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第四十二話 行ってきます

「ん? これって……」

「どうしたの? 有栖川君」



 いつも通りに、悟は恵梨香と帰路を進んでいた。雑談を交えながらの平穏な一時は、悟が途中で感知した違和感によって中断された。

 悟達がいる場所よりも離れた場所で、魔法が使用される気配が感じられた。ほんの僅かに感知できるか、できないか程度の魔力であったが、日々魔獣との戦闘によって洗練されていった五感は確かに捉えた。

 その魔力が本能のままに撒き散らされる魔獣のものではなく、巧妙に隠遁された魔法を行使した際に感知できる類のものであるということを。



(――悟! 聞こえるんだな!)

(――黒兎! さっきの魔力は――)

(――ああ、この魔力はエリザのものなんだな! だけど近くに魔獣の気配は感じられない……。急ぐんだな!)



 その時悟の脳内には、黒兎からの念話が届く。黒兎の現在位置は不明であるが、彼もこの異様な魔力を感知したようだ。二人の感覚が間違ってなければ、その魔力の持ち主はエリザであり、街中で変身する事態になったということは、経緯はどうあれ相当危機的な状況に追いつめられているのだろう。



 とりあえず黒兎と合流しなければ始まらない。一緒に帰っていた恵梨香は悪いと思いつつ、悟は忘れ物でもしたと誤魔化して彼女に先に帰ってもらおうと考えていると――。



 悟の視界に映る景色――不気味に感じられるぐらいの赤い夕焼けの空。それに負けない程紅色の剣が大量に形成されていた。



「ねえ……有栖川君……あれって……」

「……!?」



 当然自然現象の類ではなく、魔法によるものだ。状況的に考えるのであれば、エリザの仕業に違いない。



(だけど……あんな規模の魔法、見るの始めてだ……!)



 エリザ自身の魔力を血に変換して、それを剣の形に固定し放つ魔法『ブラッド・レイン』。悟は、彼女が使用するのを見たことはある。しかし今展開されている魔法を見た悟の本能は、無視できない違和感を訴えていた。

 つい先日――悟の使い魔の内の一体であるジャバウォックとの戦闘の時以上の魔力が、一本一本に込められている。それがこんな街中で降り注げば、想像するまでもない結果に繋がるだろう。



「佐々木さんは先に家に帰ってて!」



 荒げた口調で恵梨香に帰宅するように促し、黒兎が待っている場所に駆け出そうとする悟。しかし、そんな彼の右手は恵梨香によって掴まれてしまう。

 思わぬ足止めに、悟は転倒しそうになるも、何とか体勢を持ち直した。反射的に文句が飛び出しそうになる。



「何をするんだ! 佐々木さ――」

「有栖川君はどうするの!? あんな危険そうな場所に行って! 死にに行くようなものじゃない!」



 悟の言葉は、恵梨香の正論によって中断された。エリザの元に、一刻も早く駆けつけたいという思いから生じる焦燥感。それに起因する苛立ちをぶつけようとした悟の思考は、自分の手を握る幼馴染の顔を見ることで冷静になった。

 本気で心配する表情が、恵梨香の顔には浮かんでいた。そして、その表情は悟には凄く既視感があるものであった。



(――ああ、昔よく僕が久留美が『連盟』の任務に行った時にしていた顔だ)



 悟の記憶が呼び起こされる。『連盟』の命令によって魔獣の討伐――生死を賭けた闘いに赴く妹を、兄であるはずの悟は格好悪いことに、泣いて困らせることしかできなかった。

 今の恵梨香は、昔の悟自身を映す鏡だ。以前、精神世界のような場所で久留美に出会い、許しを本人からもらったことで、悟は己のトラウマを乗り越えたと錯覚していた。

 このまま恵梨香を無視して行ってしまえば、悟は過去の過ちを懲りずに繰り返していたに違いない。



 何の力もない一般人であるのであれば、この場合恵梨香の意見が正しい。けれど悟は、無力な人間ではない。

 家族を、実の妹を救えなかった頃の悟ではないのだ。



 恵梨香を安心させる為に、ゆっくりと振り返り、握られていた彼女の両手を解く。そして悟は自分の手を恵梨香の両肩にそっと置いた。



「――僕は大丈夫だから。安心して」



 普段の悟から想像できない声色で紡がれた言葉を聞いた恵梨香は、不思議と気分を落ち着かせた。悟なら大丈夫だ。そんな安心感を抱く程の説得力が、今の彼にはあった。



「……本当に大丈夫なの?」

「うん」

「分かった。有栖川君のこと信じてるから。絶対に無事に帰って来てよ……」

「なるべく善処するよ……。佐々木さんも気をつけて」



 そう言葉を言い残して、悟は遅れを取り戻すつもりで、全力で駆けた。エリザがいるであろう場所に。

 そんな悟の姿が見えなくなるまで、恵梨香は幼馴染を見送っていた。





 道を曲がり、周囲に人影がないことを悟は確認した。それと同時に、黒兎が姿を現した。



「――ごめん、黒兎。待たせた」

「いや、大丈夫なんだな。言葉を交わせる機会があるんだったら、なるべくするべきなんだな。いつが最後になるか分からないからなんだな」



 黒兎の経験則に基づいているだろうその言葉は、悟には何故か他人事のようには思えなかった。



 悟は魔力を練り、黒アリスの姿に変身して黒兎に声をかける。



「――黒兎。転移魔法を」

「了解なんだな」



 黒兎が形成した転移魔法の『門』に、悟は一目散に飛び込んだ。

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