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Trifle  作者: 小柚
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第3話(3)

 受付のカウンターの先にある階段を上り、俺は院長と共に院長室へ向かう。

 二階は全てが院長のための部屋らしく、壁一面に敷き詰められた本棚や実験器具の棚、よくわからない装置や鉱石の屑が机の上や下に雑多に広げられている。

 階段のすぐそばに応接スペースがあり、俺はいつものようにそこに座らされた。

「今月の報告書はこれだよ」

 テーブル上にスッと差し出されたのは、一枚の羊皮紙だ。ぎっしりと文字が書かれている。小難しい表現で書かれているので、マトモな教育を受けていない俺にはほとんど読めない。

 受け取らずに院長を見ると、彼女は察したようにその内容を口頭で告げた。

「最初に言った通り、サキちゃんの病気は黒斑病に似ているの。黒斑病と同じように体に黒いシミができて、貧血の症状がだんだんひどくなり、全身から出血が始まって……」

 最後は言葉を濁す。はっきりと言われなくても、それでどうなるのかはわかる。話の続きを目で促すと、彼女は頷いて口を開いた。

「今月にはなかったけど、先月に発作があったことは報告したよね。まだ包帯をしたままだけど、出血はだいぶ落ち着いていて、薄く黒斑が残っているだけの状況なの」

 俺はホッとした。サキは頭と手首に包帯を巻いていたから、まだ先月の症状を引きずっているのかと心配していた。

「痛みとかはないのか」

「うん。さっきも言ったけど、調子が良いみたい。だから食欲もあって、ちゃんと眠れている」

 先月会ったときは発作を起こしたばかりだったから、顔色が良くなかった。サキが無理して元気そうに振る舞っている手前、俺が騒ぎ立てるわけにもいかず、苦しかったのを覚えている。

「ここへ来てから二年経つけど、サキちゃんの発作の回数は減ってきている。一ヶ月以上も発作が出ないのはとても良いことだと思っているよ」

 院長は目を細め、柔らかい笑顔を見せた。

 金で繋がっている関係ではあるが、この女は人の良さが滲み出ている。ロベルトやアルシアもそうだが、裏表がなさそうな人間性を信じて、俺はこいつらとの付き合いを続けているのだ。

「急変がないからこそ、サキちゃんの病気について落ち着いて研究が進められる。今月は彼女の独特な症状について、調べたことをここに纏めたよ」

 院長が羊皮紙を指差すので、つられてそちらを見たが、相変わらず何を書いているかわからない。それは彼女もわかっているようなので、すぐに話を続けてくれた。

「サキちゃんの症状が黒斑病と似ていると言っているのは、黒斑ができること、貧血の症状に続いて出血が始まる点だと以前説明したよね。そして黒斑病と違う点は、その症状が急速に引き起こされること、落ち着いたら寛解することなの」

 黒斑病というのは、黒斑ができてから出血して死亡するまでの症状がゆっくり進行する。基本的には治癒方向に逆行することはない。死ぬまで悪化方向に進むのが黒斑病だ。

 サキは黒斑病と似ている症状が一気に進行する代わりに、適切に対処すれば回復に向かう。

「黒斑病と同じ原因で症状が現れているのだと考えて、血液を検査したの。思ったとおり、黒斑病と同じ成分が検出されたよ」

「サキは黒斑病なのか? ならどうして他のやつらと症状が違うんだ」

「それを今調べているところなんだけど。少し気になるところがあって」

「気になるところ?」

 院長は頷いて、報告書の一点を指差した。

「サキちゃんの血液型。検査機関に提出したときにね、普通は血液型も調べてくれるんだけど、不明って書いてあったのよね」

「…………」

「もう一度ちゃんと調べてみようと思うのだけど、もしかしたらそれが関係しているのかもしれない」

 俺はつい、膝を上下に揺らしてしまう。

 血液型を調べて何がわかるって言うんだ。ほとんど何も前進していないというのが今回の結論ってことか。

「サキの病気は治るのか? 黒斑病は治す方法がないって言われているが……」

「黒斑病は治らないけど、進行は遅らせられる。安静にしていれば、寿命を全うすることは可能だよ」

「サキもその状態が限界ってことか」

「それはまだわからない。サキちゃんの現状をきちんと把握しないと」

「…………」

 院長が優秀な人間で、サキのために尽力してくれているのはわかる。わかるからこそ二年間、身に余るほどの金を稼いで、この施設に投資している。

 俺がサキにしてやれることで、これ以上ないところまで努力しているつもりなのだが、それでもこのくらいしか進まないのか。

 俺たちはいつまでこんな生活を続けないといけないんだろう。

 院長との話が終わり、俺はサキのいる病室へ戻った。

 面倒な洗浄をもう一度やって、保護衣の女に監視されながら部屋のノブを握ろうとしたとき、中から快活な笑い声が聞こえてきた。

「でっかいカラスがドーン! ってさ。それでクライスが武器をいっぱい持ってバーン! って」

 ああ、先日の話をしてやっているのか。なんだか大袈裟に話していそうだなと苦笑いしながら、俺は扉を開く。

「あっ、お兄ちゃん! お話終わったの?」

「ああ、終わったよ。待たせてごめんな」

「ううん。今、コウくんに色々聞いてたの」

 サキのベッドの上には、俺が買ってきたお土産がところ狭しと並んでいる。

 その中のひとつ、不細工なカラスのぬいぐるみを大切そうに抱えて、サキは満面の笑顔を浮かべた。

「お兄ちゃんって強いんだね。ドラゴンも魔鳥も簡単に倒しちゃうんだ」

「いや、ドラゴンは倒してないが……」

 どれだけ話を盛ったんだ。コウは俺の視線に少し目を泳がせていたが、サキがあまりに嬉しそうなので、訂正はさせないことにした。

「私、討伐者(スレイヤー)ってお仕事、危なくないのかずっと心配してたんだ。お兄ちゃんがそんなに強いって知らなくて」

 サキは少し目を伏せて、そんなことを呟く。確かに今まで仕事の話をしないようにしていた。魔物を倒したり解体したりなんて話は女の子にはつまらないだろうと思っていたからだ。

「勝手がわかれば、危ないことなんてねぇよ。危なかったら逃げれば良いし。できるだけ安全にできるような装備にしてるんだ」

「そっか……」

 サキは安堵の表情をしていた。自分を残して俺が死んだりしないかを心配しているんだろう。

 要らない心配をさせないようにと思って、俺はコウの設えた舞台をあえて引き取ることにした。

「こいつの言う通り、俺は強いんだ。ドラゴンってのは最高ランクの魔物だから、ドラゴンよりも強い魔物なんてほとんどいない。ドラゴンと遭遇しても生き残れたんだ。俺は大丈夫だし、お前も大丈夫だよ、俺の妹なんだから」

「うん」

「そうだ、こいつ、コウもお前と同じで、ほとんど家から出たことがないお坊ちゃんだ。何も知らない子供の癖に、魔物に出会ってもピンピンしてるだろ」

 俺はコウの肩を叩き、その細っこい体をサキに示してやる。

「こんなやつでも、俺と一緒ならうまくやれるんだ。お前も元気になったら、一緒に旅に連れていってやるよ」

「いいね。おれもサキと一緒に旅がしたい」

「いや、お前は家に帰るんだよ。サキがいたらお前は守ってやれない」

「ええ~、そんなぁ」

 手足をバタつかせて抗議の意を示すコウに、サキはプハッと声を出して笑った。

「お兄ちゃんとコウくん、仲良しなんだね。良かったね、お兄ちゃん。お友達ができて」

「いや、俺じゃなくて、お前の友達にと思って連れてきたんだが……」

「コウくん、私の代わりにお兄ちゃんのお世話をしてくれると嬉しいな。お兄ちゃん、しっかりしてるようで意外と抜けているところがあるから」

 サキは珍しく、俺とふたりで暮らしていた昔の話をした。

 寝相が悪くてベッドからよく落ちていたとか、好き嫌いが多くて野菜を食べさせるのに苦労したとか。

 そういえば、サキが元気なときは、サキのほうがしっかりしていたのでよく小言を言われていた。俺よりも五歳も年下の癖に、母親の代わりになろうとしていたんだろう。今とは違った大人っぽさがあったように思う。

「確かに、今でも寝相は悪いよ。毎晩ベッドから落ちてる」

「えっ、そうなの。お兄ちゃんったら、全然成長してないじゃない」

「こらこら、俺の話はいいから。もっと楽しい話をしようぜ」

「けっこう面白い話だと思うけどなぁ」

 それからしばらくサキとコウは俺の話で盛り上がり、面会時間の終了を告げられてから、俺たちは職員宿舎にある空き部屋で夜を明かした。

 布団なんかなくても良いからサキと同じ部屋で、と最初の頃はゴネていたが、サキからも“夜は違う部屋にしてほしい”と面と向かって言われたので、それからはおとなしく与えられた部屋に引き下がることにしていた。

『サキちゃん、夜はよく眠れないの。うなされることも多いから、心配をかけたくないんだと思うの』

 院長からもそう説明されていた。

 ただ一人の身内なのに、どうして気を遣うのかと反論したこともあったが、“それはお互い様でしょ”と言われてぐうの音もでなかった。

『あなたがサキちゃんに心配をかけないようにしているように、サキちゃんも同じことを望んでいるんだよ。わかってあげて』

 院長に諭されて、俺は考えを改めた。

 サキは幼いながら、大人びた考え方をしている。

 もしかしたら俺よりも、このつらい境遇を冷静に捉えているのかもしれない。

 翌朝、面会可能時間になるとともに、サキの病室へ向かった。

 サキは珍しく、壁際のテーブルに向かっていて、一所懸命に何かをしているようだった。

「サキ?」

「あっ、お兄ちゃん。来てたの? ごめんね」

 サキは慌てて机の上のものを片付けている。そのとき一枚の紙がヒラリと舞い、コウの足元にはらりと落ちた。

「わあ、すげえや! サキが描いたの?」

 拾い上げ、歓声をあげるコウ。

 そこには、土産で買ってきた例のカラスのぬいぐるみに似た鳥が、馬車を襲っているシーンらしきものが描かれている。

「あの、その。昨日コウくんが話してくれたところを、想像して描いてみたの」

 もじもじしているサキ。土産物のひとつだった画材セットを使ったようだ。

「上手いじゃないか! お前が絵を描けるなんて知らなかった」

「始めて描いたし、全然上手くないでしょ。せっかくもらったから使ってみただけだよ」

 俺には絵心がないから、この絵が上手いのか下手なのかはよくわからない。だが、相当に凝っていて、時間がかかっているだろうことは窺えた。

 昨夜も眠れなかったのだろうか。眠れなかったから描いていたのか、夢中になって描いていたから眠り損ねてしまったのか。

 後者だったら良いなと思いつつ、サキに絵を返す。

「使ってもらえて嬉しいよ。もし楽しかったんなら、また色々描いてみてくれ」

「うん。ありがとう。あとでこっちの裁縫セットも使ってみるね」

 サキがこんなにも積極的なのは久しぶりだ。

 本当に体調が良いんだな、と俺が喜びを噛み締めている間、サキは次の絵のアイデアについてコウと話を進めていた。

「ドラゴンってどんな見た目なの?」

「鱗があって、口が長くて牙がいっぱい生えてるんだ」

 こんな感じ、とコウがサラサラと下書きをしている。やはり上手いのか下手なのかはよくわからないが、特徴は捉えられている感じだった。

「コウくん、上手だね」

「そう?」

「コウくんの絵見たい。もっと描いてよ」

「じゃあ、一緒に描こう!」

 ふたりはしばらく仲良く絵を描いて過ごした。

 サキは終始明るく、楽しそうで、コウをここに連れてきて良かったと思った。

 サキの手前、弱音を吐くわけにはいかなかったが、俺はこの頃、閉塞感に苛まれていた。

 頑張っているのに、何も変わらない日常。まるで出口のない迷路に迷い込んだようだった。

 だけどコウに出会ってから、今まで考えられないようなイベントばかりが起こっている。

 まるで、物語に入り込んだみたいに。

 もしかするとこのコウという子供は、本当に『物語の主人公』なのかもしれない。

 こいつと行動を共にしていたら、俺のどん詰まりの人生も、良い方向に転がっていくのかもしれない。

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