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長い抜け穴を抜けると、少し立派なお屋敷の庭園へと出た。
「陛下! お待ちしていました」
屋敷からわらわらと召使いっぽい服装をした男女が数人出てきて、俺たちを屋敷の中へと案内した。
「馬と馬車の準備はできています。すぐにでもここを発つことができます」
執事っぽい人がそう告げたが、レニエは首を振る。
「いや、今は人目が付きすぎる。夜、暗くなってから発つことにしよう」
そして窓から外をジッと眺めた。
「思った通りだ。リジエール伯は城内にもすでに手を回していたらしい。王城はすでに伯の手の者に制圧されています」
「何だと! では、アランは!?」
国王が顔色を変える。
「少し待って下さい」
レニエは瞳を閉じると、何かぶつぶつと呪文を唱えた。
「大丈夫です。騎士団長は無事です。同じように無事だった騎士数名とこちらへ向かっているようです」
ホッと安堵のため息が誰彼となくこぼれた。
「安心するのはまだ早いです」
そんな中、レニエは厳しい顔で告げる。
「陛下の似姿を真似たノームに逆方向へ逃がしているとはいえ、ここに彼らが気づくのも時間の問題でしょう」
「ではどうすればいいのだ!」
「先ほども申しましたが、夜になるまで待ちましょう。そして夜陰に紛れて陛下のご領地へ向かいましょう」
「そうか、あそこならテッドもいる。少しは持ちこたえるな」
「はい」
そう頷いてからレニエは深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。リジエール伯が何かを企んでいることは気づいていたのですが、まさか彼がここまで大胆なことをするとは思いませんでした。私の判断が甘かったこと、そしてそのために御身を危険な目に合わせたことを深くお詫びいたします」
「レニエ、そなたが悪いわけではない。全ては私の不徳の致すところだ。許せ」
国王はぺこりと頭を下げる。
「陛下、そんな!」
慌てるレニエを王妃がにっこりと微笑んだ。
「そうですよ、レニエ。それを言いましたら私も、国民をまとめる義務がありましたのに、結局反乱を許してしまいました。貴方に苦労をかけますこと、本当に申し訳なく思っています」
「王妃様、もったいないお言葉です」
「あー」
ごほんごほんと俺は咳払いした。
「そろそろ何がどうなっているのかご説明いただいても?」
レニエは俺を見て、今思い出したという顔をした。
「そういえばそうでしたね。陛下、夜までまだ少し時間があります。今のうちにお身体を休めてはいかがでしょう?」
「あ、うむ。そうさせてもらおうかな」
「王妃様もどうぞ」
「ええ、レニエも無理なさらないように」
二人が出て行くのを確認してから、レニエは部屋の真ん中に設られたソファに座った。
どうやらこの部屋は居間のようだった。
「さて、どこから説明したらいいものやら」
俺はレニエの向かいのソファに座った。
「まず、リジエール伯って何者なの?」
「彼は北部の領主たちの盟主のような存在です。王国でも一、二を争う実力の持ち主で、帝国への援軍反対派の中心人物です」
「国王とも仲が悪かった?」
「そうですね」
レニエはしばし沈黙した後、軽くため息をついた。
「貴方には最初からお話しするしかないようですね。そもそもの始まりはこの国の建国からなのです」
「え? そこまで遡るの?」
簡単でいいよー。
「いえ、ことはこの国の成り立ちから始まっているのです」
レニエはきっぱりと言い切ってから話し始めた。
「この国、この大陸はその昔、古代エルフたちの帝国がありました」
「古代エルフってレニエたちエルフとは違うの?」
「私はハーフエルフなので、エルフとも違いますが」
レニエは少し自嘲気味に笑ってから続けた。
「彼らはエルフたちとは比べようもないほどの魔法の使い手でした。海を裂き、山を崩し、湖を埋め、都市を丸ごと空へ浮かべていたとも聞いています」
「それ全部、魔法でしていたわけ?」
「ええ。彼らは不老不死ともいえる寿命を持ち、この大陸の全てを支配していました。ところが約2000年前、魔族が攻め込んできた時、彼らの魔法はほとんど魔族に効かなかったのだそうです」
「ええっ! 魔族ってそんなに強いの!?」
それ、どう考えても俺じゃ敵わないんじゃ?
昔の勇者って、どうやって倒したの?
「古代エルフはかろうじて世界樹があるこのフィアビタンス王国の周りに魔力防壁を張りました。ですが、時すでに遅く、世界樹は魔族たちに大きく傷つけられていました。そのため、古代エルフたちは世界樹を守るため、自らと世界樹をこの世界のどこかへと隠してしまったのです」
「じゃあ、この世界に世界樹は無いのか?」
「はい。ですが、フィアビタンス王国にはまだ世界樹の子孫となる木々、つまり森がありました。私たちはそれを『始まりの木』あるいは『始まりの森』と呼んでいます」
「始まりの森」
「この世界の魔法はほとんどマナを使って行われます。世界樹はそのマナを循環させるこの世界の中心とも言うべき存在でした。それがどこかに隠れてしまったので、この世界のマナは大きく減退しました。しかし『始まりの木』は、世界樹からマナを引き出すことができました。エルフたちも『始まりの木』があると古代エルフたちほどではないにしても強い魔法が使えました。彼らがフィアビタンス王国の森から一歩も出ないのはそのためです」
「あー、その。エルフと古代エルフって、なんか血のつながりとか種族的に同じとか、そういうのってあるの?」
レニエは顎に手をやり、少し考え込んだ。
「あなたがエルフとハーフエルフのような関係を古代エルフとエルフの間に見ているのなら、違うと言っておきましょう。ただし、もう2000年も前の話なので、エルフがどのように誕生したのかは私も知りません」
「うーん、神話の中の話ってことか?」
俺の言葉にレニエは眉をしかめた。
「神、ですか?」
そしてジッと押し黙る。
あー、もしかして、この世界は神様がいないのか!?
何て説明しようかと悩んでいるうちに、レニエはまた話し始めた。
「フィアビタンス王国は、あ、まだこの時は王国ではなく『フィアビタンス州』でしたが。始まりの森と魔力防壁のおかげで一時的な平和が訪れました。そこに魔族から逃げて来た人々が押し寄せました。森を誰からも侵されたくないエルフと安住の地を求める人間との間で争いが起きます」
「は? 何で? 魔族が攻めて来ているんだろ? じゃあ、一緒に戦えばいいじゃん?」
レニエは俺の言葉に首を振った。
「今も昔もエルフの考えていることは同じだったのです」
「あー、森から出なければ安全だってやつか」
「はい。ただ、当時のエルフたちは今よりも切実でした。魔族はすでに魔力防壁のすぐそばまで迫って来ていました。そして、エルフたちは始まりの森から離れることができませんでした。誰かが森を守り、魔族を追い出さなければいけなかったのです。彼らは人間たちを率いていたあるグループの長に交渉しました」
レニエは一旦言葉を切り、皮肉気に片眉を上げた。
「エルフの森を守るなら安住の地を与えよう」
「だから、この国はエルフが建国したも同然なのか」
「その通りです。建国王は背に腹を変えられなかったのでしょう。エルフと盟約を結びました。そしてその証としてエルフの娘を王妃に迎えました。これがフィアビタンス王国の建国物語です」
「はー、なるほどねー」
エルフから土地を間借りして建てた国だからエルフの意向には逆らえないのか。
「だからエルフが援軍に反対していたら、この国も援軍は出せないというわけなんだな。となると、リジエール伯のバックにはエルフがついているっていうことなのか?」
「その可能性は高いですね。彼は代々ハーフエルフを妻に迎えている家で、彼自身もハーフエルフです。自分の先祖にあたるエルフから何らかの助力をあおいでいてもおかしくはないでしょう」
「じゃあ、誰もリジエール伯には逆らえないのか」
「そうでもありません」
「うん?」
俺の言葉を否定するレニエの声はいささか力強かった。
「先ほど私が申したのは建国当時の話です。今はさらに事情が変わっています」
レニエはそこで話を切り、部屋を見渡した。
「ずいぶん日が落ちましたね」
気がつくと部屋は薄暗くなっていた。
「夜まであまり時間もありません。勇者殿も今のうちに身体を休めておいて下さい」
「あ、うん。レニエはどうするんだ?」
「私はまだすべきことがあります。それが終わったら私も休みますよ。ポール!」
レニエに呼ばれて、この屋敷の執事っぽい人がやって来た。
「はい。レニエ様。御用ですか?」
「勇者殿をどこか休める部屋へ案内してくれませんか?」
「かしこまりました」
ポールに案内されて部屋から出ようとしたとき振り返ると、レニエは薄暗い部屋でジッと一点を見つめたままだった。