第二十三話 再会
「んー? やっぱり背景が全部真っ黒っていうのは味気ないね。せっかくの兄妹の再会なのに。はいっと」
「――!?」
久留美に似た少女はその小さな手を軽く叩く。パン、と。乾いた音が辺りに木霊する。
その瞬間。悟と少女がいた空間が一変した。
墨汁をぶち撒けたような漆黒の闇が、長閑な森の風景に様変わりする。森の一角を切り開いて作られた広場に、多人数が座れる大きな木製の机や椅子。
悟には価値の高さが予想できない品の良さそうなティーセット。各席の前に用意された茶請け用のクッキー。
そんな童話の一場面のような空間に突然放り込まれた悟は、困惑したまま席の一つに腰をかけていた。座り心地は悪くない。
「どう? 中々趣があるでしょ?」
悟のすぐ隣の席に、少女は座っていた。
黒兎と契約した昨日以上である、怒涛の展開に呑まれそになりつつも、悟は妹であろう少女に問いを投げた。
「……君は久留美なのか?」
「――うん、そうだよ」
少女――久留美の返事は簡単なものだった。疑惑が真実であると確定して、悟の中で様々な感情が溢れ出す。
「――ごめん、ごめん久留美。僕が不甲斐ないばかりに……」
その中で口から言葉になったのは、久留美への謝罪であった。先ほど――模擬戦の前にエリザに覚悟を問われた際に見せた信念は、悟が黒兎の願いに賛同した要因を前した瞬間、崩れそうになる。
兄である悟の泣き崩れる姿に、久留美は優しく微笑む。彼女の手が悟の頭に添えられた。
「――大丈夫だよ。私はお兄ちゃんを別に恨んでないから。魔法少女を辞めようと思えば、私から直接お母さんやお父さんに言えば、よかったんだから」
「……でも――」
「お兄ちゃんは相変わらず強情だなぁ。なら、こう言ってあげる。――私はお兄ちゃんを許します。これでどう?」
「――」
その言葉で限界だった。悟の涙腺は決壊したダムのように、絶え間なく滴が流し続けた。
■
「――もう落ち着いた?」
「……う、うん」
妹にあやされる事実に、悟は羞恥で顔が赤くなる。その様子を良い笑顔で久留美は眺めていた。まるで役得と言わんばかりに。
「……僕、そろそろ行くよ」
「まあ、お兄ちゃんならそう言うよね。なら早く行った方がいいよ。ちょっと過激な子達が外に出ちゃたから」
「――! それなら尚更急がないと! 黒兎やエリザさんが危ないや!?」
慌てて椅子から立ち上げる悟。その衝撃で彼の席に置かれていたティーカップが音を立てて、倒れてしまう。薄い赤色の液体が重力に従い、地面を濡らす。
「どうやったら、元の場所に戻れるの!?」
「胸に手を当てて、お兄ちゃんが戻りたい場所を心の中で念じるだけでいいから」
一見平たくも、僅かに感じられる膨らみがある胸に、悟は手を添える。心に浮かべるのは、『契約者殺し』という物騒な二つ名つきの妖精と、『魔女』の名を持つには優しい紅い少女。
そして、悟にとって日常の象徴とも言える幼馴染の顔であった。
「――久留美、またね」
聞きたいことは山程あった。この場所は何であるのか。久留美は何故いるのか。等など。数え切れないが、今まで悟には時間がない。
その為、伝えた言葉は簡潔なものであった。別れではなく、再会を約束する為の挨拶だった。
「――うん、またねお兄ちゃん」
その言葉を最後に、悟の意識は再び暗転した。
後に残された少女は、誰にも届かない独り言を呟く。
「――頑張ってね。■■様の兄上様」
■
「もう終わりかな? よく頑張ったね!」
「Nyaaaa!」
ハンプティ・ダンプティの癪に触る、甲高い声がエリザと黒兎の耳に響く。
悟の様子がおかしくなり、ハンプティ・ダンプティとチェシャ猫が召喚されてから、状況が最悪の一途を辿っていた。
新たに現れた二体の異形と戦闘に発展したのだが、それは最早戦いではなく、強者による戯れであった。
前衛をエリザ、そのサポートを黒兎が魔法で行っていたのだが、チェシャ猫の突進、前足による薙ぎ払いという単純な攻撃動作のみで二人の連携は瓦解寸前であった。
エリザの『ブラッド・パルペー』の鎌による切り裂き。『ブラッド・レイン』による弾幕攻撃。そのどれもが効果があるようには見えなかった。
黒兎の見立てによると、チェシャ猫は特殊な能力がない代わりに、圧倒的な耐久力と筋力を保有しているタイプの使い魔となる。
そして等身大の卵に人間のパーツが付属しているという、狂気的な外見をしている文字通りの異形――ハンプティ・ダンプティは先ほどから戦闘には参加していない。
現れた時からずっと変わらず、気色の悪い笑みを浮かべるだけだ。
更には黒兎が周囲に張っていた結界が戦闘の余波のせいで破壊されてしまう。つまりそれが意味することは、『連盟』にこの場所が嗅ぎつけられるということだ。
「ま、不味いんだな……」
――黒兎の頼りない声は誰にも届かない。




