第2話(3)
一日目の旅程は何のトラブルもなく終わった。
街道をまっすぐ進む道だから、そうなるのは当たり前なのだが、暇すぎてアクビが出るほど平和な旅路だった。このまま行けば、明日の日が高いうちにスェルグに着けるだろう。
団体での旅は、野営が非常に楽だ。火の番は他のやつに任せて、俺は早く寝ることを勧められた。
「ねぇクライス。あんたは護衛なんだろ? なんで何も襲ってこないんだ?」
「またそういうことを言う……やめろよ、縁起でもねぇ」
隣でまた鬱陶しくゴロゴロしているコウが話しかけてくる。俺は眉間に深いシワを刻みながら答える。
「そんなに頻繁に襲われたりしねーよ。お話の世界じゃあるまいし」
「そうなの?」
「そうだよ」
「えー、つまんないなぁ」
こいつ、先日の刺激じゃまだ足りないのか。あんな刺激的なイベント、一年に一回あるかないかだぞ。あれで少しは満足しておけよ。
そう思いつつも、俺の中で嫌な予感が膨らみ始めた。
「なんかおっきな化物が積み荷を奪いに来て、それをカッコ良く退治するシーンとか見たいなー」
そんなの来るわけない。“おっきな化物”とかいうものはこの整備された街道には来ない。しかしいるわけのないドラゴンが現れたばかりというのもあり、俺は丁寧に武具を整備し始めた。
その晩は無事に過ぎ去り、翌朝を迎える。
飯と睡眠時間付きの仕事は本当に恵まれているな、などと思いつつ用意された朝飯を食い、旅程に戻ったときに事件は起こった。
それは山間の道でのことだった。そこは山を切り開いた道だが、多少馬車ががたつくくらいの道。広さは充分あるし、魔物が潜めるほどの鬱蒼とした森ではない。蛇のようにうねった枝を持つ気味の悪い木がまばらに生え、隙間から青い空と麓の風景が見える。
少し勾配の急な坂を越えるために、前の荷車をロベルトたちが押していた。その光景をぼんやり眺めていた俺の目に、妙な影がちらついた。
何気なく上を見上げたのと、ドンという異音を耳にしたのはほぼ同時だった。
けたたましい悲鳴が聞こえる。たぶん馬の声だ。前を走っていた馬車がひっくり返り、馬がのたうち回っている。
「何だ?! 何が起こった?」
荷車から離れたロベルトたちが、馬のほうを見ながら騒いでいる。
俺はしばらく頭上を旋回する影に視線を合わせていたが、それがこちらに急降下するのを確認して、叫んだ。
「伏せろ! 騒ぐな、静かにしてろ!」
そう叫ぶと共に、隣でぼんやりしていたコウの頭を掴み、地面に伏せさせる。
同時にドンという衝撃波が、背中にのし掛かってきた。
ミシミシと体が軋む音がする。思ったよりもきつい攻撃だ。
「アイダダダ……!」
「じっとしてろよ! 骨が折れるぞ」
近くでロベルトが手足をバタつかせていたので、助言をしてやる。
これは魔法の一種だ。遠目に見えていた黒い影の正体を推察しながら、俺は現在置かれている状況を冷静に分析した。
相手は黒い鳥だ。先日のドラゴン程ではないが、人間の二倍くらいの体長はある馬鹿でかい黒い鳥。特徴的な足をしていたので、大体見当がつく。
三本の太い足を持つ、カラスのような化物。ラウムという魔物だ。
やつは確か危険レベルAの魔物で、高位の闇属性魔法を操る。今俺たちに使われたのは、闇属性魔法の一種、重力の魔法だろう。
地に押し付けられる、上からの力。この力に変に抵抗すると骨に負担がかかる。大人しくしていれば、比較的無事にやり過ごせるはずだ。
ギエエという耳をつんざく鳴き声が聞こえた。頭が動かせないから、その姿を視界に入れることはできないが、ものすごく近い。相手はギーギー鳴きながら、何かをついばみ、ミシミシバキバキと音を立てている。
どうやらやつの目的は積み荷のようだ。この音は荷車の木箱を壊そうとしている音だ。
何故だ? ラウムの行動に疑問を覚えた俺は、バキッという木箱に穴が開く音を聴いた。
「あああ、クライス、何とかしてくれよ~」
ロベルトの情けない声が聞こえた方向から、バラバラと何かが転がってきた。
唯一自由に動く目を必死に動かし、転がってきた物を観察する。少し黒ずんだ石だ。拳くらいのものから、小指の先くらいの小石まで色んな大きさがある。
「あ、そっか。エサを食べに来たんだな~」
コウはうまく敵の方向を向けているらしい。のんびりとそんなことを宣っている。
「エサ?」
「うん。魔物って、魔力のあるものを食べるんだよ」
「そうなのか」
それも本に書いてあったことなのだろうか。魔物が錬石の原石を食べるなんて聞いたことがないのだが、魔力の強い魔物は同様に魔力を持つ魔物を食べるという事実は把握している。それと似たような話だろうか。
魔法の効果が切れてきたのか、段々と体が動かせるようになってきた。
「どうするんだ、クライス。やばそうなやつだぞ」
「とりあえず落ち着けよ。周りのやつにも落ち着くように言ってこい」
「ええ~、オレが?」
「お前が責任者だろ。早くしろ。上体を上げるなよ」
ロベルトは鳴きそうな声をあげながらも、ずりずりと体を引きずって仲間のもとに近付いていく。
下手に刺激をしない方がいい。対抗する意思を見せないようにすれば、追撃されることはない。コウの言う通り積み荷を食いに来たのであれば、俺たちなんて相手にしないはずだ。
俺はなにか反撃の手を見つけようと、ラウムを観察する。でかい体に、小さい頭が生えている。その頭は半分くらいが嘴だ。その嘴で器用に石を砕き、錬石を喰っている。
まるで穀物の殻を剥きながら喰う鳥のようだ。口の端からポロポロと砂粒が吐き出されている。
たまに天を仰ぎ、目を閉じて固まるような仕草をしているのが気になった。その際に喉から腹にかけて紫色の光が走り、全身の羽毛の先端に向けて光が散らばっていく。
「消化してるんだよ。石と生物の魔力の質ってちょっと違うから、石の魔力と自分の魔力と混ぜるのに少しだけ時間がかかるって書いてあった気がする」
「お前んちの本に?」
「うん。ドラゴンについて調べてたときに見た」
でたらめを言っているとは思えないし、とりあえず俺はコウの説明を信じることにした。
ラウムはこの御馳走を楽しんでいる間は、かなりの隙が生まれるようだ。
そうは言っても、相手はでかい。しかも荷車の上に乗っている。
いくら食事に集中しているとはいえ、攻撃する前に気づかれて返り討ちになるのがオチだろう。
せめて地面に落とさないと、倒すのは難しい。
積み荷を捨てて皆を逃がすのが最も安全な選択だが、それじゃあ依頼は失敗だ。いくら気のいいロベルトでも、報酬を満額くれることはないだろう。
俺は頭の中で作戦を組み立てる。あまり時間はない。積み荷が喰われれば喰われるほど、俺の討伐者としての価値が下がる。
俺は今回の報酬、満額をもらわないとまずいんだ。
俺は目の前に転がる石を見た。所々に怪しく光る粒がくっついている。これが魔力を持つ錬石の欠片か。これを加工して錬成銃に入れる弾などを作るわけだが、この石をそのまま弾として使ったりできるのだろうか。
「…………」
俺は銃口に入りそうな大きさの原石を拾う。
導石がハルト、伝達体もハルトである、斧型の錬成銃に闇属性の原石を詰め込む。
同時にもうひとつの小型銃に、金色のラインの弾を詰め込んだ。
うまく行けばいいが……。
俺は願いを込めながら、小型銃の銃口をラウムの足元に向ける。
ラウムの嘴の動きが止まり、天を仰ぎ始めた瞬間、小型銃の引き金を引く。
狙いはラウムではなく、荷車に潰されてもがいていた馬のケツだ。
小さな破裂音が響いた後、馬がけたたましい悲鳴をあげる。渾身の力で荷車から這い出し、一心不乱に逃げ出していった。
俺が馬に撃ち込んだのは『威嚇』の錬成術だ。馬のような臆病な生き物にはとてつもない恐ろしい幻覚が見え、死に物狂いで逃走を選ぶ。
馬は荷台と連結されていたから、不安定に破壊されていた木箱はバランスを崩し派手に横倒しになる。
悠長に消化を始めていたラウムは、その崩壊に巻き込まれて地面に無様に落下した。
ガッシャーン。
衝撃波と砂ぼこりで視界を遮られたが、怯んではいられない。俺は顔を覆った腕に原石や木屑が刺さるのを感じながら、斧銃を構える。
絶対に外すことはできない。ゴクリと喉を鳴らす。
砂煙がわずかに晴れ、ラウムのでかい図体が地面に密着している箇所を目にしっかり留めた瞬間、俺は引き金を引いた。
ザリッという異音が混ざったが、銃口からは光の弾が放出され、錬成術の軌跡がラウムの方向に延びている。
俺は斧銃の引き金から柄に持ち変えて、地面を蹴って駆け出した。
錬成術がうまく発動していたとしたら、錬成された魔法は『影縫い』。土ー土ー闇の組み合わせで発動するはずの魔法の効果は、影と体がくっついている部分を縫い留め、剥がれなくするものだ。
横倒しになったラウムは、右側の翼が地面にくっつき起き上がれないようで、くっついていない側の翼と足を無様にバタつかせている。
紫色に怪しく光る羽根が、辺りに舞っている。蹴飛ばされた石片を腕で受け流しながら巨体に近付き、俺は標的へ焦点を合わせた。
一撃で仕留めるには、首だ。体に対して小さい頭を繋ぐ首は比較的細い。この斧でも致命傷を与えられるはずだ。
後頭部から近付き、斧を振りかざす。的は大きいので当てるのはさほど難しくない。
渾身の一撃は、カラスの首に容易く食い込み、地面に突き刺さる。
俺は武器を手放してすぐに後方に飛び、腰に刺している長剣を抜いた。
精製されていない弾での錬成術の効果は一瞬で解けてしまうようだ。首を半分斬られたラウムは怒りに震えながらこちらに恐ろしい顔を向ける。
金切り声をあげながら、刃物のように鋭い嘴を開いてこちらに突っ込んでくる。俺はその口の中を目掛けて長剣をまっすぐ投擲した。
間一髪、ラウムの突進を避けた俺は、振り返ってその末路を確認する。
首半分を分断され、口の中から剣をぶっ刺された魔物は、流石に限界のようだった。まだ動こうとしていたが、その足は地面をずりずりと擦るばかりで立ち上がれる感はない。
俺はもうひとつの武器である、折り畳みの槍を組み立ててその巨体の側に立つ。
ええと、あとどこを刺しておけば大人しくなるかなと考えている間に、ラウムは静かになった。
「すっげー! 倒したの? かっこいー!」
俺がホッと息をついていると、背中に能天気な歓声が浴びせられる。
「本に書いてある通りだった! かっこいい! やっぱすげーんだな、クライスって」
すごいすごいと繰り返し、周りをチョロチョロ駆け回るコウに、俺はまんざらでもない気持ちになった。
「うるせーぞ。当然だろ、危険レベルAくらいだったら倒せるんだよ」
俺は照れている顔を気取られないようにしながら、魔物に刺さったままの武器を回収しに行く。
コウにつられてその他の連中まで歓声をあげ始め、俺は内心焦ってしまった。
全く、この程度で大袈裟な。