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Trifle  作者: 小柚
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第4話(2)

 四日目の朝は、最悪なことに天気が崩れた。

 分厚い雲に覆われた空からは光があまり届かず、あたりはどんよりと暗い。

 雨が降り始めたら大変だ。緩くなった地面にはまって命を危うくするというのは、旅人にはありがちなトラブルだ。

「今日は洞穴かどこかでじっとしていたほうがいいかもしれない」

 俺がそう言うと、コウはキョトンと目を丸くして、「なんで?」と聞いてきた。

「なんでって、危ないからだろ。地面も自分も濡れるんだぞ」

「濡れる? なんで?」

 なんだかおかしい。俺は流石に変だと思って、自分の考えを押し付けるのをやめることにした。

 狂った方位磁石、ループしている風景、生命が感じられない周囲と常軌を逸した状態が三つも発生している。

 そんな中、普通の雨なんて降らないんじゃないかと思って空の様子を伺った。

 ポツポツと降り始める雨。その雨はやっぱり普通の雨ではなかった。

 ポツポツという音は聞こえるものの、その水滴が俺の体に当たることはない。水滴の軌道は目の前に見えるものの、手に受けようとしてもそれは素通りし、地面に落ちてしまう。

 それは、雨の幻覚を見せられているようだった。

 錬成術? それとも魔法? ここまで大掛かりな錬成術なんてあったかなと考える。あったとして、こんな術を俺たちにかける意味なんてあるか?

「あそこに近付くと雨が降るんだ。きっともうすぐ着くよ」

 コウは確信めいた口調でそう言い、再び俺を先導するようになる。

 あそこ、というのがどこなのかを尋ねる前に、俺の視界に異様な光景が飛び込んできた。

 道だ。規則的に埋め込まれた四角い石が見える。それは石畳の道であり、この樹海に入って初めて目にした人工的な構造物だった。

 道は樹海に飲み込まれるように、ところどころが破壊されていたが、その道らしきものに沿って石の塊のようなものがいくつか立っているのが見えた。

「村、か……?」

 そこはすっかり荒廃した集落の廃墟であるように見え、村というよりは町と言ってもよいくらいの規模であるのを感じた。

 かつては建物であっただろう石の壁は分厚く、上質なものに見えたし、先ほどのカレイド村とは比べ物にならないくらいに栄えていた町のように感じられる。

「北東には誰も住んでないって言ってたのに」

 カレイド村のじいさんが、じいさんのじいさんの代から誰も入っちゃいけない領域だって言っていた。ということは、この町は何百年も前に廃墟になってしまったのか?

 俺が周囲を物珍しい視線で見回していると、コウの姿を見失ってしまった。どこへ行ったんだ?

 雨が激しく降っているため、視界が悪い。比較的平坦な道を選んで進んでいると、異様な光景を目の当たりにする。

 なんだろう。これは墓石か?

 建物の壁から切り出してきたのか、同じ色合いで長方形の石が、等間隔に置かれている。

 石には特になにも書かれていないので、墓石かどうかは良くわからないが、広場を埋め尽くすように広がるこの人為的な光景はどう見ても墓地のように見える。

 いったい何人が埋められているのだろう。

 数えるのも馬鹿らしいくらいに石が並んでいる。

 この町に住んでいた人間全てが埋められていると言われたら、そうかもしれないと思ってしまう数だ。

 その不気味な光景の先に、一棟の建物があった。この建物だけ奇妙なほど状態が良く、一目で教会ということがわかる。

 ただ、これが一般的なエルセリア教の教会であるかどうかはわからない。シンボルがついているはずの正面の飾り窓が、きれいに崩壊しまっているようで、妙な形の土台がむき出しになっている。

 丸がぐるりと帯状に並んだその形状にどこか既視感を覚えつつ、俺はその建物に近付いた。

「あっ、クライスー! クライスー! こっち!」

 コウが教会の前でピョンピョンと跳ねている。

「まさか、ここがお前の家?」

「うん。入り口はここだよ」

 おいおい。なんつーところに住んでるんだ。

 子育てをするには不適切というしかない環境に俺は言葉を失った。

 こんな廃墟でどうやって暮らしているんだ。資産があったって贅沢な暮らしはできないだろう。

「冗談はやめろよ。これは廃墟だろ」

「いいから、そこを入ってよ」

 コウが指し示したほうに、三つのアーチが並ぶ入り口らしき場所がある。近付いてみると、崩壊した内部が悠々と見て取れた。教会らしい天井が高い広々とした構造と、扉や窓が全てなくなっていることから、入り口からでも容易く建物の奥まで把握できてしまうのだ。

 こんな場所に住めるわけないだろう。というか、いつ崩落するかもわからない危険な建物だ。

 それなのにコウときたら、

「いいから、入ってってば」

と若干苛立った様子で俺の背中にドカッと体当たりしてきやがった。

 弾みで二、三歩前に出る俺。

 その瞬間、なにか薄い膜を通過したような感覚があった。

 驚いて前を見ると、そこに廃墟の姿はない。

 目の前に広がっていたのは、見渡す限りの星空だった。

 雲一つない晴れ渡った日の夜に、山の上から見る星空がこんな感じだ。

 夜なのに暗さは感じず、手元は見渡せる。だが不思議なことに、俺の周りには何の障害物もなく、左右も地面すらも星が瞬いているような状態だ。

 鏡張りの部屋にでも入れられたのだろうか。何にせよ、見たことがないくらい綺麗な光景だったので、俺はしばらく言葉を失って周りに見惚れていた。

「陰気臭い場所だろ?」

 背後からコウの声がする。

「いや、陰気臭いというか……」

 俺の返事を待たずして、コウはスタスタと星空をまっすぐ進んでいき、声を上げた。

「ただいまー、キューさん。帰ったよー」

 コウは本当に我が家に帰ってきたような感じで、俺が分けた荷物やら手袋やらを脱ぎ捨てつつ歩いていく。

「あ、ちょっと待てよ……」

 置いていかれると迷いそうだったので、俺は慌ててコウの後に続いた。

 しばらく歩いた後、なんだか良くわからないドタバタという音と共に、派手なオレンジ色の布が目の前に現れた。

「わああああ! コウー! コウー! お帰りなさいいいい!」

 突然の、大音響だった。

 俺とコウの間に割って入ったそれは、コウに抱きついてワンワンわめき始めたらしいのだが、あまりの超展開っぷりにその状況を正しく理解するのに俺は数刻の時間を要した。

「痛いってキューさん」

「どこ行ってたんですか! 心配したんですよ? どうしてこんなに遅くなったんですか? お腹空いていませんか? 痛いってどこか怪我したんですか?」

「痛いのはキューさんが頬擦りするから」

「ああ、どうしたんですかそのみすぼらしい格好は? 私の仕立てた服はどうしたんですか? まさか無理矢理盗まれたんですか? なんて悪いやつなんですか! 私が直々に捻り潰してやりますから教えてください!」

「格好いいでしょ。気に入ってるんだよ。キューさんの服より好きだなおれは」

「ああもうコウってば、どうして私のお勧めを嫌うんですか! 最近のコウはいじわるですよ! 前までずっと素直だったのにどうして!」

 ワンワンと泣き始めるそれは、大きな子供のような大人だった。

 俺に背を向けていたのと、体格が良くわからない奇妙な服を着ていたから判断が遅くなったが、長い銀髪を三つ編みにした、背の高い人間であることがようやくわかった。

「キューさん。お客さんを連れてきたんだよ」

「お客さん?」

「後ろにいる」

「ええ? 後ろに?」

 その振り返った時の表情が、想像と違いすぎて背筋が凍る。

 先ほどまで、子供が帰ってきたことを泣いて喜んでいた過保護な親だったのに。そいつは、おぞましい程の冷酷な目線を俺に向けてきた。

「なんですか、アナタは……。アナタが、私の大切なコウを惑わしたんですか……?」

「えっ、いや、その、別に何も」

「別に何も??? この子の服はどうしました? 危ないものを持たせていませんでした? あれは何ですか?」

 血に飢えた獣のような目で俺を見ながら、一方を指差すそいつ。指差した先には、先ほどコウが投げ捨てた荷物が転がっていた。そこには俺の武器の一つの折り畳み式の槍が含まれている。

「あれはキャンプ道具だよ。少しくらい持たせてもいいだろ」

「武器なんて持たせないでください。多感な時期になにか事故があったらどうしてくれるんですか」

「事故もなにも、丸腰で旅に出すほうが危険だろ」

「コウは私が守っていますから、武器なんて持つ必要はないんですよ! 勝手なことはやめてください」

 コウが家出をした理由が一瞬でわかった、と思えるくらいに、このキューというやつはやばい保護者だった。

 最初は恐ろしいと思ったその顔は、見慣れてくるとそんなにひどいものではなく、意外と童顔で丸っこいことがわかる。

 声が高めだったこともあり、女かと思っていたが、女にしては低いような気もする中途半端な声質。

 まあ別にこいつが何歳とか、男か女かなんてどうでもいいかと思って考えるのをやめる。

「キューさんキューさん。おれはクライスにメモリーを使ってもらおうと思っているんだ」

 コウがキューを後ろから引き、俺から引き剥がした。

「ええ? メモリーを? 何故です」

「クライスにはどうしても調べたいことがあるんだよ。なあ、クライス」

「えっ、ああ、まあ...…」

 急に話を振られたが、話題についていけない。

 瞳をキラキラさせるコウと、瞳を曇らせるキューの対照的な表情を交互に見つつ、話の流れを見守るしかなかった。

「コウ。メモリーというのは、非常に危ない道具というのは理解していますよね?」

「え? おれは簡単に使えるじゃん」

「あなたは特別だからです。普通の人間に使わせるとどうなるのか、散々見てきましたよね?」

「あの、フラフラっとここまで来るオッサンとかのこと? あんなのとクライスを一緒にすんなよ、クライスはお話の主人公なんだぜ!」

 なあ、クライス! と快活な表情で言われたが、やっぱり話が見えない。

 しかしなんだか雲行きが怪しい気がしてきた。コウが俺に使わせようとしている『何か』は、相当にヤバそうなものである気がする。

 わけわからんやつらのペースに飲まれていたらロクなことにならない。俺は場の主導権を握るべく、話を別方向に伸ばすことにした。

「ちょっと待ってくれ。俺は単に迷子を家に届けにきただけだ。まずそっちの話をさせてほしい」

 コウは不満そうだったが、保護者の方には意外とこの戦略は効いた。

「ああ、そうなんですか。それはどうもありがとうございます」

 素っ気ないながらも感謝の意を述べ、で? というような続きを促す態度を見せる。

「俺の雇い主が、この子供とこういう契約をしたんだ。服は前金で受け取った。契約上の合意のもとで」

 俺はすかさず契約書を渡した。アルシアが結ばせたハチャメチャな内容のやつだ。

 流石にキレ散らかされるかも知れないと思っていたが、案外キューは静かに書類を読み込んでいた。

 そしてしばらくの後、ポツリとこうこぼす。

「こんなところにまで来て、まさかこんな俗物的な要求をされるとは思いませんでした。あなた意外と面白い人ですね」

 呆れたような口調だったが、まあ確かに、言わんとすることはわかる。

 教会の廃墟から、とんでもない謎空間に繋がっていた。ここに来るまでも不思議なことは色々あったが、そのゴールがここだとしたら、このキューという人間は只者じゃない。

 もしかして、神官か魔導師だろうか。もっと違う何か、神様とか魔物とか、そういう超常的な存在なのかもしれない。そう予想しながらも、まだこんな話をしようとするなんて、俺は自分の大胆さに驚いて呆れてしまう。

 だがしかし、相手のペースに乗らないことが今の俺に出来る最善の選択のような気がした。なので、俺は強気に交渉を続けた。

「そりゃどうも。それで、払ってもらえるだろうか」

「そうですね、払ってあげてもいいんですが……」

 キューは契約書をくるくると巻き直し、片手に持ってポンポンと掌を叩く。

「コウもああ言っていますし、もう少し報酬については再考してもらったほうがいいんじゃないかと思います」

「再考?」

 俺が問い返すと、彼はくるりと背を向け、歩き始める。

「ついてきてください。私があなたに提案できる報酬について、少し教えてあげましょう」

「はあ……」

 なんだか良くわからないが、この不思議空間について知れるのか?

 全く興味がなかったわけではない俺は、おとなしくその三つ編みの後について、星空のさらに奥に足を踏み入れる。

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