第1話◇魔女さまとねこ
人間に転生する化け物×魔女の話です。
魔女に育てられるショタの概念が好きなので書いてみました。
巣から落っこちたのは、生まれて間もない頃のことだ。
兄弟に押し出されて巣から落ちるような間抜けを、母親は連れ戻しには来なかった。
冷たい目で巣から見下ろされたのを覚えている。
弱肉強食の世界だ。
すぐに鳥に攫われて、それからうっかりなのかわざとなのか草むらに落っことされて、追いかけ回され、川に落ちて、命からがら流木にしがみついて、随分長い距離を流され続けた。
あちこちの岩に激しく体をぶつけて傷だらけになり、小枝が体に刺さって痛かった。
体が冷えきって感覚は無いのに、痛いということだけは感じるからタチが悪い。
左目も酷い打撲を負って、到底、もう命は無いものだと思っていた。
そんな時である。
川岸に流木が引っかかって、ほんの少しだけ流されずに留まった瞬間。
──温かく、やわらかいヒトの手が、俺を掬い上げた。
「……おや。まだ息があるな」
目が腫れてほとんど前が見えていなかったから、相手がどんな顔をしていたのかはわからない。
わかったのは、少し低くて優しい女性の声だということ。
そして……陽の光よりもあたたかく、ほんのりと脈打つ、大きな大きな手のひらの体温だけだ。
死ぬ前に他者の優しさに触れられたことに、俺の命は喜んでいた。
この温かさの中で死ねたらと、そう思った。
◇
結論から言うと俺は死ななかった。
俺を拾ったのは、森の奥深くに隠れ住んでいる魔女だった。
片目でようやくはっきり視認した「魔女さま」は、白い肌に銀の長い髪をしていて、真っ黒で毛まみれの俺とは対象的な見た目をしていた。
「ねこ、ごはんだ」
魔女さまは、冷たく聞こえるほどに美しい声をしていた。
聞き漏らしそうなほど静かで小さめなのに、聞いた者の心が畏怖に震えるような美しい音色だ。
それでも、俺に向けられた声は驚くほどあたたかい。
「……みぅ」
傷だらけでボロボロで、栄養状態も悪くてガリガリで、片目もダメになっていて、ノミまみれな汚い俺を、魔女さまは毛布で包んで抱いてくれた。
ミルクや、トロトロにふやかしたなんらかの食べ物を少しずつ指先に乗せ、舐めさせたり、口に含ませて吸わせてくれた。
そうして体力がほんのり戻ってきたところでお風呂というものに入れられて、俺はあっさり風邪をひいた。
「あ、あぁあ……!! ど、どうしよう。ごめん、ごめんな、どどどどうしよう、ねこ、ごめんな、ねこ、お風呂は早かったのだな、ねこ……っ」
魔女さまは死ぬほど狼狽し、本気で泣きながら更に手厚い看護をしてくれた。
何日も寝ないで抱っこされ、様子を窺われ、手のひらで直に温められ、風邪は普通に治ったが、魔女さまの心には大きな傷が残ったらしい。
俺が大きくなって自力でトコトコ歩けるようになってからも、常に見守りの目で追ってくるようになった。
風邪は辛かったが、落ち着いた振る舞いをする魔女さまが可哀想な程に泣いて慌てていたあの姿は、ちょっとおかしくて、愛おしいなと思った。
◇
そんなこんなでしばらくして、ミルクを完全に卒業した。
肉を薄くなるまで叩いたものや、何かを柔らかく煮たものをむしゃむしゃ食べるようになっても、愛情深く心配性な見守りの目線は変わらなかった。
その頃には俺が「ねこ」ではないことをハッキリと確信したらしく、「ねこ……? ごはんだよ」などと疑問形で呼んできていた魔女さまは、ついに「生態を知らねばいかん」と覚悟した声を出し、数時間ほど出かけた。
そうして持ち帰ってきた分厚い書物と俺の姿を交互に指差し確認しながら、ひとつひとつ口に出した。
「ふむ。全体はやわらかな黒い毛で覆われている。ふわふわだ。……形は、猫のような耳と口、アーモンド型の金の瞳。……堕天使のごとき黒い翼が四枚。頭には小さな角が一本。虎の子のような太い手足に鉤爪、太く長大な尾……」
後から思うとまったく「ねこ」ではないのだが、魔女さまは専門外のことについては限りなく疎かったため、黒くてフワフワでちいこい毛玉を「ねこ的なもの」だと本気で思っていた。
魔女さまは俺の正式名称らしきものを呟き、生態についてをしっかりと読み込んだあと、眉間をモミモミし、分厚い書物をパタンと閉じた。
そうしてから、まあいっか、という顔で微笑んだ。
「麓の者たちに知られたら大騒ぎなのはよくわかった。……だがまぁ、お前は“ねこ”だ。わたしのかわいいねこだ」
それ以来、魔女さまがそう言うなら俺は「ねこ」なのだろう、と思うことにしている。
◇
そんな魔女さまの元で俺はすくすくと育ち、二ヶ月もすると成長痛で夜中に目覚めるようになった。
骨から音が鳴るほど痛い時は、寝ぼけて爪を出したまま手足を暴れさせてしまうことがあるため、一緒に寝ている魔女さまのベッドからこっそり抜け出すようになった。
魔女さまの腕に引っかき傷が出来ているのを見たからだ。
魔女さまを、少しでも傷つけたくなかった。
明かりの灯っていない室内は暗くて怖い。
魔女さまの心音が聞こえないベッドの外は静かで、床は硬くて、とてもさみしかった。
それでも一匹で蹲り、じっと痛みに耐えて目を閉じていると、必ず魔法の灯りを持った魔女さまがやって来た。
困らせるのが嫌で、見つからないように家具の隙間に隠れてみたりしても、魔女さまは「みゃおん、みゃおん」と俺の鳴き真似をした。
それが気になってモゾモゾすると、俺の居場所をすぐに見つけて「ほら、出ておいで」と言う。
そうして、俺を抱っこした。
優しくベッドに連れ戻し、体をさすってくれたり、ミルクを温めて飲ませてくれたり、子守唄を歌いながら眠そうに添い寝し直してくれた。
とても、とても、安心した。
見捨てられないことがわかってからは、甘えが出た。
時々、痛くないのに痛いふりをしてベッドから出て、迎えに来てもらった。
魔女さまの鳴き真似が、俺は大好きだった。
寝たフリをしたままベッドまで運ばれてみると、押し殺したようにくすくすと笑われる。
俺は、その優しい抱っこと笑い声が、嬉しくてたまらなかった。
◇
魔女さまと一緒に小屋の外を散歩するようになった。
そうして外の風や日の光を浴びてみると、俺は自分が有り余る体力を持て余していることに気がついた。
体力を発散させるべく、魔女さまが安全確認した庭や近くの森の中を何周も全力疾走するようになった。
魔女さまの小屋は深い深い森の中にあるため、ヒトの目は無い。
とはいえ、魔女さまがヒトを警戒していることは分かっていたので、言いつけを守って縄張りの外には出ず、ヒトを避けるようにしていた。
魔女さまが許可してくれる範囲が広がり、それが人里と反対の森の奥の方へ伸び、翼を広げて大空を飛び回ってもよくなったころには、「遠くに行きすぎないように」とだけ優しく言って送り出されるようになった。
それからは本能の赴くままに命を躍動させた。
獣を鉤爪で引っ掴んで押し倒し、牙で切り裂きとどめを刺す。
飛んでいる獣は同じように飛んで捕まえ、地の獣はその獣より素早く走り跳躍して捕まえた。
そのうち森の奥に行くと、「変なこと」をしてくる獣が増えた。
火や、水や、氷や風なんかを飛ばしてくる獣だ。
植物を伸ばしてくるやつや、毒を噴射してくるやつ、もっと訳の分からないことをしてくる奴もいた。
相手をよく「視る」と何をしているのか分かったので、全て真似して返した。
そうして倒した奴らの中で一番手ごわかった相手を、褒めて欲しくて持ち帰ってみたところ、魔女さまが固まり、持っていた食器を落っことして、半泣きで走り寄ってきた。
「身体に怪我はないか」「痛いところはないか」と酷く狼狽しながらあちこちチェックされた。
とても心配そうにしていたので、あんまり強いのは持ち帰らないことにした。
◇
ある日、木陰で魔女さまの膝に頭をもたれてうとうとしていると、魔女さまが言った。
「かわいいかわいい、私のねこ」
呼びかけられたので、くおんと高く鳴いて返事をする。
すると、魔女さまは少し心配そうに微笑んだ。
「どんなに面白そうでも、ヒトを襲ってはいけないよ」
「……?」
「ヒトは恐ろしい生き物だ。同時に儚く、それだけ尊いものでもある」
難しいことを言われて、首を傾げた。
恐ろしいのに、良いものであるとは、どういうことだろう?
「いいかい、ねこ。ヒトを見つけても、決して傷つけてはいけないよ」
みゃおん、ともう一度鳴く。
すると魔女さまは満足したように頷いて、顎の下をこしょこしょしてくれた。
◇
それからもたくさん獣を狩って、魔女さまが驚かない程度の獣を咥えて帰った。
煮込むと美味しい、耳の長い小さな獣がいて、魔女さまはそれだととても喜んでくれることがわかった。
そいつらの中でも一等大きな個体を仕留め、いそいそと玄関をくぐると、そこに魔女さまの両脚が落ちていた。
「……?」
意味がわからなくて、首を傾げた。
少し考えて、獲物の血で床が汚れないように獣を外に置いて、玄関をもう一度潜る。
カントリー調の小屋の中は暗く、何か重いものを振り回したようにめちゃくちゃになっていた。
そしてやっぱり、その中心に魔女さまの両脚がボトボトとブツ切りになって落ちていた。
赤い。赤い血溜まり。
そこから魔女さまの匂いがするから、たぶん、これは魔女さまの足で間違いは無い。
だけどやっぱり意味がよく分からなくて、お座りした。
首を傾げてから、くおんと高く鳴いて呼んでみるが、魔女さまの返事はなかった。
その瞬間に後ろから衝撃が走った。
視界が宙を舞って黒くなった。
お読み下さり、ありがとうございます。
少し読みにくいかもしれませんが、一人称と三人称視点が交互に続いていきます。
完結まで書いておりますので、一日一話投稿していきます!