第七十五話 『夢幻の国』が滅ぶまで②
「――『虚構の国の女王・ハートの女王』」
アリスが魔法により、ハートの女王が召喚されるとその凶悪な能力が発動した。身勝手な都合で、人間達を騙して利益を得て、一人の少女を苦しめ続けていた害獣が滅びの時を迎えようとしていた。
妖精達の世界において、人間社会のような法や秩序は存在しない。昼夜という概念がない中、地球から送られてきた『エネルギー』を『夢幻の国』の維持に回す一部の妖精達を除いて、大半は己の快楽を優先していた。
別世界から強制的に連れてきた生物同士を戦わせたり、何もせずに怠惰に耽ける妖精がいた。自分達の日常は続いていく。そう信じて、疑わずに。
とある妖精は『連盟』の支部に置かれていた娯楽本を勝手に持ち出して、それを読んでいた。
「これのどこが面白いのかなぁ?」
心底理解できないという風に、独り言を呟く妖精。勝手に持ち出して酷い言い草であるが、文字通り種族すら違うのだ。人間の感情の機敏や、それに基づいて形成された文化。
そういったものをただの情報以上のものとして捉えていた妖精は、黒兎のような例外を除けば数は少ない。
その少数派には人間に近い感性を持ち、『エネルギー』の供給源となっている少女の境遇に憐れみを覚え、少女を解放しようとした妖精もいた。
しかしそんな妖精達は、種族を脅かす不安要素として排除されている。それを免れた一部の個体が、ビルのような悪魔に変貌する事例もあった。発生件数自体少なく、その僅かながらの悪魔も『連盟』の魔法少女によって特異な魔獣として討伐済みであるが。
「この本つまんないし、別のものでも読もうかなぁ。 ん? なんだ、あれ?」
読んでいた本を放り投げて、地面に寝転がる妖精は、変わらない空をぼけーっと眺めていると、異変に気づく。
青く綺麗に澄んだ空――変化しない空模様に妖精達は当の昔に飽きていたが――酷く直視した者の正気を削りそうな色合いに塗り替えられていく。あえて表現するのであれば、多種多様なクレヨンを片手に、真っ白な画用紙を前にした幼子が感性の赴くままに書き殴った感じだ。
「ええ……? 今までこんなことなかったのに。何かあったのか――!?」
異常な現象はそれだけには留まらない。妖精とは違う『何か』が、『夢幻の国』を満たしていく。それは等身大のトランプに人の手足が生えて剣や槍、はたまた銃器で武装した異形の兵隊達であれば、同じように人間の体のパーツが付いた数えるのすら馬鹿馬鹿しくなる程の卵人間がいた。
いくら人間とは異なる種族といえど、この世の終わりを具現化したような光景の前に、妖精は嫌悪感を隠せなかった。
状況がどうなっているか分からないが、とりあえず他の妖精と合流しなければ。そう考えていた妖精の意識は突如、体に走る激痛を感じながら失われていった。
無数の槍で、自分の体を貫くトランプ兵達の姿を最後に。
これと同様の事態が、『夢幻の国』全域で起きている。トランプ兵達による侵攻があれば、卵人間達による無作為な破壊活動も行われていた。
妖精達も同然無抵抗ではない。しかし地球における魔獣退治を魔法少女に代行させていることを踏まえると、妖精は直接戦闘は得意としていない。
彼らの無駄な足掻きは多少の数を減らしただけで、数の暴力に無惨にも飲み込まれていった。
――ハートの女王。その固有能力は大規模な結界を展開し、範囲内の他の使い魔に信じられない程の恩恵を齎すものだ。
異常なまでのステータス強化に、ハートの女王及び、術者であるアリスが倒されない限り『不死』の能力を獲得する。
なりより一番恐ろしいのが、この魔法の効果範囲である。普通に展開しても街一個分の広さがあるのにも関わらず、限界まで広げれば今回のように一つの世界全域までに拡大される。
と言っても、そこまで広がると十分間もアリスの魔力が保たないが。今回はそれで十分である。現に一つ一つと。妖精の断末魔は聞こえなくなっているのだから。
元から数が武器であったトランプ兵や、『自己増殖』の能力を備えているハンプティ・ダンプティを、ハートの女王の能力で強化するという戦法はまさに凶悪そのものであった。
最後の妖精が力尽きるのを、使い魔の視覚を通して見ていたアリスは無感動に告げた。
「――これは君達が今まで積み上げた罪に対する罰だ。精々死後も地獄に落ちて苦しむことを祈ってるよ」




