第七十話 隠れ家
――『■■■■』に関する情報が消えた今、■は新たに『アリス』と名乗ることにした。『■■■■』という男子中学生でもなく、黒でもないただの『アリス』として。
自分から行ったことではあるが、天涯孤独になってしまったアリスは、ジャバウォックの背乗りながら、隠れ家に最適な場所を探していた。
適当に街を空の上から俯瞰していると、空間の揺らぎが確認できた。
「うん? こんな所に結界? 魔法で作られた異空間かな?」
『――そうみたい。入ってみたら、お兄ちゃん』
「■■■――女王様がそう言うなら入ってみるよ」
『危険そうだったら、私でも他の子たちでもいいからすぐに呼んでよね。まあ、ジャバウォックがいるなら大丈夫だと思うけど』
アリスの影から響く声の持ち主は■■■■■■――ではなく、ハートの女王。魔法『虚構の国の女王』の召喚可能な使い魔の中で、最も強いものであった。
実の兄妹のように親しげに会話していたハートの女王の声は、注意するように助言をすると再び聞こえなくなった。
「じゃあ、ジャバウォック。お願いできる?」
「■■■■!」
了承の鳴き声を上げたジャバウォックは、確認できた空間の揺らぎへと突入した。
「さてさて、どんな異空間なのかな……って、景色が変わってない?」
「■■■■?」
アリスとジャバウォックが同時に、首をかしげた。彼らの前に広がった光景は、先ほどと同じで変化がない。
住み慣れていた街そのもの――ではないようだ。魔法少女として強化された聴力が、その違和感を捉える。
車の音を始めとした人間がいれば必ず発生する生活音が全くなかった。まるで人間の存在自体が消えてしまったゴーストタウンのようだ。
「ジャバウォック。降りてもらってもいい?」
「■■■■」
以前アリスが調伏する為に行った戦闘の時からは想像できない程に、従順な鳴き声を上げるジャバウォック。
(素直になったら、結構可愛い所もあるんだねジャバウォックって)
そんなことを内心考えつつ、アリスは振り落とされないように、必死に黒兎を胸に抱いたままでジャバウォックの背に掴まっていた。
どすんと音を立てて、ジャバウォックは道路のど真ん中に降り立った。着陸の際の衝撃が凄まじかったのか、コンクリートには巨大な亀裂が入っている。
紫色の異形の竜が道路の中央に出現したのだ。普通であれば、着陸の途中で大騒ぎになっているはず。しかし、そうはなっていない。
どこを見渡しても、一つの人影も確認できない。
その事実に、アリスは先ほどの自分の考えが正しかったことを察する。
「やっぱり、ここは誰かの魔法で作られた異空間か……。それにしても凄いな。ここを作り出した誰かは。範囲は制限があるとはいえ、こんなに精巧に現実世界にある街を再現するなんて」
よいしょ、と発しながら器用に地面に降り立つアリス。キョロキョロと周囲に視線をやるが、相変わらずの無音のゴーストタウンぶりである。
またアリスはこの異空間に侵入してから、何の異常も起きていないのが不思議でならなかった。
(この異空間の主が未登録の魔法少女か、『魔女』か、それとも悪魔のどれかか……? 明らかに異物である僕達が入ってきても、ノーリアクションだ。不在か、もしかして空間だけが残っているタイプかな?)
もしも異空間の主が出払っていた場合、アリスは招かねざれる客人になり、必要のない戦闘が発生する可能性もある。
しかし主なんてものが元から存在しない場合、アリスがちょうど探していた隠れ家として利用できる。
現実世界の街を模しているだけあって、衣食住の心配に悩まされることはこれでないはずだ。
まずは落ち着ける場所を見つけて、そこで黒兎を横にさせたい。いや、むしろ自分が寝たい。『魔女』メフィストから連戦で疲弊していたアリスはそう思っていた。
「動き回るのには、ちょっと大きいかな? 僕の影に戻ってもらっていい? ジャバウォック」
「■■■■」
アリスの指示に従ったジャバウォックはあっさりと影に戻る。
「……なら、あの辺でも行ってみるか」
黒兎を縫いぐるみのように抱き込んだアリスは、とりあえず定めた目的地に歩いて行くことにした。




