第4話(3)
「この土地について、あなたはどれだけのことを知っていますか?」
「さあ。コウの実家だということくらいしか……」
「そうですか。では一から話しましょう」
コウが壁も天井もないと言っていた通り、この不思議空間の中で、星空は延々と続いている。障害物もなく、物も何も見当たらない。何を目印に歩いているのかわからないが、どこかを目指しているらしいキューの背中にぴったりついて歩く。
「この地はかつてファトールと呼ばれていました。今はヒトも住まず廃墟ですが、我々はこの地でとある秘宝を守っています」
「秘宝……?」
ジイさんが言っていたやつか。ただの噂話じゃなかったのか。
キューは少し勿体ぶった沈黙の後、落ち着いた口調で続きを語った。
「その秘宝は、『この世の記憶』と呼ばれています。この世界にあるあらゆる事象を記憶し、参照できるものです。私はこの秘宝を神より授かりました。そして神より『番人』の任を与えられたコウを、一人前になるまでサポートしているのです」
「…………」
なんだか、途方もない話だ。神だの何だのの話が出てくるとつい辟易としてしまうのだが、流石に今回は周囲の雰囲気に飲まれていた。チャチャを入れる気にもならず、黙って話を聞く。
「本来ならこの秘宝は、番人コウを介してのみ使用が許可されているものになります。ただコウはまだ未熟で、迷える下界の人々を導けるほどの人格が備わっていません。だから私は特別に、ここまで辿り着けた一部の人間に、この神の道具の利用を許可しています」
「それは、古代の秘宝とかいう噂話を信じてここまで来た人間か?」
「はい、そうですよ。知識欲が強く、行動力が高い、特別な人間たちですね」
ただの過干渉な駄目保護者だと思っていたキューとかいう派手な女男。淡々と話す姿には威圧感があり、俺は少しずつ距離を取って歩くようになっていた。
教会の中に隠された謎空間。神に授けられたとかいう発言。こいつはハイランドの教会にいる、神と話せる振りをするエセ神官のジジイどもとは明らかに違う。
俺は神を信じていない。神の力を機械化してしまったファロウという国で育ったのもあって、魔法だか神の威光だかは、いつかはそのカラクリがファロウにすっぱ抜かれてしまうだろうと思っていた。魔法を錬成術という技術にしてしまったように、いつかは教会は大学に乗っ取られてしまうだろうと馬鹿にしていたのだが……。
こいつは本物かもしれない。本物にはまだ敵いそうもないから、反抗しない方がいいかもしれない。俺は野生の嗅覚で、そのような危険信号を感じ取った。
「あなたが彼らと同じように、知識を望むのなら。私はあなたにメモリーを使わせることを許可できます」
「そのメモリーとかいうのは、具体的にどんなことができるんだ?」
「そうですね、一般的な機能としては、キーワードで検索して情報を集めて並べる機能があります。それは図書館で本を見つけてくるのと似ています。本を手に取ると、その内容が頭の中で広がります」
「はあ……」
「あなたは知りたいことがあってここに来たんでしょう? とりあえず使ってみたらどうですか」
俺は返事ができなかった。
樹海に迷い込んだ旅人は、最終的にカレイドの村に戻ってこなかったり、頭がおかしくなってしまったと聞いた。
多分、いや明らかに、これがその原因だろう。
こいつはコウに向けて、その道具を『危険な道具』と言っていた。俺に聞こえていたことも承知だろうに、平然と俺に勧めてくるなんて……こいつの頭もどうかしているんじゃないのか。
俺の沈黙の理由を察したんだろう。キューは俺を振り返り、こんなことを言い始めた。
「ちょっと使うだけなら大丈夫ですよ。危険なのは二つ目の機能ですから」
「…………」
「せっかく来たんだから、試しに使ってみましょうよ。こんなチンケな金をもらって帰るなんて、あなた冒険者として恥ずかしくないんですか」
いや、俺は冒険者とかいうお気楽な連中とは違うんだが。
こいつは俺にその道具を使わせたいのか? 口封じのために、ここに辿り着いた人間にはとにかく使わせて頭をおかしくさせようということなのか。
すっかり警戒してしまった俺の様子にため息をつき、キューは足を止める。
「まあ、とりあえず見せましょう。この世で最も尊い、神による作品をあなたにも」
足を止めたキューの目の前に、光でできた扉が生えてきた。
それはとても不思議な光景だったが、不思議なことばかりでいい加減感覚が麻痺してきていた。
そのくらいでは動じなくなった俺でも、扉をくぐった先にあった光景には度肝を抜かれた。
初めに見えたのは、星空の映る床に生えた石階段とフェンスだ。階段の上には石碑のようなものがあり、そこから深い谷を見下ろすことができた。
谷には星の川が流れていて、それもまた視界の限り遠くまで続いていたのだが、星の川に浸されるようにして、不思議な機械が埋まっていた。
それは時計のような、気象計のような、精密そうな機械であり、いくつかの針や歯車がカチカチと動いている。
こんな大掛かりな機械はファロウでも見たことがない。俺はフェンスから身を乗り出して、その見事な造形を目に焼き付けていた。
「これが『この世の記憶』です。この世のすべての事象を記憶している、神の建造物です」
「神さまってのは、機械も作れるのか」
「当然です。魔法も錬成術も科学技術も、神の奇跡の模倣に過ぎません。少し再現できたからと、自惚れている人間は多少いるようですが」
「…………」
金さえ積めば、苦もなく錬成術を使えてしまうと思っていた俺もまた、自惚れていた人間ということか。
カチカチと動く歯車を眺めながら、この機械が俺に何を与えてくれるのだろうと夢想した。
『きっとサキの病気には原因と、理由がある。それはきっと誰かが把握していて、どこかに記録されているはずだ』
以前コウが、瞳をキラキラさせながら発言したことを思い出す。
コウは俺にこの機械を使って、サキの病気について調べろと言っていた。
今もコウは俺の後ろにいて、期待に満ちた目線を向けている。
コウは俺に『物語の主人公になれ』と言っている。物語の主人公のようにリスクを取って、身の丈よりも大きな成果を取ってこいと言っている。
「わかった、わかったよ。これを少し使わせてくれ。調べてみたいことがあるんだ」
パッと顔を輝かせるコウ。キューは当然の選択と言う風に静かに頷く。
でも後で金もちゃんと請求するつもりだ。俺はそう心に決めつつ、メモリーとやらの操作方法をキューから聞いた。
フェンスの真ん中にある、石盤が操作盤らしい。石盤には見慣れない文字が無数に刻まれていて、敷居の高さを物語っている。
「文字は読めますか? 操作盤を現代トライフル共通語に変更することはできますが」
「少しくらいなら」
現代トライフル共通語というのが何を指しているのかはよくわからないが、一瞬にして石盤に見慣れた文字が並んだことにホッとした。
「指でなぞってキーワードを指定してください。関連の項目をリスト化します」
言われた通りに石盤の文字に一字ずつ触れていくと、その文字が選択した順に浮かび上がってきた。
俺が試しに入力したのは、『黒斑病』という単語だった。右下の丸に触れるとリストを作成するということだったので、そっと触れてみた。
「うわっ!」
俺は思わずのけぞってしまった。
目の前に光の文字が、無数に作成されていく。次から次に改行されて、俺の頭上で蛇のようにうねりながら星空に向かって登っていく。
『関連する情報』は一体どのくらいあったというのか。遥か高みに登ってしまい、リストの端が見えない。
「このリストからさらに閲覧したい項目を選択してください」
「いや、選択するっていっても……」
残念なことに、光の文字列は元々の読めない文字に戻ってしまっていて、俺には何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。
なんでも良いから選んでみようと手を伸ばすと、選択された文字列が発光し、目の前が真っ白になる。
目の裏に映像が映った。そして脳に直接叩き込まれるかのように、その映像の解説が為される。
そこにはたくさんの死体が転がっていた。その死体は全てが出血していて、肌には特徴的な黒い斑点が無数に刻まれている。
『黒斑病は心臓に連結するユビグラムウイルスに拒絶反応を起こした末に、体が自壊して死に至る病です。適応体がひとりでもいると、自然発生し、最終的にこの村のようにすべての住人に感染してしまいます』
何を言っているのかよくわからないが、問答無用で頭の中に情報が入ってくる。
黒い斑点のついた肌の毛穴まで確認できる距離で、割けた肉の鮮やかな赤が認識できるまで詳細に、病状を見せつけられた。血管が割け、内出血が筋肉を溶かし表面の肉が爛れていく様子が頭の中を占め、それが腐り虫が涌いていく様子まで徹底的に見せつけられた。
俺は吐き気を催し、映像を頭から追い払おうとしたが無駄だった。それは俺がすべてをきちんと理解するまでこびりついて離れず、ひとしきり苦しめた後にようやく俺を開放してくれた。
「どうだった?」
暢気にコウが背後から尋ねてくる。
俺はしばらく吐き気を我慢していたが、絞り出すような声で返答した。
「いや、ちょっと。ここまで詳しく知りたくないんだが……」
「あー、わかるわかる。そうなんだよ! 要らない情報まで寄越すから頭痛くなるんだよ!」
そんなあっけらかんなコメントで終わらせられるようなものか? 俺はすっかり腰が引けてしまい、折り畳まれながら空に延びる光の文字列を呆然として見つめた。
「あなたの『知りたい』はそんなものだったんですか? 一つ目で止めてしまう根性なしなんて、今までいませんでしたよ?」
ため息混じりにキューが煽ってくるので、カチンときた俺はもう一度チャレンジしてみることにする。
リストを下に引っ張ることで、上に行ってしまった文字列を手元に引き戻すことができた。俺は適当なところを指差し内容を見る。
次に俺の頭に飛び込んできたのは、燃え盛る火だった。木製の壁が燃えていて、黒焦げた梁が今にも頭上から崩れ落ちそうになっている。
火をつけたのは、ローブを着た人間たちらしい。
『エルセリア教徒により迫害された黒斑病の人々の様子です』などと、無機質な説明が押し付けられ、ローブの男たちが松明で人々を追い詰める様子を延々と見せつけられる。
『黒斑病はエルセリア教典にある、異教徒の刻印"イノシス"に酷似しています。エルセリア教徒はイノシスが刻まれた人々を皆殺しにすることが義務付けられていました』
その光景も見るに堪えないものであり、俺はしばらく立ち直れなかった。
それはずいぶん昔の情報のようだったが、確かに今でも黒斑病の人間は隔離されて差別されている。俺が知らないだけで、この病気には過酷な歴史や背景があるのだろう。
しかし俺はそんなことには興味がない。サキの病が黒斑病かどうかはまだわからないし、サキの病が治せるのかどうかが知りたいだけなのだ。黒斑病の悲惨な歴史を知って何が俺の得になるって言うんだ。
俺はすっかり意気消沈してしまい、リストをダラダラと引き下ろすだけになる。文字が読めないのでどれも選択する気になれず、ついに先頭まで辿り着いてしまった。
「なんだ? この黒ずんだ文字」
リストの先頭にあった文字列が、他の発光している文字列と違うことに気がついて、俺はキューの方を見る。
「ああ、それは鍵付き情報です」
「鍵付き情報?」
「はい。鍵がかかっているので閲覧できません」
「何で?」
「それはあなたには関係ありません」
「…………」
隠されていると気になってしまう。ここに俺の求める情報があるのではと勘繰ってしまう。
「あなたには関係ないですよ。気にするだけ無駄ですよ」
キッパリとそう言われたので、俺は仕方なくリストの発光部に視線を戻した。