第六十四話 ここは何処だ?
「――ですか! 大丈夫ですか!?」
体を揺すられて、自分を呼ぶ大きな声に反応し悟の意識は覚醒した。
「――ここは!? っ……!」
「急に動いたら危ないわ。大人しくしてないと……」
慌てて悟は飛び起きて、周囲の状況を確認しようとする。しかしそれは一人の少女に止められて、安静にするように促される。悟の体は横になっていたベットに戻された。
(こんなことしてる場合じゃないのに……!)
悟が意識を失うまで置かれていた状況は、まさに絶対絶命という言葉が相応しいものであった。恵梨香や利恵がいる中学校は依然危機的状況に晒されていて、黒兎の命はビルの掌の上。一刻も早く戻らなければ。
そう焦る悟だが、自分を介抱してくれたであろう少女に礼を言わなければならないと考えられる程度には冷静になる。悟はその少女に視線を向けた。
日本では珍しい綺麗な金髪の持ち主である少女。澄んだ海のような青色の瞳や、悟が今まで見た中で一番整っている容姿に、見惚れたかのように息を止めてしまった。
「えっと……大丈夫?」
少女の口が開く。見た目通りな、鈴を転がしたような心地よいその声をずっと聞いていたい、と思ってしまう。頭を強く振り、ふと湧いて出てきた煩悩を打ち払う悟。そんな挙動不審の様子を、心配そうな面持ちで見つめる少女。余計に恥ずかしくなった悟は、かけられていた毛布を頭の上まで被り、情けない顔を隠そうとした。
(僕はこんな時に何を考えているんだ……!早く状況を整理して、黒兎の所に戻らないと!)
悟は大きく息を吐き、再び頭を落ち着けて体を起こす。自分現状がどのような状態に置かれているかを知る手がかりとなりそうな少女に、礼を言うのも兼ねて悟は質問をした。
「助けてくれてありがとう……。あの、ここは一体どこですか?」
「もしかして記憶がないの? ここはアルカナ王国だよ。と言っても、ここは辺境の寂れた農村に過ぎないけど。貴女、私の家の外で意識を失っていたのよ」
「そうなんだ……」
少女の口から出てきた国の名前に、悟は聞き覚えはなかった。彼女の言葉が事実であるならば、悟が今いる場所は日本どころか地球ではない可能性もある。
意識を失う前を思い返す悟。そういえば、ビルは何か魔法を行使していた。その効果は全く不明であるが、黒兎を下した相手だ。
人一人程度、強制的に異世界に飛ばすぐらいは安々と実行しても違和感はない。既に悟は一回ビルの魔法の腕の高さを目の当たりにしている。結界の強度を上げるついでに、悟自身でも制御できない使い魔達の実体化を解除していた。
「貴女も幼いながら苦労しているのは、何となく分かるわ。もし言いづらいことがあるのなら、言わなくていい。貴女の気がすむまで、私の家にいてくれて構わないわ」
幼い。それは誰を指して言ったのだろうか。そんな疑問が、悟の中に発生する。失礼になるかもしれないが、悟と少女の間にそこまで年齢差があるようには、悟自身思わなかった。
「僕はね――」
年齢について訂正をしようとした悟は嫌な予感が働き、自分の掌に視線を落とす。そこに合ったのは、ある意味見慣れた小さな掌だ。
男子中学生のものではなく、それこそ十歳にも満たない幼女のものと言っても過言ではない。その手で悟は頬を触る。
もちもちとした柔らかい感触であった。普段のものとは異なる感触に、悟は認めざるを得なかった。魔法少女としての変身がそのままになっている。黒兎から聞いた話では、術者が意識を失えば勝手に変身は解ける仕様になっているはず。ビルが行使した魔法による影響があるかもしれない。
そこで悟は少女からの視線に気づく。何かを言いかけた悟を、不思議そうに見ている。本当のことを伝えるべきか。悩んでいた悟は見た目通りに振る舞うべきと判断した。その方が都合が良いからだ。
「……僕の名前はアリス。それ以外のことは覚えていないみたい……」
「……そうなの。それは災難だったわね。私の名前はクレア。どうかよろしくね」
「う、うん……」
少女――クレアは右手をそっと差し出してくる。悟は少し逡巡しつつも、友好の意を示す為に彼女の手を取る。人肌のぬくもりが直に感じられる。こうやって直接誰かの手を握ったのはいつぶりだろうか。
そんな感慨に耽る悟は、こちらを安心させる為に笑顔を浮かべるクレアに対して、何とか自然の笑みを向ける。悟が彼女と見つめ合うこと数秒、部屋の扉が開き小さな訪問者が姿を現した。
「クレア! 今帰ったんだな。家の前で気を失っていた子、目が覚めたんだな!」
「――え? 黒兎?」




