第5話(4)
「なぁ、クライス」
邪魔にならないように船に近付き桟橋の近くにあった縁石に腰かけた俺に、コウがそっと囁いてくる。
「何だ?」
「クライスとアルシアって、どういう関係なの?」
俺はブフッと噴き出した。何を聞かれるかと思ったら、そんなくだらない内容か。
「どういうって、雇い主と雇われ労働者だよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「えぇー、でもさ、クライス」
コウは俺の回答に納得していない様子で口を尖らせる。
「物語の主人公はさ、女に好かれるんだよ。なんでかわかんないけど、大体の女は主人公のことが好きなんだ」
「お前なぁ。何度も言うが、俺は主人公って柄じゃねぇんだ」
どっちかというとお前のほうが主人公だろうと反論しそうになったが、そうするとアルシアがコウに惚れているという訳の分からない話になりそうなので黙っておいた。
「でもさ、さっきのおねーさんは何だか様子が変だったよ。おれ、そういう描写を見たことがある」
「メモリーでか?」
「メモリーで」
コウの知識は絵本や小説ではなく、メモリーから仕入れた情報のようだが、どうやってそんな俗っぽい情報を検索できたんだろう。いまいちイメージが沸かないが、空想の物語も読めるんなら、安っぽい恋愛物も読めるんだろう。
「お前がどこからどんな知識を仕入れたのかは知らないが、現実の人間関係はそこまで単純じゃねぇんだ」
俺はアルシアについて知りうる情報をコウに語ってやった。
あいつは客観的に見て美人でモテそうだが、金勘定にうるさく、金を作れない男に全く興味がない。俺は討伐者の資格を取って、一応金を作れるようになったから普通に会話してもらえる。ハイランドに来たばかりの頃、ほぼ浮浪者だった俺はまともに話しかけてももらえなかった。今だって、仕事に関係ない会話はほとんどしたことがない。
「だから多分、今回もカネ絡みの話だよ。俺にかこつけて外国に行きたい理由がなんかあるんだよ」
「えぇー、そうかなあ」
何を根拠にしているのかは分からないが、コウは最後まで納得していない様子だった。
でも、確かに妙だ。
好きとか嫌いとかじゃなく、金になるような話は何もないのに、どうしてフェアバンクス商会は俺のわがままに付き合ってくれるのか。
出港の準備が終わったと俺たちを呼びに来たアルシアの後ろ姿を見ながら、俺はモヤモヤする。
「なあアルシア。さっきも聞いたが、どうしておやっさんは商船を貸してくれたんだ」
「うるせぇな。仕事のついでだよ。たまたまファロウに行く便があったんだよ」
「船を出してもらっても、払う金なんかないぞ。まさか、俺に何か特別な仕事をさせようとしている?」
「んなことはねぇよ、本当にただの厚意だよ。オヤジのな」
「お前のオヤジはお前より守銭奴だろ? 裏がないとは思えないが」
俺の言葉に反応して足を止め、アルシアはくるりとこちらに向き直る。そして指を俺の胸に突き立ててこう言った。
「オレもよくわかんねぇのよ、クライス。だけどな、前からそうなの。ロベルトとオヤジは何故だかお前には優しいの」
アルシアの顔は妙に厳しくて、先ほどのはにかんだ表情からは考えられないくらい真逆の顔だった。
「知りたいのはコッチだよ。お前がウチに来てから変なことばっか起こるんだ」
アルシアはそう吐き捨てると、プイとそっぽを向いて船に飛び乗った。
コウにはああ言ったものの、こいつが頬を赤くしたとき、俺も少しは疑った。ガラルハラッドの思わせ振りな発言の直後だったから、疑わないほうがおかしい。
しかしやっぱりアルシアはアルシアだ。
俺は彼女の言葉を冷静に受け止めて頭を捻った。
『ロベルトとオヤジは何故だかお前には優しい』
一体何のことだろう。
確かにロベルトは俺とサキに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている気がするが、頭取も俺のことを気に掛けてくれているということか?
まあ、ロベルトは息子とはいえ従業員だから、頭取が許可をしないと俺に世話を焼けないわけだし、それはそうなのかもしれない。
考えるとさらにモヤモヤが募ったが、だから何だ。別に良いじゃねぇかと思って首を振った。タダで船を出してくれるなら、俺にとっては願ったり叶ったりだ。理由なんてどうでもいいじゃねぇか。
船はアルシアの的確な指示のもと動き始めた。
フェアバンクス商会の船の中では小型のものだったが、フラヴェル行きの船よりはだいぶ大きい。
大きい船はあまり揺れないので助かる。俺が船縁にもたれ掛かって甲板を眺めている横で、コウは船縁に両ひじをついて、気持ち良さそうに風を浴びていた。
「大きな船は、家が動いているみたいですごいな!」
確かに。家が動いているというのは言い得て妙だ。
「この船には船室もあるんだぞ。夜にはベッドで眠れたりするんだ。すげぇだろ」
「えっ、今夜はこの船に泊まるの?」
「ああ。ファロウまでは一週間くらいかかるからな」
「わあ、すごい。ワクワクするな!」
コウにそう言われると、俺も何だか気分が上がってきた。
ハイランド内を馬車や徒歩で往復するばかりの日々を二年続けた。外国行きの船旅なんて、ファロウからハイランドに逃げてきた一度きりだし、前回は風景を楽しむ余裕など無かった。
「船の上の風は気持ちが良いね」
「そうだな」
気が付くと俺もコウと並んで、船縁に肘をついて身を乗り出していた。
潮風が頬を撫で、ほんのりと塩の匂いを残す。
きしむ木材の音と、波が船腹を打つ低い響きが、心臓の鼓動のように規則正しく耳に届く。
眼下では、深い蒼の海が絶え間なくうねりをつくり、白い泡が弧を描いてはすぐに消えていった。陽光を受けた波面は、まるで散りばめられた宝石のようにきらめき、どこまでも果てが見えない。
俺たちはしばらく言葉をなくし、ただ波の音に耳を傾けた。
「メモリーでも、船に乗っている描写はあったんだけどね」
徐に、口を開くコウ。
「わかるかなぁ、メモリーって、ここまでなんだ。世界はここまで」
コウは顔の横で壁を作るように、手の指を真っ直ぐ伸ばして立てて見せた。
「だけど外の世界はこうじゃないか。ずっと広くて、どこまでも見えちゃう」
今度は両手を大きく広げて、地平線の彼方に視線を向ける。そして空を仰ぎながら深々と息を吸い込んだ。
「匂いとか、湿った感じとか、ちょっとだけ寒いのとか。同時に入ってくる情報がたくさんあるね。でも主張しない。おれが拾おうとしないと何もないんだけど、拾おうとすればいくらでも拾える」
「ああ、確かに。メモリーは拾いたくないことも押し付けてくる。虫眼鏡で見ているみたいに、狭くて細かい話ばかりな」
現実の世界はそうじゃない。自分が拾いたいもの、必要としているものを選んで拾える。押し付けがましくない、壮大な世界が眼前に広がっている。
自分に感じ取れないほどの多くの情報がここにあるんだろうと感じられて途方もないが、この途方もなさが不思議と心地よい。
「キューさんは、世界のことを知るのはメモリーだけで充分だって言うけど、おれはそう思わないな」
「まあ、世界は複雑だからな。立場や見方によって答えが変わることもある。知識だけあれば理解できるって話でもない」
「クライスの言うことはなんとなくわかるよ。多分きっとクライスのほうが正しいんだ」
コウはあっと声をあげて、水面を指差した。そこには無数の銀色の煌めきがあり、魚の群れが並走していることがわかる。
それをめがけて、海鳥たちが集まってきた。舳先を休憩場所のようにして、狩りを始めやがる。
パシャパシャと魚が跳ね、それを鳥が狙うの繰り返しを見ながら時間を潰していると、次第に日が傾き始めてきた。
遮るものが何もない海は、日の色が変わるに従ってその色を素直に変化させる。
透き通るような蒼だった波面が、次第に金と朱に染められていく。きらめく光の粒は柔らかさを増し、海そのものが炎の絨毯のように広がっていく。
西空の雲がゆっくりと赤紫に染まり、遠くの水平線が炎の帯のように光っている。海鳥たちはやがて影となって空を横切り、鳴き声が遠ざかっていった。
船上もまた、一日の終わりを迎えようとしていた。縄を巻き直す水夫の動きは落ち着き、荷の確認をする声もどこか柔らいでいる。
俺たちの鼻先に、潮風とは違う匂いが混じり始めた。
メシの匂いだ。何の料理かはわからないが、船員は十数人いるから、全員が満足できる料理と言ったら、汁や煮込み料理だろう。
腹が減ってきた。俺たちの分はあるだろうか。金を取られるだろうかと悩み始めたとき、視界に妙な影が映り込んだ。
「なんだろう、あれ」
コウも同じものを見つけたようだ。
「魚……いや、積み荷か? 難破船でもあるのか」
「ただのゴミみたいだけど」
日の光の角度が悪く、それが何なのかはよくわからなかった。
しかし妙なのは、その物体そのものではなく、並び方だ。
その白っぽい何かは、円形に並んでいる。真ん中から小さな円がどんどん大きくなり、円が連なっているように並んでいる。
「こんなに波があるのに、どうして乱れないんだ?」
「不思議だね。あの模様、どこかで見たことがあるんだよなぁ」
コウが呟いたことは、俺も感じていた。どこで見たんだったか……と思案していると、ハッと思い出す。
俺は懐から、手帳を取り出して開いた。それはフラヴェル行きの通行書で、気が付いたときには気味の悪いインク染みが浮かび上がっていたのだった。
「うわ、似てるね。その染み」
コウが言う通り、染みと眼前のゴミの並び方は非常によく似ていた。
こんなにも似るものなのか。偶然できたにしては、あまりにも似すぎている。
何か作為的なものを感じて、俺は気持ちが悪くなった。
いや気持ち悪いのは、もう少し前からだ。鼻の周りに纏わりつくニオイで胸がムカムカしている。メシの匂いと海の生臭いニオイが混ざったのが良くないのか。空腹もそれを助長して、不快な気持ちが段々と増してくる。
俺は手元を見ていられなくなり、手帳を懐にしまった。船縁にもたれかかり、ボンヤリと謎の模様を眺める。
「メモリーでも何も情報が出てこないよ。こんなに何も出てこないのは初めてだな」
コウがボヤいている声を聞きながら、焦点がボヤけつつあるのを感じていたその時のこと。
紫がかった空に何か光が上っていくのが見えた。
一気に意識が覚醒し、煌々と光る玉を凝視する俺。
「クライス、あれは何?」
「信号弾だ。救助要請かもしれない」
俺は周りの船員にあれを見ろと声をかけて回る。船長室に駆け込んで、話し込んでいたアルシアと船長の間に割って入った。
「信号が飛んでいる。あれは何だ?」
「あれはハイランドの旅客船の救助要請です。襲撃があったのかもしれません」
「ハイランドの旅客船か」
船長の冷静な言葉に、アルシアはチッと舌打ちをした。
「船長、船員のリストを見たい。どのレベルまでなら対応できる?」
「職務経歴と保有技能のリストはこちらです。魔物なら全員でかかればAランクくらいまでならギリギリ対応可能かと」
「じゃあ言い訳はできねぇな。向かうぞ」
アルシアは船室を飛び出していき、次々と船員に指示を飛ばし始めた。




