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Trifle  作者: 小柚
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第4話(4)

「もうちょっとキーワードを足してみたら? いくつか足すともう少しリストが絞られるはずだよ」

 コウがそうアドバイスしてくれたので、俺は最初の操作盤に戻り、言葉を足した。

 『黒斑病』『治療法』と入力してみると、光の文字列の長さは明らかに短くなった。

 期待を胸にいくつかの文字列を見てみたのだが、どれも俺を辟易とさせるものだった。

 黒斑病を治そうとした人間はたくさんいるらしく、映像の登場人物は色々なことを試していた。皮膚を焼いてみたり、黒斑部を切り落としてみたり。妙な薬草を煎じて飲ませているやつもいたが、どれもこれも失敗してしまったようだ。

 周りが暗いのもあって、どれだけの時間が流れたのかはわからない。腹の虫が鳴く頃には、こんなやり方じゃいくらやっても黒斑病の治療法なんて見つからないんじゃないかと思い始めていた。

「キューさん、そろそろご飯にしようよ」

「ええ? お腹がすいたんですか?」

「うん。外の世界では、一日に二回も三回もご飯を食べるんだ。なんだかそれに慣れちゃったみたいだ」

「仕方ないですね……」

 キューは渋い顔をしながら、再び光の扉を召喚して、どこかに消えてしまった。

「クライス。ご飯を食べてさ、またゆっくり探したら良いよ。すぐに見つからなくても、いつかは見つかるよ。時間なんていくらでもあるんだから」

「…………」

 コウは励ましてくれたのだろうが、俺には響かない。

 時間はいくらもない。今月の金を稼いで、サキのところに帰らなくてはならない。ここまで来るのに一週間はかかってしまった。今から急いで引き返したとしても、月の半分はつぶれてしまうのだ。

 光の扉から戻ってきたキューは、俺たちをダイニングに案内した。

 四人がけくらいのテーブルに、手料理のようなものが並んでいる。見たこともないような見た目の料理で、小綺麗に盛り付けられているのが印象的だった。

「わーい! キューさんのオムライス、大好きなんだ」

 どうやらオムライスとかいう料理らしい。薄く焼いた卵のようなものが皿の真ん中で丸まっていて、トマトソースで器用に絵が描かれている。

「コウが食べたいと言うと思って、張り切って作りましたよ」

「ありがとうキューさん」

 俺にもコウと同じものを作ってくれたところを見ると、こいつは料理が好きなんだろう。どうでもいい扱いの客人にすら、自慢の腕を披露したいと思ってしまうくらいの単純な人間であるらしい。

 意外な一面もあるのだなと思いつつ、オムライスとかいうものを食べてみた。確かにうまいと思った。しかしそれ以上の感想はない。俺は大して味覚が優れているわけでもないからだ。

「クライス・クレイマー、あなたにひとつ提案があります」

 あと二、三口を残したくらいに食事が進んだときに、キューがそのようなことを口にした。

 フルネームなんて名乗った覚えはないが、まあどうでもいいかと思って「なんだ?」と返した。

「あなたはどうも根気がない人間のようです。あのメモリーという道具には相性があり、あなたには使いこなせるだけの技量がないと思われます」

 図書館で本を探したことないでしょう、と言われ、そりゃあ文字も最低限しか読めない俺に本が読めるわけないだろうと答えそうになってやめる。

「メモリーにはこの世のあらゆる記憶が記録されていますが、望むものを引き出すためにはコツが要ります。それこそ無限に時間を使って、そのコツを掴んでいくしかないのです」

 言われていることはわかる。俺にこのメモリーというのを与えられても、宝の持ち腐れとなるだけだ。

 だから何だよ、そんなことは最初から予測できただろ。なんで使わせたんだよと思いながら睨み付けると、キューは涼しい顔をしてこんなことを言い始めた。

「『この世の記憶(トライフル・メモリー)』にはもうひとつの使い方があるのです。それならあなたのような人間でも、的確に知りたい情報を手に入れることができます」

 俺は最後の一口を口に運びながら、その提案に耳を傾ける。

「操作盤を用いる方法だと、あなたはキーワードを設定し、欲しい情報を引き出す必要があります。その操作があなたにはできない。ですが、メモリーの本体にあなた自身を接続させたら、メモリーに直接あなたの疑問を入力することができます。あなたはキーワードや文字列の選択に悩む必要がなくなります」

 知りたいことをピンポイントで聞けるということか。それならわかりやすくていいなと思いつつ、俺は口を開いた。

「ちょっと待てよ。それはさっき言っていた、危険な二つ目の機能というやつか?」

「はい、そうです」

 さらりと言いやがる。俺は眉間に深いシワを寄せた。キューは俺の反応など気にする風もなく、涼しい顔で説明を続けた。

「メモリーに直接あなたの精神を繋ぎます。するとメモリーはあなたが最も知りたいと思っていることを自動的に認識します。メモリーはあなたが大切にしている記憶領域にその答えを上書きします。あなたは一番大切にしている記憶を失いますが、その代わりに最も知りたいと思っている答えを得られます」

 なんだそれ? 俺は言われたことが理解できずに、アホ面でキューを見つめた。するとヤツは律儀に言葉を言い換えて再度説明する。

「ヒトの記憶容量は限られています。メモリーはあなたが一番知りたいことを、絶対に忘れないように工夫して伝えようとします。だからあなたが一番大切にしている記憶の上に、記憶を塗り替える形で情報を置きます。あなたは新しい情報を、あなたが最も大切にしている記憶として受け入れ、初めからその知識を持っていた人間として生まれ変わります」

 俺はポトリとスプーンを取り落とした。

 相手がなんかヤバイことを言っているのがわかった。

 大切な記憶と引き換えに、疑問に何でも答えてくれると言っているようだ。

 大切な記憶を引き換えに? それって駄目じゃないか。

 俺の一番大切な記憶を失くすと言うことだろ?

 順当に考えたら、俺はサキのことを最も大切にしているはずだ。そうすると、サキのことを忘れてしまう代わりに、サキの病気を治す方法を知ることになる。

 それってなんの意味もないんじゃないのか?

 俺は脳みそをフル回転させながら、言葉を絞り出した。

「ちょっと待ってくれ。俺の一番大切にしている記憶と引き換えにというが、何の記憶を失ったのか、俺は把握することができるのか?」

「できるわけないじゃないですか。上書きするんですよ。あなたが何を記憶していたかなんていう情報は消滅します」

「俺が何を一番大切にしているのかっていうのは事前に知れるのか?」

「それをあなたが最も知りたいこととしてメモリーに入力したら知れるでしょうね。その代わり何かを忘れますが」

「最も大切にしている記憶を失くした俺は、違う人間になってしまうんじゃないのか」

「さあ、そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。しかし、それを忘れた新しいあなたのほうが、あなたにとっては幸せな人生を送れるかもしれませんよ」

 さらりとそう宣ったキューのその言葉が、俺の頭にリフレインした。

 ーーそれを忘れた新しいあなたのほうが、幸せな人生を送れるかもしれませんよ。

 ーーそれを忘れたあなたのほうが。

 いや、それは俺じゃないだろう。サキのことを忘れて、フラフラとどこかに行ってしまう俺になってしまったらどうするんだ。そんなものは俺じゃないし、そんなものが俺であって良いはずがない。

「強引に知識を得るというのはそういうことです。あなたは自分が自分でなくなるかもしれないというリスクを負うんです。それでもあなたが自分を見失わず、得た知識を活かすために行動出来る自信があるのならやるべきですよ。普通に生きていたら、絶対に到達できない境地にあなたは辿り着けるのです」

「…………」

「決心したら、私に言いに来てください。私には時間がありますから、いつまでも待ちますよ」

 キューは食べ終わった食器を集めて、光の扉をくぐって消えた。俺はダイニングテーブルに、コウと共に残される。

 おそらく、カレイドの村に帰ってこなかったり、頭がおかしくなって帰ってきたやつは、大切な記憶を差し出しておかしくなってしまったのだろう。もしかしたら代わりに上書きされた情報が、頭がおかしくなる類いのものだったのかもしれないが。

「大丈夫だよクライス。クライスはサキの病気を治したいだけだろ? ちゃんと調べたいことがわかっていてメモリーを使うんなら、メモリーはきっと役に立ってくれるよ」

 コウは何故だか俺を過大評価している。しかし以前この道具を使いに来た人間と比べて、俺が特別に優れているということがあるだろうか。自分を"特別"と勘違いして、無謀なことに挑み死傷した同僚をたくさん見てきた俺には、コウの前向き思考が全く受け入れられない。

「おれはあんまりさ、知りたいことがないんだよ。だからキューさんにあれを使いこなして欲しいって言われてもどうすればいいかわかんなくてさ。クライスが使いこなしてくれたら、おれにもうまい使い方がわかるかもしれないから」

 コウはキラキラした瞳で俺を見てくる。こいつの言葉には裏表がないことはよくわかる。こいつは善意で俺をここに連れてきて、サキの病気を治す有効な手段としてあの道具を使うことを提案している。

 だが俺は、あの道具を今使うことは最適な選択肢ではない気がしていた。

 今の俺にはあの道具は使いこなせない。

 あれは多分、最後の手段なんだ。自暴自棄になってあれにすがらなければならないほど、俺はサキの病気について調べたわけではない。

 あれを使う選択肢は、高リスクな博打だ。俺はまず、今の俺に見合ったやり方で、俺らしくこの課題に向き合うことが必要なんじゃないのか。

 俺はそう考えをまとめて、コウに向き直った。

「コウ、お前の言う通りかもしれない。確かに俺は、サキの病気を治すために、最善の努力をしてこなかったのかもしれない」

 『お話の世界だって簡単に行ってないよ。主人公は大変な思いをして、色んな障害を乗り越えて、結果を手にするもんだ』

 以前コウにそう言われたとき、俺は努力が足りないことを非難されたようでムカついた。

 サキのために治療費を稼ぎ、サキのために毎月面会をすることが、『俺の出来る最善の努力』とこの数年間自分に言い聞かせてきたのだ。

 しかし、本当にそうだろうか。

 本当に俺は最善の努力をしていただろうか。

 このままの生活を続けた結果、サキの容態が急変して死に至ったりしたら、俺は後悔しないだろうか。最善を尽くさなかった自分を責めたりしないだろうか。

「俺が取れる選択肢は、まだまだたくさんあるのかもしれない。あのメモリーとかいう道具を使うことも含めて、俺はもう少し真面目に考えた方がいいのかもしれない」

「うん? そう?」

 俺はなんだか憑き物が落ちたような心持ちで話していたのだが、コウは俺の心変わりについていまいち良くわかっていないような反応を見せた。

「俺は一旦スェルグに戻る。調べなきゃいけないことがある。メモリーとかいうものに聞くよりも、そっちの方が正確で早い」

「えっ、そうなの?」

 コウは本気で驚いたような顔をしていた。

 俺があの道具に頼らない選択をするのは予想外だったんだろう。

「今月の金を稼ぐには、やっぱりあの保護者に金をもらわないといけない。メモリーを使うという話は取り止めて、契約書通りに報酬を支払ってくれと交渉してくる」

「いや、待って。待って、クライス」

 コウは慌てて椅子から立ち上がり、俺の耳にそっと耳打ちする。

「そんなこと言ったらキューさん怒って、クライスはひどい目に遭っちゃうかも」

「ひどい目に? たとえばどんな」

「森に放り出して、永遠に出られなくしちゃったりとか」

「…………」

 まさかカレイドに戻って来なかった冒険者っていうのは、メモリーの使用を拒んだやつだったのか?

 使うも地獄、使わずも地獄なんて、ずいぶん厄介な場所に連れ込まれてしまったな。

 俺がムッとした表情をしていると、コウは待っててと言い残して光の扉をくぐってどこかに消えていった。

 しかし、つくづく不思議な空間だ。何もないと思ったらテーブルや料理が出てくるし、光の扉でどこか違う場所に飛べるらしい。

 俺にも光の扉が出せるのかなと考えていたら、コウが帰宅時に放り投げた荷物を担いで帰ってきた。

「じゃあ、行こうかクライス」

「え? どこに」

「どこって、スェルグに戻るんだろ?」

「いや、俺はそうだが。お前は行かないだろ」

「行くよ! おれもサキの病気を治したいんだから」

 コウは光の扉を召喚して、俺をそこに引きずり込む。

 すると不思議なことに、俺たちは最初に入った教会の入り口に立っていた。

「キューさんに気付かれない内に出れば大丈夫だよ!」

 コウは俺の手を引きながら、雨が降る廃墟を走った。走って、走って、走ると、意外なほど早く雨の区間を抜け、明るい日差しが差し込む樹海に入り込んだのだった。

「おれはさ、クライスみたいにやりたいこともあんまりなくて、ただ楽しそうな物語の主人公に憧れて外に出てみたんだけど」

 バカみたいに体力があるこいつは、高低差もものともせずに樹海を軽々と走り抜けていく。

「クライスの考え方ってすごく新鮮で、確かにそうかもしれないなぁって思うことが多かったんだ」

 一日中走り続ける気かと思うほどに、一心不乱に木々をすり抜けた後に、信じられない景色が目に飛び込んできた。

 樹海の出口だ。行きは四日ほどかかった行程が、ものの数十分で終わってしまうなんて。一体どうなっているんだと頭が混乱する。

「だからさ、クライス。メモリーに頼らずに知りたいことを知るやり方を、おれにもっと教えてくれよ!」

 外は朝を迎えたばかりのようだ。コウの背後にはキラキラとした朝日が顔を出していて、俺は眩しくて目を細めた。

 俺はこの子供の正体を知らない。ひどく現実離れしていて、理解のできない境遇と思考回路を持っている。

 しかし俺にとってこいつは悪い存在ではなかった。出口のない迷路をさ迷っていた俺は、こいつがもたらした強烈な明かりのお陰で世界の狭さが見え、新しい選択肢が開けた。

 そしてコウもまた、俺のお陰で自分の世界の狭さを知れたと言っているらしい。

「わかったよ、仕方ねぇな……」

 俺はため息をついた。

 状況はまだよくわからんが、無事にカレイドまで送り届けてくれたんだし、危険な目に遭ったことには目を瞑ろう。

「急いで戻るぞ。時間は一刻も無駄にはできない」

「うん、わかった」

 わかっていなさそうな暢気な顔をして、コウは頷いた。

 スェルグに帰る行程の中で俺は考えた。

 こいつは俺を物語の主人公と言っているが、明らかに物語の主人公はこいつのほうだ。

 それはわかっている。俺は自分の立ち位置を見誤ってはいない。

 俺はあの不思議な機械(メモリー)を使うことができるほど、特別な人間ではない。

 だが、そんな俺にもまだできることはあるんじゃないか。

 名もないひとりの旅人として、くだらない一生を送るだけの存在だった俺が、一体どんな物語を紡ぐことができるのか。

 俺の心の中には久しぶりに希望の火が灯り、奇妙なほどやる気に満ち溢れていた。

 

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