第2話(1)
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「うえ。なんだよ、このかったいパン」
「うるせぇな。食いたくなきゃ返せよ」
散々な一日を終えて、街道沿いのキャンプ区画で野営をした俺たち。
大きな街道の端にはこのような、風雨がしのげるだけの小さな屋根があるスペースが点在する。キャンプ区画と呼ばれるこのスペースで、町に辿り着けなかった旅人は一晩を過ごす。
まわりに同じようなやつらがポツポツと火を起こしているので、ここは比較的安全な野営ポイントだ。
ブー垂れるお坊っちゃまに俺は黙々と朝食を出していく。旅の間の食い物は大体が乾物だ。沸かした湯で溶いた乾燥スープにちぎった干し肉を投げ込み、器によそって、あぐらをかいた膝元に置いてやる。
俺は黙って乾パンを自分のスープに浸しながら食べる。コウはその様子を眺め、真似をし始めた。
「あ、こうやって食べたらけっこう美味しいな」
「そりゃ良かった」
スープが気に入ったらしいコウの器はすぐに空になる。俺は鍋に残っていた分を足してやった。
「ありがとう!」
満面の笑顔でそう言われたら、悪い気はしない。
こいつはこうやって人家を渡り歩いてここまできたんだな、となんとなく思った。
先ほどはお坊っちゃまと揶揄したが、このコウというガキは意外と適応力が高いやつだった。
初めて見るらしい野営の道具に興味津々で、昨晩は火起こしやテントの準備など、何かにつけてじっくり観察していた。地面に転がって眠るのにも文句を言わず、それどころか楽しそうにいつまでもゴロゴロしながら喋りかけてくる。
お陰でこっちは寝不足で、コンディションは最悪だ。それでも日が高いうちに人里までたどり着かないといけないので、ゆっくり休んではいられない。
「お前、家には帰らないのか」
「何度も聞くなよ。帰らないっての」
昨晩から何度も尋ねた問いかけの返事は変わらない。
仕方ない、今月中にこいつの保護者から謝礼をもぎ取るのは諦めるか。
俺は一晩中悩んでいた、今後の予定を確定する。
とりあえず首都に行こう。そこで今月の採算を合わせるしかない。
「もう出発するのか?」
「ああ、俺は忙しいんだ」
昨日の仕事の失敗は、俺にとっては非常にまずい事態だった。
用意しないといけない今月分の金貨二十枚が、まだ準備できていない。アルシアが持ち逃げした前金の半分を受けとるついでに、別の仕事を斡旋してもらわないと。
「次はどこに行くの?」
「ハイランドの首都ハイメリアだ」
「ハイメリア……」
もしかしたら、首都から来たお坊っちゃまかと期待したのだが、この反応を見る限りは違うようだ。海側じゃなく、山側か? それとも南の方かな。
まあ、そのうち帰りたいと言い始めるだろう。とりあえずは目先のことに集中しなければ。
俺は考えうる限りの金策を頭いっぱいに浮かべながら、ハイメリアまでの道をひたすら歩んでいった。
ハイランドという国は、とても文明が遅れている。山だらけの地形も関係するのかもしれないが、首都の東側を走るハイメル運河を境に、未開拓な風景が長らく続く。
俺たちが辿り着いたハイメリアという都は、そのハイランドの中では考えられないくらい栄えた場所だ。木造や土壁の家しかなかった田舎の家屋とは違い、上質なレンガや石壁の家屋が目立つ。
ひっきりなしに商団の馬車が出発する正門をくぐると、色とりどりの帆布の屋根が並ぶ商店街が俺たちを迎えた。
「すげー! なんだここ。これが街ってやつか?」
「ああ、そうだ。来たことないのか?」
「うん。こんな大きな町は、絵本でしか見たことがないよ」
絵本か。ドラゴンの件でも思ったが、こいつの家にはたくさんの本があるのかもしれない。
本というのは高価で、一般家庭にそうそうあるものではないから、やっぱり金持ちのお坊っちゃまだ。
来月はこいつの保護者から月収分を賄おうと算段しながら、俺は商店街をまっすぐ進む。
「ねぇねぇ、急いでどこ行くの? ゆっくり見ていこうぜ」
「俺は忙しいって言ってるだろ」
「何で忙しいの?」
「金が要るんだよ、金が」
「かね?」
俺はそっとコウの顔色を窺う。あまり突き放すとこいつはまたフラフラとどこかに行ってしまうかもしれない。来月の収入源を逃してしまうわけにもいかないから、なるべく丁寧に扱わないとと即座に判断する。
「金持ちのお坊っちゃまは知らないかもしれないが、俺たち一般平民は、汗水垂らして金を稼がねぇといけねぇんだ」
「何で?」
「さっきお前が食べた飯も、昨日使わされた魔道具の弾も、手に入れるにはお金が必要なんだぞ」
「そうなの?」
やっぱり何も知らずに生きてこられた類いの人間だ。俺はこの機会に、少しでも平民の生き方を体感させてやろうと考えた。それがこいつのためになるだろう。いつか巡り巡って俺の役に立つかもしれない。
「金っていうのは、こういう物だ。金でできたものが金貨、銀でできたものは銀貨。他にも銅でできたものとか、紙に判子が押してあるやつとかもまとめてカネって言うんだ」
「へえ。実物は初めて見たよ。今はこんな感じなんだ」
コウは俺が麻袋から出した銅貨をつまんで、眺めながらのたまう。
「絵本で見たやつとはちょっと違うけど、わかるよ。これでモノと交換するんだよな」
「そうだ。王の世代交代で新しいデザインになることもある。お前んちの本には古い貨幣が描いてあったんだろうな」
俺は銅貨をしっかり回収してから、とある店を指差す。入り口の脇に甲冑を来た人形が立ててあり、イミテーションの宝石や剣などの武器が飾ってある。
「後で行こうと思っていたが、興味あるなら今から寄っていこう。金を使った取引を見せてやるよ」
「やったー! ありがとう」
俺は店の中に足を踏み入れた。
そこは討伐者用の武具を扱う専門店だ。俺は首から下げていたライセンスを店主に見せ、カウンターにきれいに並べられた銀色の弾を眺める。錬成銃の弾は親指くらいの円筒に、内側から発光するような不思議な色味のラインが入っている。
「今の相場はどのくらいだ?」
「こちらが価格表になります」
店の親父が木の板を見せてきた。そこには種類別の弾の値段が殴り書きされている。
「ハルトが値上がりしてるな」
「国から輸入規制がかかりまして」
またかよ、と俺は内心で舌打ちしながら、いくつか弾を選んでトレイに乗せた。
「お客さんは伝達体は何をお使いで?」
「ハルトとフロウだが」
俺の答えを聞いて、店主は足元から恭しくケースを取り出してきた。
蓋を開くと、黒光した高級そうな毛皮があしらわれた内装が現れる。その上には六角柱をした宝石が陳列している。
「今はイグニドの相場が下がっています。この機会に新たな伝達体を試されては? 戦術の幅が広がりますよ」
「あー、そうだな……」
俺は少し考えてから、首を横に振った。
「せっかくだが、持ち合わせがない。またの機会にするよ」
「そうですか。承知しました」
俺たちのやり取りに、コウは興味津々な目を向けている。
たとえ金持ちであっても、この店の商品を目にする機会は多くない。この店での出来事はこいつにとって特別な体験になるんじゃないか。
そう思った俺は店主に断りを入れてから、カウンターの品々について解説をしてやった。
「昨日、色々な魔法を見せてやっただろ? これはあの魔法を使えるようにするものだ」
「魔法というか、正確には“錬成術”と言います。お客さん」
「錬成術なんて小難しいこと、一般人にはわかんねぇよ。魔法でいいだろ」
店主が細かい口を挟んできたので、俺は苦笑いを交えながら話を続けた。
「魔術師とか神官っていう、カミサマの奇跡を施せる人間が国の中心にいるんだが、そいつらが使う不思議な術を“魔法”って一般人は呼んでいる。“錬成術”ってのは、その魔法に似た現象を普通の人間が起こせるようにしたスゴいものだ」
俺は自分の胸につけていた小型銃を取り出してコウに見せる。
「これは錬成銃って言って、簡単に錬成術をぶっぱなせるように改造されている」
「あの、ドラゴンを出したのもこの銃だったよな?」
「そうだ。あれは『威嚇』という錬成術を発動させたんだ。威嚇っていうのは、相手が脅威を感じるような幻覚を見せて、怯えさせるものだ」
「おれがドラゴンを見たかったから、見えたのか?」
「多分そうだろう。俺にも細かいところは良くわからんが」
俺は錬成銃の撃鉄を持ち上げ、先端を指差す。
「ここに宝石が刺さっているだろ? これは“導石”という部品だ。赤い色をしているから、これはイグニドの導石がはまっている」
「イグニド?」
コウが首を傾げたので、俺は店主の脇に立ててある相場リストを指差して言った。
「錬成術に使われるのは錬石っていう宝石なんだが、七種類あるんだ。赤いのはイグニド、火の属性を持つ。橙色はハルト、青色はフロウ。それぞれ土とか水とかを象徴しているんだが、組み合わせによって錬成術の内容が違ってくるんだ」
俺は次に、撃鉄の当たり金を持ち上げて、その下に埋まっていた六角柱の宝石を取り出す。
「この宝石は伝達体という。導石でこの伝達体を叩くことで錬成術が発動する」
俺がつまんでいるのは、青色の宝石だ。フロウの伝達体。赤い導石で青い伝達体を叩くのが、今の俺の小型銃の構成になっている。
「どんな魔法が出てくるの?」
「この二つを叩くだけじゃ、モノを温める効果しかない。湯を湧かしたり、ちょっと暖を取りたいときとかに使うかな」
「ふーん」
俺はトレイに乗せた銀色の円筒をつまみ、金色に光るラインを見せてやる。
「この“弾”を銃口から入れてセットしておくと、さらに違う魔法が撃てるんだ。『威嚇』はこの構成、導石・イグニド、伝達体・フロウ、弾・クラフトだ」
金色のラインがある弾は、クラフトという種類の錬石が入っている。クラフトは命の属性と言われていて、生き物の精神や肉体に効果を及ぼすことが多い。
「弾は他の部品に比べたら安いが、一回でなくなる。昨日のゴタゴタで、ふたつも使っちまった。ティフォンとクラフト。ほら、安くないだろ。ひと弾銀貨三枚だぞ」
銀貨一枚で、俺くらいの大の男が町で一日暮らせるくらいの金だ。討伐者は金がかかる。金をかけずに討伐者がやれたらぼろ儲けなのだが、瞬時の判断で生死が左右されるこの職業で、そう上手くは行かない。
「でもおれに無駄に魔法を使ったくらいだから、クライスはお金があるんだろ」
「まあ、このくらいはな」
俺はトレイに乗せた三発の弾の会計を済ませる。銀貨十枚。単純計算で十日分の生活費とさよならをして、俺は颯爽と武具屋を後にした。
「あの店はな、討伐者のライセンスがないと利用できないんだ」
再び街を歩きながら、俺はコウに解説の続きをしてやった。
「討伐者ってのは、魔物討伐の能力があると国が認めた戦士なんだ。錬成術ってのは扱いが難しいから、きちんと講習を受けて、実践訓練で適性を見て、試験に通らないと使わせてもらえないんだ」
俺は一ヵ月前にAランクという上級クラスに昇格したばかりだった。試験対策は面倒だったが、おかげで日給が上がった。少しでも早く目標月収を稼げることに喜びを感じていたのだが……。
「うん。なんだか良くわからないけど、クライスはその討伐者って仕事が好きなんだな」
俺はふと聞こえたコウの発言に、妙な引っ掛かりを感じた。
「ちげぇよ。こんな危ない仕事、好きなわけねぇだろが」
「そう? 楽しそうに聞こえたけど」
「…………」
確かに、ちょっと自慢気に話してしまったかもしれない。
討伐者という仕事を紹介してもらうまで、俺はほとんど休みなく力仕事をさせられていた。その仕事量でも日給が銀貨一枚にも満たない日もあった。
数年前、お先真っ暗な人生を送っていたときよりは、多少はましな暮らしをしている。そのことは否定しない。俺は今、最悪の人生を送っているわけではない。
「お前みたいな、苦労したことがないお坊っちゃまとは違うんだよ、俺は」
つい苛立ちを覚えてしまったのを苦々しく思い、俺はケチ臭い自慢話を切り上げることにする。
「クライスが楽しそうだから、おれもなんだかワクワクしてきたよ。おれも討伐者になろうかな」
そんなに簡単になれるもんじゃねぇし、なってもロクな目に遭わねぇぞ。
そのように反発するのも大人げないと思い、俺は無言で足を進める。
次に足を踏み入れたのは、薄暗い裏通りの一番奥に佇んでいる、くすんだ緑色の壁紙が特徴の貧乏臭い木造の建物だった。
釘が所々外れて、傾いている看板には“フェアバンクス商会”と古くさい飾り文字で描かれていた。