第2話(2)
頼りないランプの灯りがひとつしかないカウンター。髭面のオッサンが店番をしている店内は、不自然すぎるほど近寄りがたいオーラが漂っている。
華やかな首都に似つかわしくないこの店舗は、フェアバンクス商会の本店だ。
「よお、クライス。大変だったみたいだな」
カウンターのオッサンは顔見知りだ。ガラルハラッドという名前の元浮浪者だ。討伐者の研修をしていた頃に、良くしてくれたこの事務所の先輩でもある。
「ああ、そうなんだが。相変わらず耳が早いな」
「お嬢が泣いて帰ってきた。おやっさんがご機嫌斜めだぞ」
「やっぱりアルシアが逃げてきてたか」
アルシアはこのフェアバンクス商会の頭取の長女にあたる。この商会は一族経営で、全国の支店に親族を送り込み連携をしているらしい。十六歳を越え成人認定された親族はハイランド中、時には外国の支店までを受け持ち、一人で店を回している。
「奥にいるよ。ロベルトが宥めているから協力してやれ」
「ロベルトもいるのか」
俺はカウンター脇のカーテンをめくり、半階上のスペースにずかずかと上がり込む。
そこには大量の本や巻物が山積みになった部屋があり、中央の円卓に二人の人影が見えた。
「よお、アルシア。生きてたか」
「ああ? 何だよ、うるせぇな」
その片方がアルシアだったから、俺はその背中に軽口を投げ掛ける。アルシアはしおらしく泣いているはずもなく、すっかりやさぐれて酒をあおっていた。
「今さら来てもおせーぞクライス。払う金はねぇしやれる仕事も当分ねーよ」
酒瓶をガン、とテーブルにぶつける。
厳しいらしい親父にこってり絞られたんだろう。普段の聡明そうな様子は微塵も感じられず、髪型も化粧もグズグズになってしまっている。
「アルシアはしばらく、フェルミナ復興担当なんだ。フェルミナの仕事が上手くまとまれば、外国支部に視察に行けるはずだったから、落ち込んでんだよ」
「なるほどな」
アルシアの隣で酒を用意しているのは、アルシアの弟のロベルトだ。アルシアと良く似た切れ長の瞳で、無駄に端正な顔立ちをしている。
「その子がアルシアの言ってたコウくん?」
「ああ、そうだそうだ。ちょっとコウくん、聞きたいことあるし、座りなよ」
アルシアに手招きされたコウは、少し怖じ気づきながらも、招きに応じて円卓の側のスツールに腰掛けた。
すっかり出来上がったアルシアは、ガラが悪い。コウの肩に手をやり、近すぎる位置にまで顔を近付けて口を開く。
「あのさぁ、コウくん。キミ、イグナーツ山にドラゴンがいるって言ってたよね」
「うん。言ったよ」
「その情報さ、一体どこから仕入れたの」
コウは前回と同様、少し考える素振りを見せてから答えた。
「本で読んだ」
「いや、本で読んだはないでしょ。オレたちは一年前の調査データ持ってんの。本で読んだはない」
アルシアは周りに積んであった紐綴りのノートを引っこ抜いて手元で広げる。
「本じゃなくてさ、こういうメモ書きだったりしない? 誰か冒険家の記録を買い付けたりしていないかな」
それはアルシアたち、フェアバンクス商会が情報を仕入れる手段として良く用いるやつだ。行商人や魔物狩り、旅行者などから情報を買う。それは比較的新しい情報を得られる手段だ。
「違うよ。そんなんじゃないよ。本って言っても、紙の本じゃないし」
「紙の本じゃない? じゃあなんの本なわけ?」
「そんなことよりアルシア。持ち逃げした前金を寄越せよ。そういう契約だっただろ」
俺は爪先でトントンと床を鳴らしながら口を挟む。
「今大事な話をしてるんだ。後にして」
「俺にとってはこっちの方が大事な話だ。喫緊の課題だ。一分一秒でも待てねぇよ」
ムッとして反論してきたアルシアを圧倒するくらいの不機嫌な表情をして、俺は強い言葉を被せた。
それで怯むようなアルシアではなかったが、穏和な性格のロベルトが先に折れてくれる。
「まあまあ、クライス。フェアバンクス商会は信用が命だ。ちゃんと払うし仕事も見繕うよ。今月はあといくら必要なんだっけ?」
「あと金貨五枚だ」
「五枚か。一日専属の仕事があればいいんだね」
「あんたらが仲介料を半分もぼったくらなきゃな」
ロベルトは苦笑いをしながら、少し思案する間を取った。
「ちょうど明日、スェルグに商団を派遣する予定なんだ。その護衛をしてもらおうかな」
ちょっと待ってねと言いながら、ロベルトは契約書を準備し始める。
「ロベルト、それはガラルに頼むって言ってなかった?」
「まあ、いいじゃん。彼には他の仕事を見繕うし」
「ふーん……」
アルシアは奇妙なものを見るような目で、契約書に判子を押す弟を眺めていたが、急に酒瓶を置いて立ち上がる。
「仕事の話があるなら、オレは退散するな~。ガラルに酒場に付き合ってもらうわ」
じゃあな、コウくんとニッコリ笑い、コウにだけ挨拶をしてアルシアは去っていく。
昨日の失態が相当に効いているんだろう。役に立たなかった俺への当たりが随分厳しい。
しかし今回の一件の責任は、最初にコウの情報を信じなかったお前にもある。逆恨みも甚だしいぞ。
「おねーさん、怪我とかしてなくて良かったな」
コウはニコニコしながら能天気なことを言っていて、俺は思わずため息をついた。
ロベルトが紹介してくれた仕事は、翌日の早朝から出発するものだった。
「どうせ月末にはスェルグに行く予定だっただろ?」
「気を使ってもらって悪いな」
「気にすんな。オレとお前の仲だろ!」
ロベルトとは歳が近く、四年くらい前から付き合いがある。当時はロベルトを通じてわずかな仕事を紹介してもらうくらいだったが、お互いに色々あって最近はあまり顔を合わせる機会もなかった。
「スェルグってなに?」
「港町だよ。外国との貿易が盛んな、ハイランド一の素敵な場所さ。コウくんは初めて行くのかな?」
「うん。おれは家からあんまり出たことがなくて。港って、船とか海があるの?」
「そうだよ。よく知ってるじゃん」
「すげーな。海って、でっかい魔物とかよく出てくるんだろ?」
また嫌なことを言っている。俺は慌ててコウの話を制する。
「でっかい魔物なんか出ねーよ。大規模な魔物災害なんて、年に一度か二度あるくらいだよな?」
「うーん、そうだなぁ。もうちょっと多いかな。最近は船便の数が増えてきたからねぇ」
おい、やめろよ。コウがまた目をキラキラさせはじめただろうが。
「魔物被害があるからこそ、討伐者が大金を稼げる。お前にとっては良い傾向じゃないか、クライス」
「人聞きの悪いことを言うな。俺が魔物被害を望んでいるみたいじゃないか」
「望んでないの?」
「望んでるわけないだろ」
俺の不機嫌さが伝わったのか、ロベルトは軽く息をついて、話を切り上げる。
側にあった先頭馬車の御者席に飛び乗って、御者と仕事の話をし始めたので、俺は今回の依頼の対象をゆっくり観察することにした。
依頼内容は、スェルグに向かう商団の護衛。
その商団は小規模なものだった。
荷馬車が三台。厳重に麻紐でくくりつけられた木箱の中には、おそらく鉱山で採ってきたばかりの新鮮な岩石がゴロゴロ入っている。
素人には何の価値があるのか見当もつかないただの石ころだが、とある国で加工してもらうと宝石よりも高いアイテムになる。
貴重な商品の運搬であるのだが、スェルグとハイメリアは大都市なので、互いに立派な街道で行き来することが出来る。
ほとんど危険のない街道だけの旅程。正直この規模の商団の護衛に、俺みたいなハイクラスの討伐者を付けるのは少々もったいないような気もするのだが……。
「絶対に失敗できない取引なんだよ」
昨晩仕事の詳細を聞いたときに、ロベルトは声量を落として言った。
「積み荷は錬石の原石だ。ファロウに送って錬石アイテムに加工してもらう」
「そうなのか。それなら危険なんてほとんどないだろ。原石は商流が限定されてるから、盗賊に狙われたりしないだろうし」
錬石の原石は、見た目にはほとんど石ころと変わらない。だから本物かどうかの判定が難しく、闇ルートで捌くことができない。そういう理由で、盗賊団などのごろつきどもに狙われにくい商材だ。
スェルグとハイメリアを繋ぐ街道はとても広く整備が行き届いているので、魔物が出てくることはほとんどない。だからこのルートに関しては、俺みたいな護衛は必要ないはずだ。
それなのに、ロベルトは眉間にシワを寄せながら言った。
「いや、最近さ。もうちょっと山側のルートでなんだけど、魔物に襲われたんだよ。危険レベルAの魔鳥だったらしい。護衛がいなくてさ、全滅しちゃったんだ」
「何やったんだ? 縄張りでも荒らしたか?」
「そんなヘマしないと思うんだけど……」
俺はこっそりコウの様子を見た。慣れない旅に疲れたのか、ソファーで丸まって眠っている。またややこしい話をぶち込まれる心配はなさそうでホッとした。
「それでさ、ハイランド王が怒ってるらしいんだよ。神の怒りだ、あの神を恐れない異端国家のファロウと怪しげな取引をしているから、神様が天罰を下したんだと言い始めてるらしい」
「またか、あのオッサン。頭沸いてんなぁ」
俺は呆れて溜め息をついた。ハイランドという国は後進国だから、何かの威を借りないとすぐに政治が不安定になる。
ハイランド王が今、熱心に取り入っているのが、隣の大国フォレスティア。この国は神聖国と呼ばれる宗教国家で、主神エルフルトとかいう女神を信仰している。
無神論者が大半の技術大国ファロウはフォレスティアと仲が悪く、このニ大国は何かにつけて対立している。
「ちょっとでも刺激するとさ、また“錬成術は悪魔の術だ!”なんて喚き出すんじゃないかとヒヤヒヤしててさ」
「はあ、なるほどな……」
錬成術が便利なこと、国力を上げるためには必要なものだと認識はしているので、今のところのハイランド国家はある程度の流通許可は出してくれている。
しかし不幸が続けば、その許可を引っ込めてしまうかもしれないくらいに微妙な立場に置かれているらしい。
「わかった。スェルグに着くまでは事故が起こらないようにしよう」
「頼むよ」
このような会話をして、仕事内容に納得した俺だった。
御者と話を終えたロベルトが、再び俺の隣に降りて歩調を合わせる。
「どうした? 何かあったか」
何か浮かない顔をしていたので、俺は彼にそう尋ねた。
「あのさ、ちょっと言いたいことがあって」
手で口許を隠して、耳打ちしてくる。
「オレ、以前から助言してたよね? お前のその髪はちょっと目立つから、帽子かなんかで隠した方がいいよって」
「ああ、うん。だからこのヘッドバンドしてるだろ」
「いや、着け方が雑だし、全然隠れてないよ。さっき御者さんにも聞かれたんだから。もうちょっと気を付けてくれよ」
「そうか、悪いな」
俺は頭に巻いた黒いヘッドバンドを目深に被り直す。前髪を隠そうと懸命にねじ込んだが、癖のある金髪はうまく隠れてくれない。
「帽子より脱げにくいんだよ、このほうが。戦闘中にも外れないしな」
「……まあ、隠してるほうが怪しいかもしれないし、今のところはそれでいいか」
ロベルトは苦笑いをして去っていく。後ろの御者に何か指示を出すようだ。
俺はもう少しだけ髪を弄っていたが、すぐに面倒くさくなってやめた。
確かにこの国には金髪は少ないが、そこまで珍しい髪色じゃない。
ファロウ人に金髪が多いというイメージが広まっているため、ハイランドでは少々肩身が狭いと言われてはいるが、今まで特に不利益を被ったことはない。
討伐者の肩書きが、俺の容姿の不利益を十二分に覆い隠してくれているからだ。