第4話(1)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「本当に、そっちの方から来たの? コウくん」
「うん、たぶん。そう思う」
「だってここ、北の樹海って呼ばれてる場所だよ?」
スェルグに戻った俺たちは、すぐにハイメリアへ向けて発ち、フェアバンクス商会本店にいるアルシアに次の行き先を打ち明けた。
コウの実家の方向について、確度を高めるために情報を共有してみたものの、アルシアもまた俺と同じ結論にたどり着き、眉間に深いシワを寄せる。
「でもまあ、コウくんがそう言うなら、ためしに行ってみたらいいんじゃない。実際近くまで行けば、思い違いに気付けるかもしれないし」
アルシアはそう言って、丸めた契約書を俺に押し付けた。
「時間もかかりそうだし、今月分はここでガッポリ回収しないとな」
“二割にまけてやるから、オレの取り分もよろしくな”としっかり釘を刺してくる長女。やれやれ、弟と違ってケチだなと思いながら、俺たちはハイメリアを後にした。
家探しに難航することを考えたら、少しでも早めに現地に到着しなければならない。俺には一月しか時間がないのだから。
そう考えて仕方なく高い金を払い、乗り合い馬車で北東へ向かう。
そのおかげで首都ハイメリアからフェルミナ、北東端の村カレイドまではなんとか労せず移動することができた。
問題はここからだ。
情報収集のため、カレイドの木こりにさらに北東側の話を聞くことにする。
「ニイちゃん。こっから先は、北の樹海っていう場所だよ。入っちゃダメなとこだよ。命が惜しいならね」
このじいさんはヨボヨボの見た目だったが、未だ現役だと抜かしていた。辺境の村特有の陰鬱な顔つきの人々とは違う気の良い表情で、ハイランド国の北に広がる未開の地について得意気に教えてくれた。
「ハイランドの北端、海に沿って尖っているこの部分。ここはね、神様の土地だって言われてるんだ。カレイドの民は昔から入らないんだよ。動物も、魔物も入らない。畏れ多いからね。世界にはいくつかこういう土地があるけど、入らないものだよ。平穏に暮らしていきたいならね」
軽やかな口調で何度も何度も、入らないんだよ、と繰り返すじいさん。埒が明かないので俺はストレートな質問をぶつける。
「別に樹海に入りたい訳じゃないんだ。そっちの方角に、村があるとか屋敷があるとか聞かないか? この村よりも北東側に住んでいる人間に会いたいんだよ」
「いやいや、ニイちゃん。この先は誰も住んでいないよ。ワシが小さい頃から、北東には誰も住んでいないんだ。ワシのじいさんや、そのまたじいさんにも入っちゃいけない土地だって教えられていたよ」
じいさんのじいさんの、そのまたじいさん……。いったい何年前の話になるのかわからないが、ずいぶん前からこのカレイドはハイランドの端っこの集落だったことが伺える。
それならコウからの情報の読み違いをしているのか? コウの実家のまわりはうっそうとした森で、ひたすら歩いたら三角の家がたくさんある村にたどり着いたと言っていた。
それはハイランド北部の雪深いど田舎にありがちな風景を彷彿とさせた。この辺りには土に半分埋まったような、急斜の屋根だけが地上に生えたような家が多い。俺たちが出会ったフェルミナの近くで、そのような風景が見られるのはこのカレイド村くらいだったから、俺はここまでやってきたのだ。
「もしかしてお前、もっと遠くから来たのか? もっと東のほうにもこういう村はあるだろうから……」
「ううん。この村だよ。おれ、覚えてるもん」
コウは窓から身を乗り出して、あっちと指差した。それはうねうねとうねる禍々しい出で立ちの樹が並んでいる、あからさまにヤバそうな方角だ。
その様子を眺めて、じいさんが思い出したように口を開いた。
「ああ、そうそう、そう言えばね。なんだか妙な噂話を聞き付けて、たまに妙な連中がやってくるんだよ」
「妙な連中?」
俺の問いに頷いたじいさんは、辺りを見回すような仕草を見せた後、顔をにゅっと近付けて小声で語る。
「樹海に古代の遺跡があって、そこに古代人の秘宝が眠っているとか、妙なことを話す連中だよ。誰がそんな嘘を吹聴しているのか知らないけど、ひどく気味が悪いんだ」
「気味が悪い?」
じいさんは俺の問いに顔をしかめる。さらに声量を絞ってこんなことを言った。
「普通の村人が遊びで樹海に入っても、入り口に戻されるばかりでなにも起きないんだが、その噂を聞き付けて樹海に入ったやつらは、大体が帰ってこない。たまに帰ってくるやつもいるんだけど、頭がイカれちまっていて……」
じいさんはなにかを思い出したように身震いし、コウが指差した方角を同じように指差した。
「ちょうどあそこからね、酔っぱらいのようにフラフラとね、出てくるのを何度か見たことがある。すっかり痩せ細って死人みたいな顔をしていて。介抱してやったこともあるけれど、いつの間にか村からいなくなったよ」
相当嫌な思い出だったらしく、顔をしかめてしばらく首を振っていた。
俺たちが不安げに見守っていると、取り繕うような笑顔で最後にこう言った。
「とにかく、樹海には入らない方がいいよ。止めたって入るやつは入っちゃうから、ワシは止めないがね。入らない方がいいよ」
じいさんの話を聞いて、俺は妙に納得した。
だからこの村の人間は、俺たちを不審な目で見ていたのか。
こんな辺境を訪れる旅人はほとんどいない。いるとしたら気味の悪い噂を信じてやってきた怪しげな連中で、そいつらは頭をおかしくして帰ってくる。そういうことなら、確かに余所者を警戒して当然だ。
しかし俺はジロジロと見る村人からの視線の圧力も、じいさんの親切心からの警告も活かすことができず、コウが記憶している方角へ足を向けることになる。
コウが上機嫌で俺の腕をぐいぐいと引っ張っていたからだ。
「大丈夫だクライス! ここからなら大体来た道はわかるよ。何日か歩くことになるけど」
「わかった、わかったから引っ張るな」
帰って来なかった旅人は、おそらく遭難してしまっんだろう。痩せ細って帰ってきた例もあるんだから、事前準備が足りなかっただけだ。俺には一週間ほどの食糧はある。ちゃんと目印をして迷わなければ大丈夫だろう。
俺は方位磁石とマーキング用の杭を手に持ち、意を決して樹海に足を踏み入れた。
未開の地と言われるだけあり、そこには道などというものはなかった。
苔に覆われた木の根が、緩やかな斜面に凸凹を形成している。ランダムに隆起した地面もあいまって、普通に歩くことすらままならない。
目印になりそうな地形が全くない。目印として杭で傷をつけながら進んでいたものの、似たような光景が延々と続いていることに不安を覚える。
「大丈夫だよ、クライス。そんな目印をつけなくても」
コウは箱入りのお坊ちゃんとは思えないほど、身軽に木の根を飛び越えている。
「そういうわけにもいかないだろ。遭難するやつがたくさんいる場所だぞ」
俺はそう言ってコウの足を止めようと努めた。あまりにもコウがひょいひょいと進んでいくので時間がなく、うまく印がつけられているか自信がない。
しかしコウは必死な俺をコケにしたように笑う。
「そんなものつけたって無駄さ。ここはキューさんの気まぐれでできた森だから。ほら、あの樹とかさっきも通ったところだろ?」
「ええ?! そんな馬鹿な」
もう迷ってしまったのか? コウが指差した樹には、杭で引っ掻いた傷がある。俺がつけた印に似ているが、まさかそんなはずがない。
俺は方位磁石に目をやりギョッとした。さっきまでしっかり北東を差していた針が、時計の秒針のように緩やかに回っている。
「おいおいおい、なんだこの森? 本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫。キューさんの気まぐれだから。そのうち道が見つかるよ」
「はあ……」
キューさんというのは誰なんだろう。コウはことあるごとにその名を口にし、現在の状況が改善するためにはそいつの気を引く必要があることを語った。
「焚き火をしたほうがいいかも」
夜になり、キャンプをしようとしたときにコウはそう提案してきた。
「しかし、魔物も動物もいないぞ。月も明るいし、火なんて焚く必要がない」
「煙が上がったら、キューさんが気が付くかも」
そのように言うので、俺は要望通りにあえて煙が立つやり方で焚き火を作った。
次の日もほとんど全く同じことをする。日中いっぱいひたすらに根を飛び越え、蔦をつかんで斜面を登り、枯れ葉に埋もれた穴にはまらないよう足場を確かめながら前へ進む。
ちゃんと前へ進めているのかはわからない。方位磁石は狂っているし、杭で引っ掻いた目印は何度も何度も目にするうちに無駄だと理解するようになり、どちらも荷物に仕舞ってしまった。
「そのキューさんというのは誰だ? お前の保護者か?」
「うん、そうだよ。おれにもよくわかんないんだけどさ」
道が悪い以外は至って平和な道のりだったので、俺はコウの家庭事情を訪ねてみた。
「よくわかんないってどういうことだ? その保護者は家族じゃないのか?」
「家族っていうのが、クライスにとってのサキみたいなものを指しているんだとしたら、違うよ」
「血縁じゃないってことか。執事とか家庭教師かなにかか?」
「ああ、そうだね。キューさんはおれに色々教えてくれる人だから、家庭教師って言われたらそうかもしれない」
なんだか良くわからないが、コウはそのキューとかいう家庭教師と一緒に暮らしていたらしい。
親族や使用人とか、他に人がいない理由を尋ねたが、『さあ?』ととぼけられるばかりで全く話が進まなかった。
「長い間ずっとキューさんと一緒に暮らしていたんだ。それ以外のことは良く覚えていないし、深く考えたことがないや」
「……変なやつだな」
物心ついたときから、家庭教師に預けられているのか。それとも親は死んでいて、孤児を他人が育ててきたということか。
まさか誘拐してきた赤ん坊を、樹海でこそこそと育てている犯罪者だったりしないよな?
嫌な考えが過ったりもしたが、そうだとしても俺には関係がない。俺としては子供を連れ帰ったお礼を渡してもらえれば良いのだから。
「そんで、お前の家は金持ちなのか? そのキューってやつは資産家か?」
「さあ。家は壁も天井もなくてすごく広いよ。おれが欲しいと言ったら、キューさんは大抵のものは持ってきてくれる」
ドラゴンに会いに行きたいと言うのは叶えてくれなかったけど。そう恨みがましくブツブツと言う姿は、どう見ても世間知らずの金持ちのお坊っちゃんだった。
少なくとも、キューというやつは金持ちなんだろうと確認して、俺はホッと胸を撫で下ろす。
それからまた一日、コウが進む通りに樹海を進む。
「そろそろキューさんが気付いてくれると思うから」
コウがそう語るのを信じて足を進めたが、結局その日も周りの景色が変わることはなかった。
「おっかしーなぁ……」
三日目の朝、コウは朝食を取りながら難しい顔で腕組みをしていた。
「なにがおかしいんだ?」
「さすがにそろそろ迎えに来てくれてもいいんじゃないかと思うんだけど」
「保護者がか?」
「うん」
コウは薄いスープを口に運びつつ、力一杯眉間にシワを寄せる。
「怒ってるのかなぁ、キューさん」
「怒ってる?」
「うん。おれが勝手に家から出たからさぁ」
そりゃあそうだろ。なにを今更そんなことを言い出すのか、俺は面食らってしまった。
「怒るにしても、迎えに来ないってことはしないだろ。保護者なんだから」
「あんなに遠くに行ったのは初めてだったんだ。おれもまさかこの森を抜けられるとは思っていなかったから」
コウは不安げに、今回の家出の顛末を語った。
なんでも、家出自体はよくやっていたらしい。本で見た動植物を探して森をうろうろすることはよくあり、その度に保護者が迎えに来てくれたそうだ。
「今回も軽い気持ちで外に出たんだよ。ふと気が向いていつもと違う方向に歩いていったら、何故か森を抜けてあの村に辿り着いちゃったんだ」
困ったなぁ、とため息をつくコウ。
いや、困ったなぁじゃねぇよ。
二人分の食糧は、思ったよりも減りが早くて、あと二、三日しか持ちそうにない。
大丈夫、大丈夫と言うから目印を付けるのもやめてしまったし、このままじゃ遭難して餓死の流れだ。
「しかし、進むしかないんだろ。そのキューさんが気紛れに迎えに来てくれるまで」
「まあ、そうなんだけど」
「それなら行くぞ」
俺はコウを励ましてから、先陣を切って歩きだした。
村のじいさんが言っていた通り、不気味なくらいに動物はいないが植物は生えている。
今日は食べられそうなものがないか探しながら歩くことにした。見たことがないキノコや変な形の木の実を見つけたが、流石に飢える直前まで口にはできないなと内心で笑った。