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長い長い沈黙の果て、階段は踊り場のある場所で止まった。
その一角にカーテンが下がっている。
レニエはカーテンを手で持ち上げて俺に中に入るように促した。
「へえ!」
カーテンをくぐると、俺は思わず声を上げた。
そこはちょっとした小部屋になっていて、椅子とテーブルが置いてある。
足元には暖かな絨毯が敷かれていて、テーブルの上には湯気を上げている飲み物が置かれていた。
そして俺の目を奪ったのは、窓に広がる景色だった。
遠目に映るのはアルプス山脈のような険しくも白く美しい山々。
眼下に広がるのは赤い屋根が連なる町。
町の向こうには田園が広がり、さらにその向こうには森林が広がり、やがてそれは峻険な山へと続いていた。
写真やテレビで何度か見たヨーロッパの絶景のような景色が広がっていた。
「ああ、すでに準備は終わっていますね。やはりブラウニーに頼むのが確実ですね」
レニエは満足そうに頷くと、俺を窓際に設えられたテーブルへと案内した。
この小部屋は塔から張り出したように作られていた。窓の下の壁には板が張り出してあり、椅子のように腰掛けることもできる。
そしてそこに腰掛けると、映像のように美しいこの国の景色が堪能できる作りになっていた。
今まさに俺は、まるで子供のように窓際の板に腰をかけ、窓の外の景色を食い入るように見ていた。
両親が死んで祖父母に育てられていたため、海外旅行なんて申し訳なくて一度も口にしたことがなかった。
テレビの「海外の絶景スポット」とか「世界遺産」とかなんて、絶対に縁が無いと思っていただけに、眼下に広がる景色はこれ以上に無いぐらい俺の心を浮き立たせた。
「どうでしょうか? 我がフィアビタンス王国の景色は?」
「最高!」
俺は満面の笑みで答える。
レニエは得意そうに頷いた。
「そうでしょうとも。我がフィアビタンス王国はエルフが建国したと言っても過言では無いぐらいエルフが多く暮らしています。彼らは魔法に長けていますから、無駄な森林伐採をしなくてもこれだけの発展ができるのですよ」
あー、俺がさっき説明した電気の話、レニエはかなり気に入らなかったんだなぁ。
火力発電とか工場建てるための土地開発とか、あからさまに眉をしかめていたものなぁ。
そう思いながら眼下の景色を眺める。
魔法があるから発電所も必要ないし、石油や石炭を掘り起こさなくてもいいし、エスカレーターとかエレベーターとかを作る工場も必要無いからこそのこの景色なんだなぁ、としみじみと眺めてハタと気づいた。
「え? この世界にもエルフいるの?」
「おや? あなたの世界にもエルフはいるのですか?」
「いやエルフは想像上の生き物で実在しないんだけど、ここは実在するの?」
さすが異世界と感心すると、レニエは腑に落ちないような顔をした。
「実在しないのに、なぜあなた方はエルフを知っているのでしょう?」
「いや、何ででしょうね?」
あはははと笑ってごまかす。
幸いにもレニエはそれ以上突っ込むことはなく話始めた。
「我がフィアビタンス王国は元々あった古代エルフの王国の後に建国された国なのです。遥か昔、魔族が攻めてきて大陸中が荒れ果てた時、フィアビタンスだけは世界樹があったためか比較的安全でした。そのため、魔族から逃れる人々がここへと集まりました。そして、何とか魔族を大陸の北東へと追い返した1000年前にこの地に王国を築いたのです」
「世界樹?」
「はい。この世界の中心となる存在です」
あー、なんか、本当にゲームや漫画で出てくる世界、いわゆるファンタジー世界なんだな。
魔法はある。
エルフも魔族もいて、世界樹が存在する。
きっと、ドワーフとか巨人とかドラゴンとかもいるんだ。
まだ夢の世界にいるかのように現実感は無いのに、レニエの説明の一つ一つはリアルに迫ってきていた。
俺、本当に異世界に召喚されたのかなぁ。
ぼんやりと窓の外を眺めると、ゴホンとレニエが咳払いした。
「もしよろしければ、このままこの世界とこの国の置かれた状況をご説明しても?」
「あ、すいません。どうぞどうぞ」
気まずさをごまかすために目の前の飲み物を手に取った。
現実世界の高価なティーカップのような形の器で、中に入っているものも紅茶のような色合いだった。
「あ、美味しい」
一口口にすると、スッキリとした香りが鼻に抜け、何だかクサクサした気持ちが落ち着くようだった。
「陛下が東方から取り寄せた茶葉です。お気に召されたのならば、どうぞご遠慮なくお飲み下さい」
レニエはそう言いながらカーテンの先を見る。
するとカーテンが少し開き、小柄なフードを目深に被った人物が手にお盆を持ったまま入ってきた。
「ちょうどペストリーも来ましたね」
お盆の上にはケーキのようなものが乗っていた。
小柄な人物は俺の目の前でケーキをカットするようにペストリーを切り分けた。そしてテーブルの上にランチョンマットのような布を置くと、その上にペストリーを直に置いた。
え? あれ? お皿は?
あと、フォークとか無いのかな?
少し待ってみたが、小柄な人物は何もしゃべらないでテーブルのそばに立っていた。
このまま手づかみで食べていいのかな?
ペストリーは焼きたてのようで、リンゴとバターの香りが何とも言えなかった。
一つ手にとって食べてみる。
皮はサクサク。中に入っているリンゴはほどよい甘さで、いくらでも食べれそうなぐらい美味しい。
俺の表情を見て、レニエは満足そうに頷く。
「お腹を空かしているとお聞きしましたので、こちらもどうぞ遠慮なく召し上がってください」
そして小さく手を振ると、小柄な人物はクルリと方向を変えてカーテンから出て行った。フードを目深に被っていたので、最後まで彼がどんな顔をしているのか分からなかった。
それにしても彼は背丈が子供くらいしか無く、ファンタジー世界の小人のようだった。
「彼らはブラウニーです。自らの意思はほぼない使役するための精霊ですよ」
レニエの説明に俺は目を丸くした。
「その表情を見るからに、ブラウニーもあなた方の世界にはいないのですね」
「もちろんですよ! 人間以外の種族なんておとぎ話の世界だけですから!」
そう言いながら、自分の心がどこかウキウキと湧き立つ感覚を味わう。
これでも子供の頃は『指輪物語』とか『エルマーと竜』とかファンタジー小説を夢中になって読んだ口だ。
あのおとぎ話の世界が目の前に広がっていると知って心が踊らないはずがなかった。
「なるほど。では、エルフも今初めて目にしているというわけですか」
「え?」
「申し遅れましたが、私はエルフ、いえ正確に言うとエルフと人間の混血のハーフエルフなのです」
そう言いながらレニエはフードを外した。
そこには漫画やゲームなどでよく目にした尖った耳があった。
レニエの尖った耳を見て思わず叫びそうになる口を俺は慌てて自分の手でふさいだ。
正直、物語の中だけの存在であるエルフ、正確にはハーフエルフだが、が目の前にいるのは心臓が飛び出るかと思うぐらいびっくりした。
そしてレニエをまじまじと見る。
「やばい。まじめに感動してきた。俺、本当に異世界に召喚されたんだ」
それから自分の手のひらに視線を落とす。
「何で俺、魔法使えないんだろう?」
「さぁ? それは私自身が聞きたいぐらいです」
「勇者だったら、何か隠された力があったりとかしないの?」
レニエは首を傾げる。
「どうなんでしょう? そんな感覚はありますか?」
「無いです」
ガックリと俺は肩を落とした。
「やっぱりコレ、何かの間違いでしたってならない?」
うーんとレニエは首をひねる。
「勇者召喚の儀式は1000年前から一度も行われたことがないのです。私どももあなたが勇者かそうで無いかを判断する材料が無いのですよ」
「勇者召喚というのはそんなに珍しい魔法なの?」
「はい。わずかにこのフィアビタンス王国の一地方にのみ伝わっているものです。それも、条件が揃わないと成功しないと伝えられてきましたから、誰も試みようとはしなかったのです」
「昔はよく召喚されていたとか?」
「そのようですね。かの魔族との戦いの時、勇者が活躍したと聞いています。彼らのおかげで魔族はオポジール山脈のさらに奥へと追い返すことができたと伝えられています」
「それ、1人でやったの?」
「いえ。詳しくは分からないのです。全ては伝承でのみ伝わっていますので。1人の勇者だったとも、7人とか12人とか複数いたとも。あるいは300人近くの勇者が戦ったとも」
「さ、300人!?」
レニエは苦笑する。
「全て伝承ですので」
「はぁ。よくまぁ、そんなあやふやな儀式をしようと思ったんだか」
「まぁ、止むに止まれない事情がありまして」
レニエが深いため息をついた時だった。
「勇者殿はいらっしゃるかな?」
カーテンが開き、いかにも中世という服装をした中年男性が入って来た。
「これは陛下」
レニエが慌てて立ち上がり一礼する。
陛下、って?
まさか!
国王陛下!?
俺も慌てて立ち上がった。
「ああ、いいよいいよ。楽にして」
国王は気さくな笑みを浮かべながら俺たちに座るようジェスチャーをする。
「そうですよ、勇者様。私たちはあなたとお話がしたくて来たのですから、どうぞそのまま楽になさって下さいな」
国王の後には同じく中世ヨーロッパのようなドレスを着た女性が入って来た。
彼女は先ほどはフードに隠れて見えなかったが、尖った耳を持っていた。
「王妃様はハーフエルフなのです」
女性の耳をまじまじと見ている俺にレニエが耳打ちした。
俺は慌てて王妃の耳から視線を外す。
物珍しいからじっくり見てしまったが、これって不敬だよね?
「それで、勇者様は何ができるの? 魔法? それとも剣の達人とか?」
王妃の質問にレニエは気まずそうな顔をした。
「それがいまだ判明していないのです。彼が勇者として召喚された以上、何か特殊な才能があると思うのですが」
「あら? そうなの?」
王妃はあからさまにガッカリした顔を俺へと向けた。
「勇者様もそうなのですか?」
「ええ、まぁ、残念ながら」
「あらまぁ、どうしましょう、陛下?」
王妃は困惑した顔を国王へと向けた。
「ううむ。それは困ったな」
国王も難しい顔をレニエへと向ける。
「先ほどそなたが行き違いと申したのはこのことか?」
「はい。陛下」
「ううむ」
国王は唸ったきり考え込むように押し黙った。
「あの、なんか、すいません」
頭を下げると王妃がぎこちない笑みを浮かべた。
「あら、勇者様のせいではありませんよ。私どもが、何も分からずに、適当に、ものは試し的な感じで、儀式をしたのがいけなかったのですから」
え?
そんなお気楽な感じの儀式で召喚されたのですか?
俺は?
とりあえずガチャ引いとけ、みたいな?
目を白黒させる俺のそばでレニエが咳払いをする。
「一応調査はしましたよ。ただ、何分勇者召喚には不明確な部分が多く」
「時間も無かったしのぉ。ダメ元でみたいなところはあったなぁ」
「陛下!」
レニエは何度も咳払いをして誤魔化そうとしていたが、しっかり聞こえた俺はジト目でレニエを見た。
「少なくとも必ず役に立つ勇者が来るとは限らなかったんだ」
「それはその、あらかじめこちらで推測するだけの材料がなく」
「どんな勇者が来るかは知らなかった」
「ええまぁ」
「そもそも勇者とは何者かも知らなかった」
「昔のことですので」
「この儀式自体、勇者召喚ではなく異世界から人を召喚するだけのものだったとか?」
レニエはおもむろに俺の目の前でひざまずいた。
「申し訳ありません、勇者様。ですが、このフィアビタンス王国をお救いするのは勇者様をおいてしか存在しないのです。何卒、我らに力を貸して下さい」
そして深々と頭を下げる。
「え、いや、あの」
いきなり頭を下げられて、流石に動揺する。
「お救いするも何も、俺は何の力も無いんだけど」
「いえ、あなたが勇者である、そのことが我々にとって助けとなるのです。どうかどうかその力をお貸し下さい」
レニエはひたすら頭を下げる。
そしてそれに続くように、国王と王妃も俺の前に跪いた。
「勇者様、お願いいたします」
「この通りだ。どうか我が国を助けてくれ」
どうしよう。
嫌ですと言えない雰囲気になってきた。
「あの、それより、俺を元の世界に返して、もっと別の勇者を召喚すれば」
おずおずとリセマラを提案してみると、レニエは首を振った。
「それが、召喚に必要な素材は全て使い切ったのであなた以外の勇者を召喚することはできないのです」
何ですと!
「あと、これは最初に伝えるべきだったのかもしれませんが、私どもはあなたを元の世界に返す方法は知りませんよ」