差す。

「あっちのほうの船は、外国に行く船だ。何日もかけて遠い場所に行くから、でかいんだよ」

「へー。あっちのにも乗ってみたいな」

 甲板の手すりから身を乗り出すコウを横目に、俺はマストの根本に設えられた座席に腰掛ける。

 木箱に布がかけられた簡易のもので、いつものことながら座り心地は悪い。

 日よけの布が張られているから、他の場所よりは過ごしやすいだけの場所だ。

 海風が強い。大きく揺れる船体に顔をしかめつつ、俺は持っていた手帳を開いて中を見た。

 これはフラヴェルにある医療院への訪問許可証だ。顔の広いロベルトが、謎のツテで手に入れてくれた、院長直筆の特別許可証で、かなり権限が強い。連れにも適用されるのか、何か記載があったかなと思って開いてみたが、特にそのような文章は見当たらなかった。

「うわ、なんだこれ」

 俺は大切な院長のサインの真上に、インクにじみのような黒ずみを見つけて、ギョッとしてしまう。

 薄墨色の斑点が、プツプツと放射状についている。

 雨にでも当たったかな。ちゃんと懐に入れていたのに、参ったな。

 擦ってひどくなったらかなわない。俺は見なかったことにして手帳をしまい、遠景に目をやった。

 スェルグはハイランド一の港だ。ハイランドは山岳地帯を多く所有し、主に木材や鉱石を外国に輸出して利益を得ている。

 大きな滑車を使って大型船に荷を積み込んでいる船夫たちを眺めながら、あいつらはどこの国に向かうつもりだろうと考えた。

「なあ。クライスは外国に行ったことあるの?」

「ああ。行ったことがあるというか、俺は外国から来たからな」

 俺の返答に、コウはきょとんとしている。つくづく一般常識がないやつだ。俺は苦笑いをしながら言葉を続ける。

「ハイランド人はほとんどが黒髪か茶髪だろう? 俺は外国人だから金髪なんだ。気付いてなかったのか」

「へぇ、そうなんだ。おれの知り合いは銀とか赤とか派手な色ばっかりだから、わかんなかったよ」

 銀とか赤? 銀ならまだしも、赤毛というのは珍しい。南のほうに多いと聞いたことがあるが、ハイランドではほとんど見たことがない。

「お前の親戚は外国人が多いのか?」

「そうかも。それにおれの本も色々な場所から集められているから、いろんな髪色の登場人物がいるよ」

 またお得意の、『お話』の話か。俺は真面目に聞く気が失せて閉口した。海を目の前にして、海にばかでかい化け物がいるなどと騒がれたらたまらない。

 月に一度しか利用しない俺と違い、人生のほとんどを海で過ごす船夫たちがそんな話を聞けば、気分が悪くなるだろう。

 物語の登場人物は大変だよな。読者がつまらないだろうという理由で、気まぐれに化け物を出してこられるんだから。しかしなんだかんだで勇者だか魔法使いだかがきれいに倒して解決してくれるから、物語のほうがマシなのか、とも考える。

 そのようなことを考えているうちに、乗客が揃ったようで、船は出航した。

 危ないから座っていろと船員から指示を受けたコウが、不満げに俺の隣に座る。

「この位置じゃよく見えないじゃんか」

「おもしろいもんなんか、ほとんどねぇよ。ひたすら海と空が続くだけだ」

「おっきい船も見えるじゃんか。ほら、あの船も出航してるよ」

 ロベルトはどの船に乗ったのかなと呟いて、俺はふとロベルトがファロウに行くと言っていたことを思い出す。

「そうだな、あの船はファロウに行くかもしれない。ファロウとの取り引きは儲かるから、豪華な船を使えるんだ」

「ファロウって外国?」

「そうだ。南西のほうにある、でかい国だ」

「へえ。クライスは行ったことあるの?」

 そう問われて、俺は言葉につまった。周りには数人の乗客がいたし、もちろん黒髪の生粋のハイランド人ばかりだったから、気まずさに駆られる。

「ああ、まあ……」

 そう曖昧に答えておいたのだが、コウはキラキラした目でこちらを見てくる。

「どんな国なの?」

「ええと、そうだな……」

 俺はなるべく客観的に説明をした。

「天然資源が少ない代わりに、工業が発展した国だ。技術大国とも呼ばれる。他のほとんどの国が、神さまの力とかいう超常現象を信じ、それを基盤に国を成り立たせているのに対して、学者が国を動かす変わった国だ」

 学者は人々に崇められないが、人々に神よりもたくさんの恩恵を施すことができる。神官や魔術師は高位の貴族からしか生まれないが、学者は勉強さえすれば誰にでもなれる。

 学者は神の力を借りずに平民と協力し、少しずつ国を発展させていった。どこの国よりも貧富の差は少ないんじゃないかと思う。その辺りだけを切り取れば、わりと良い国なのだが。

「詳しいんだな」

「ああ、まあな」

 昔住んでいたのだから、当然だ。

 ただ、あまり良い思い出はないから、あの国の話題はこれ以上続けたくない。

「ハイランドは良い国だぞ。自然が多いし、そこまで貴族社会でもないし。王様が急に宗教かぶれたのが少し気になるが、今のところは過ごしやすい」

「へぇ、そうなんだ。クライスは、他の国に行く気はないのか?」

 そうだな……。俺は遠くに見える大きな船を眺めながら考える。

 ハイランドに来て二年。未開拓の自然が多すぎるこの国は、人が住める平地が少ない。もうほとんどの街や村をまわってしまった。目新しいイベントがないのは正直張り合いがないから、新しい土地に行ってみたい気持ちが全くないわけではないのだが。

「俺はこの国を離れるつもりはない。やることがあるからな」

「そうなの? 残念だな。おれは行ってみたいのに」

「そうか。それならうちに帰って保護者に頼め」

「えぇー! 無理だよ、許してくれないよ」

 俺はやれやれと肩をすくめる。

 こいつはいつまで家に帰らない気なのか。誘拐などと誤解され、話がこじれる前に家に帰さないと。

 そのようなことを考えていた頃、目的地の島が姿を見せ始めた。

 孤島フラヴェル。ハイランドが所有する島で、国の最西端にあたる島だ。

 週一回しか運行しない船が唯一の上陸手段であり、その船も許可を持つ一部の人間しか乗れない。

 だいぶ痛んだ古くさい桟橋に降り立ったあと、俺たち乗客は一方に向かう。港には小さな集落があり、そこでそれぞれの目的に応じた手続きを済ませる。

 俺以外の乗客は、集落に生活用品を納入しにきた業者だった。

 俺は集落の端にある、馬車の停留所に向かう。

「すみません、医療院まで馬車を出してほしいんですが」

 馬屋の隣にある小さな小屋を覗き込み、しかめ面で新聞を読んでいる爺さんに声をかけた。

 爺さんはなにも言わずにこちらを睨むので、俺は通行許可証を開いて見せる。すると新聞を畳み、面倒そうな足取りで馬を馬車のほうに連れていく。

 手際よく馬を馬車に繋ぐのを横目に、俺は馬車に乗り込んだ。

「わー、これは馬車? 話にはよく聞いていたけど、本物に乗るのは初めてだな」

「おいおい、どれだけ箱入り息子だったんだよ……」

 コウは座席に膝を乗せ、窓から身を乗り出している。

 船はともかく、馬車なんて身分に関係なくほとんどの人間が乗ったことがあるだろうに。

 今までどんな生活をしてきたんだ。俺は少し不憫に感じながら、コウの後頭部越しに島の景色を眺めた。

 馬車が動きだし、景色が流れ始める。

 港付近の集落の周りは、広大な田園地帯がある。この島は閉鎖的で、関係者しか上陸できない。流通も限定されているから、島民は自給自足で生活している。

 田園地帯を越えると、牧羊地帯に入った。馬車道の周りには農産物を加工する小さな工場が点在し、多くの人影が確認できる。

 ミルクのタンクやチーズの塊を運ぶ馬車と何台かすれ違った後山道に入り、鬱蒼な森が続いた。

「森だ~。魔物、出ないかな」

「出ねぇよ。不吉なことを言うんじゃない」

 そうは言いつつも、俺はさほど心配していなかった。

 フラヴェル島は、魔物被害に遭ったことがないことで有名だ。

 数十年前に医療院ができてから、ほとんど開発が進んでいないこと、魔石資源などがほとんどないことがその理由だとされているが、大陸の人間は違うことを言っている。

 ーー人間すらこの島に近付きたくないと思っているんだ。魔物だって近付きたくないと思っているんだ。

 俺はどこかで聞いたそのような言葉を思い出し、つい眉をひそめてしまった。

 森をしばらく進んだのちに、馬車は高い壁にぶち当たる。俺の身長の二倍ほどもある、ものものしい雰囲気の石壁だ。

 その壁には大きな門と通用門があり、馬車から降りた爺さんは通用門のほうの鍵をガチャガチャ開けて、俺たちに入るように促した。

「迎えは一週間後の朝だ」

「ああ、よろしく」

 俺はそう答えて爺さんと別れた。通過したあとの通用門は、外側から再び鍵をかけられた音がした。

 目の前には先ほどと似通った、牧羊地帯が広がっている。

「なんだ、この門。すげえな、悪者の基地みたい」

「まあ、確かに、そんな感じだな」

 さすがのコウでも、このものものしい壁には違和感を持ったらしい。俺は適当に答えてからなだらかな丘を下り始める。

「ここからは徒歩なのか?」

「ああ、そうだ。少し遠いが、大丈夫か?」

「別に、大丈夫だけど」

 コウは周りをキョロキョロしている。

 なんら変哲もない牧草地帯に、のんきな声をあげる羊たち。藁を積んだ牛車が手前からやってきて、すれ違ったところで再びコウは俺に訪ねてきた。

「さっきの門はなんなの? なんで馬車から下ろされたんだ?」

 門の先にも似たような道があるのに、どうして徒歩で目的地まで行かなければならないのか。

 俺も初めのうちはそう考えていたので、その反応は至極納得が行く。

 牧羊地帯を越えて、今度は田園地帯が見えてくる。

 俺はそこで畑仕事をしている人を指差してこう言った。

「あの人たち、首から札を下げているだろ?」

「ああ、そうだね。あれは何?」

「あれは名札なんだ。裏側が白いだろ? 白い札はまだ症状が軽くて、働けるって分類をされたんだ」

「症状?」

 とぼけた声で聞き返してくるコウ。昨日の説明、やっぱり理解してないんだなと俺はため息をつく。

「言っただろ。今から行くのは病人が集まる施設だって。気味の悪い病気にかかったやつらがたくさんいるんだ。札の色で進行具合を分類されてる」

「へぇ。白い人は普通の人と変わらないんだな」

 変わらないことはないんだが。俺は眉をひそめつつ沈黙した。

 遠目にもはっきりとわかる。顔や手足のわかりやすい位置に、黒い斑がある。

 『黒斑病』と呼ばれる病気だ。この医療院はこの病にかかった病人を集めて、集団生活を送らせている施設だ。

 進行は遅いが、一度かかったら一生治らないとされている。わかりやすく体に黒斑が現れるので、発症すればすぐに捕まって強制的にここに送られる。

 血液感染すると言われているが、感染することは稀だ。遺伝的に病気を保因していて、ひょんなことから発症してしまうことのほうが多いと聞く。

 なんにせよ、この島から出れば大騒ぎになることがわかっているから、患者たちはこの壁に覆われた区画で自給自足しながら平和に暮らしているというわけだ。

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