第3話(2)
白札の労働者から注目を受けながら、俺たちは建屋が並ぶ地区に辿り着いた。
ひどく殺風景な場所だ。無機質な長方形の平屋が整然と並んでいる。白い壁は長年の雨風で黒ずみ、ところどころにヒビが入っている。
似たような玄関をいくつも素通りし、今度は少し形が違う建物に辿り着いた。
その建物は、とがった屋根の下に鐘があり、その下に時計が設置されている。教会のような見た目をしているが、ハイランドにある一般的な教会のようにエルセリア教のシンボルがついていない。
神聖国フォレスティアの宗教であるエルセリア教の関連施設には、瓢箪のような実がなる樹のマークが必ずついているのだが、この教会にはない。
どのような意図があるのか別に興味はないのだが、毎度胸くそ悪い気分にさせられる。
開放された扉をくぐると、独特な衣装を身に付けた女がカウンターの向こうで書類を整理していた。
「すみません。面会に来たんですが」
「えっ、あっ」
いつもながら、来訪者を予見していなかったらしいそのスタッフは、ビクッと体を震わせたのちに振り返り、俺の姿を見てさらに動揺の声をあげる。
「ああああ、困ります困ります! どうして保護衣に着替えていないんですか! ちゃんと受付を通ってきてくださいと何度も!」
顔が半分隠れているその衣装では、誰なのかがわからない。しかし相手は俺のことを知っているやつらしい。
「院長を呼んできます!」
俺が面倒な客とすでに理解しているらしいそいつは、カウンターの向こうにある階段をバタバタと駆け上がった。
「院長ー! 院長ーー!」
毎度のことながら騒がしい。ただ妹の面会に来ただけなのに。どうしてこうも騒がれないといけないのか。
少し待つと、階上から二人の人影が降りてきた。保護衣を身に付けたさっきの女と、顔を隠していない白衣の女だ。
「院長、いつもの人です、どうしましょう」
「ああ、大丈夫、大丈夫。わたしが話しておくから、サキちゃんを個室に移しておいて」
「はい、わかりました!」
保護衣の女がバタバタとカウンターから出ていくのを横目に見ながら、俺は目の前の落ち着き払った白衣の女と向き合う。
俺はまず、懐から金袋を取り出してカウンターに置いた。
「これ、今月分です。いつもありがとうございます」
「いえ、こちらこそありがとう。とても助かるよ!」
「それで、面会の件ですが」
「準備をしているから、少し待っててね」
「…………」
準備というのが、仕様もないあれこれであることはわかっていたから、俺は不満を顕にしつつ待合い用ソファーへ乱暴に腰掛けた。
「サキちゃんの様子だけど。今月は、かなり落ち着いていたよ。症状も特になくて、食欲もあったし」
院長はサキのカルテを確認しながら、そんな話を始める。
「検査も頑張って受けてくれているよ。後で詳しい話をさせてもらうね」
「お願いします」
「ところで……」
院長は俺の隣に大人しく座るコウのほうを見て、困惑の表情を浮かべた。
「そちらの方は、親戚? お友だち?」
「ああ、ちょっとした知り合いの子供で……」
「うーん、困っちゃうな。急に連れてこられたら、皆いろいろと心配しちゃうから」
院長はメガネをクイと持ち上げて、大袈裟なほど渋い顔をして見せた。
たが、この女は大して困っていない。二年ほどの付き合いしかないが、腹が据わっていて、話がわかるやつだと認識している。
「サキに友達を作ってやりたいんだ」
「そうだね、わかるよ。ここにはあまり同年代の子はいないから」
彼女は眉間にたっぷりシワを寄せた顔で、ぐるぐるとその場を歩き回ったあと、コウに向けて口を開いた。
「きみ、お名前は?」
「コウ」
「コウくん。ご家族は?」
「いないよ」
「いないの? 保護者は?」
「今はクライスが保護者だよ」
俺はそのやり取りにギョッとした。なんて度胸があるやつだ。こんなに平然と嘘をつけるとは思っていなかった。
院長はその回答に納得したらしく、あっさりと表情を緩ませる。
「ま、いっか。本人が同意しているんなら、わたしは止めたりはしないよ」
期待通りの反応が得られて、俺はホッとした。
流石は、ロベルトが紹介してくれた女だ。
院長は俺が置いた金袋の中身を確認し、小躍りしながら階段を上がる。
この定期収入で何をやっているんだか知らないが、俺たちはこの二年、これで信頼関係を保っていた。
フラヴェル医療院、院長サラ・レストン。彼女と出会ったのは二年前の今ごろだ。体調の優れないサキを連れ、故郷から逃げる俺たちに居場所を提供してくれたのが彼女だ。
情報屋であるフェアバンクス商会は、金の流れに精通している。金で動かせる人間を熟知しており、信頼できる人間としてこの女を紹介してくれた。
フラヴェル医療院は、黒斑病という伝染病の患者を隔離するために建てられた施設だ。国が管理する建物であり、管理を任されているのはフラヴェルを領有しているレストン家。爵位というのはよくわからないので、この家の人間の階級が高いのか低いのかは知らないが、レストン家はこのフラヴェル医療院に関しては大きな権力を持っている。
レストン家は何十年も黒斑病患者を管理し続け、特に問題を起こしていないため、国も安心して管理を丸投げしているという状況らしい。
サラ・レストンはレストン家の厄介者なのか、若くしてこの施設の責任者を押し付けられたと聞く。
国からもレストン家からも充分な支援を受けられないせいで、施設の運営には苦労しているようだが、その分好き勝手ができるので、俺からの賄賂も受けとり放題だ。
金に貪欲な人間の割には人柄が良く、施設のスタッフにも患者にも慕われているようだ。
ロベルトの周りには、何故かこういう人間がたくさん集まってくるらしい。
「クライスくん。準備ができたようだよ」
階段を下りてきた院長は、長い青銀の髪を後ろで団子状にまとめていた。スタッフはほとんどが黒髪か茶髪なので、マスクをつけても誰なのかすぐにわかる。
貴族の家に生まれながら、こんな厄介な場所に配属されたのは、もしかしたら髪色のせいかもなと漠然と思う。どこの国も、基本的には自国の血統を守ろうとするものだから。
院長と、もう一人のスタッフに連れられて、受付の先の扉に入る。
そこは洗浄区画と呼ばれているところで、壁一面に嵌め込まれた魔石が怪しげな光を放っている。
「ブーツと上着を脱いで、ハンガーにかけてください。持ち物は一旦お預かりし、消毒後に個室までお持ちします」
不満ながらも、指示通りに従う俺。コウも不思議そうな顔をしながら、首に巻いていた布を脱いで、コートハンガーに引っ掻けていた。
次の区画に案内され、机の上に並べられたものを見て俺は辟易とする。
「保護衣と保護具を身に付けてください」
いかにも事務的な抑揚のその発言に、俺は即座に反抗した。
「悪いが、これは着られない。毎回言っているが、こんなのを着たら面会にならないだろ」
保護衣と保護具というのは、院長の隣にいる女スタッフが身に付けているものと同じだ。
白いツルッとした記事のガウンに、顔の輪郭をピッチリ締め付けるフードに、変なメガネとマスク。
こんな格好をしたやつが兄貴面して現れたら、幼い女の子がどんな気持ちになるか、こいつらは少しでも考えたことがあるのだろうか。
あり得ないだろ。空気感染する病気でもあるまいし。ここまでバイ菌のような扱いをする必要があるのか。
ふつふつと怒りが沸いてくる。困ったように固まる保護衣の女の隣で、マスクと手袋のみを身に付けた院長がまあまあと俺をなだめるジェスチャーをした。
「病室に入るときは、保護衣と保護具を薦めるのがルールなの。そんなに怒らないで。せめてわたしくらい最低限の保護具はつけてほしいのだけど」
院長はちらりとコウのほうを見る。コウは院長と俺と保護衣を順番に見て、再び俺の顔色を窺ってきたので、俺はため息をついて言った。
「着けるのがルールなんだってよ。着けたいんだったら、着けたらいい」
「コウくん。この部屋のなかにはね、少し具合の悪い人がいるの。もし急に具合が悪くなったら、病気が移ってしまうかもしれないから、この服を着ないといけないの」
院長はコウの目の高さに合わせて身を屈め、優しく諭すように語りかける。
責任者としては、そう言わなければならないことは理解していたので、俺は黙って成り行きを見守る。
コウは保護衣と保護具をフル装備しているスタッフの女を眺めて、苦々しい顔で口を開いた。
「え、あの服でしょ? カッコ悪いから嫌だ」
「カッコ悪いとかじゃなくて、身を守るために着るんだよ。もし移っちゃったりして、ずっとこの施設に閉じ込められたくはないでしょ?」
「おれは病気なんてかからないから、大丈夫だよ」
何故か自信満々なコウ。前も同じようなことを言っていたが、どうしてそんな断言ができるんだろう。
スタッフの女が院長に何やら抗議をしていたけど、院長はまあまあと女をなだめ、俺たちに向き直る。
「わかった、わかった。ナイショにしておくから。でも、血液にだけは気を付けてね。一番不安が大きいから」
話がわかる女で本当に助かる。あまり厳しく言うと、サキを連れて出ていく選択もありうるということがわかっているのだろう。
サキは黒斑病ではない。黒斑病が血液感染だからと言って、サキも血液感染するとは限らない。
そもそも俺は病気になったサキとしばらく一緒に暮らしていたんだ。その間に移らなかったのだから、移るような病気でないことは俺が一番よく知っている。
なんだかんだと時間がとられたが、無事に病室に通された俺たちは、複数のベッドが並ぶ大部屋を横目に通りすぎ、すみにひっそりと佇む小さな木の扉の前に来た。
俺は待ちきれずに、まっ先に取っ手に手を伸ばす。
「サキ! 来たぞ。元気か?」
ガチャリと開くと同時に、部屋に飛び込む俺。小さなその個室には、貧相なベッドがひとつあり、その上にぬいぐるみを抱いた小柄な人影が見えた。
「お兄ちゃん」
みるみる喜びに染まっていくその表情を見て、俺の心も満たされていく。
元気そうで何よりだ。俺はいつものようにサキに駆け寄り抱き締めた。細くて頼りない体は相変わらずだが、しがみついてくる腕にはかなりの力があった。
「元気そうで良かった」
「お兄ちゃんこそ」
サキはすぐに新たな来訪者に気付いて、そちらのほうを向く。
「あれ? その子は誰?」
「ああ、仕事の途中で出会ったやつだ。面白いやつだから、お前に紹介したくて連れてきた」
「そ、そうなんだ。えっと……」
サキは何故だか少し戸惑った様子を見せた。俺が離れようとすると、ぎゅっと服を握ってくる。
人見知りをするようなタイプではなかったはずだがと首を傾げていると、サキは必死に顔を隠しながら俺に囁いた。
「あの、お兄ちゃん。私の病気、移るかもしれないから、その……」
ああ、なるほど。普段はみんな保護衣の重装備で接してくるから、要らない心配をするようになったってことか。
俺は内心怒りの炎を燃やしながら、わざとらしくアハハと声を出して笑ってみせる。
「大丈夫だよ、お前の病気は移るようなものじゃない。そんなことより挨拶しろよ、二人とも」
俺がサキから離れると、コウのほうから寄ってきてくれた。
「おれ、コウって言うんだ。よろしく!」
「わ、私はサキです。よろしくお願いします」
緊張してるが、大丈夫そうだな。ふたりの様子を微笑ましく見守っていると、消毒されてきた荷物が部屋に届いた。
土産物をひとつずつ説明してから、俺はふたりを残して部屋を出る。院長にサキのことを詳しく聞くためだ。