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たっぷりと10分かけて俺は頭を整理しようとした。
だが、
「無理! 絶対無理だ! 勇者? 救世主? 魔族? 意味が分からない! ていうか、ここどこ? あなた達何者なの?」
パニックになっている俺を見て、周りの人物達はお互い顔を見合わせた。
そして自然とレニエと名乗った人物を見る。
どうやらレニエがこの場を仕切っている者のようだった。
レニエはにっこりと俺を安心させるように微笑んだ。
「突然のことで驚かれたことだと思います」
「いや、驚いたというより、いまだに状況がよくわからないのだけど? 俺、確かにさっきまで自分の部屋にいたよね?」
「そうなんですか?」
「そうなんですか?って。そうなんです。で、地震だって思ったらここにいたんですけど、これって夢か何かですか?」
「うーん、どうなんでしょう? 私たちには召喚前のあなたの状況は分かりかねるのですが」
話がかみ合わない。
俺は絶望したようにレニエを見つめた。
いったいどうなっているんだ。
地震で頭でも打っておかしくなったのか?
それとも、新手のドッキリとか?
「ドッキリというものが何かはわかりませんが、あなたの頭がおかしくなったわけではないと思いますよ」
レニエの言葉に俺はギョッとして彼を見つめた。
「まさか、俺の心読めるの?」
「ええ。先ほどあなたにかけた精神魔法の余波で」
レニエは何でも無いことのように言う。
「精神魔法?」
「はい。精神魔法と言語魔法の組み合わせではありますが、先程あなたの心に直接呼びかけたのはそれです」
レニエはそれから訝しそうに俺を見た。
「ご存じではないのですか?」
「ご存じではありません! ていうか、魔法そのものがご存じてはおりません!」
混乱しているからめちゃくちゃな言葉だったが、構ってはいられなかった。
「魔法使える? 本当に? 手品とかじゃなくて?」
レニエは俺の言葉に心底驚いたような顔をした。
「あなたは魔法が使えないのですか?」
「使えるわけないでしょう!」
「では武術の達人とか?」
「剣道も柔道も空手も生まれてこのかた、やったことはありません!」
「ジュード? カラテ?」
「えーと、武術の達人ではないです!」
「では何ができるのですか?」
「何もできません!」
レニエはショックを受けたように俺を見た。
「では、なぜあなたが勇者なのですか?」
真っ青な顔で俺を見るレニエを俺も同じ顔で見つめた。
「それはこっちが聞きたいよ。何で俺を勇者として召喚したの?」
どちらも次の言葉が継げず、呆然と見つめ合った。
「あー、レニエ? 何か問題があったのかな?」
フードをかぶった中年男性がレニエに声をかける。
「陛下」
レニエは男性に小さく頭を下げる。
「お互い多少の認識の齟齬があるようです。情報交換と整理も兼ねてどこか別室に移りませんか?」
「それがいいですわね」
別のフードの女性が口を開く。
「ここは冷えますわ。せっかく来ていただいた勇者様をもてなすには相応しくないわ」
声も顔も若い女性はにっこりと俺に微笑んだ。
「確かにその通りだ。エレナ」
フードの男性はエレナという女性の言葉に頷くと、そばにいた別のフードの人物を呼び寄せた。
「勇者様をもてなす用意を。それと、勇者様がくつろげる部屋も」
「かしこまりました」
呼ばれたフードの人物は一礼するとその場から去っていく。
フードの男性はフードの女性に手を差し伸べると、レニエを振り返った。
「後のことは任せたぞ、レニエ」
「かしこまりました、陛下。では一刻後に物見の塔でお会いしましょう」
フードの男性は頷くと女性と共に去っていく。
それを合図にしたかのように、他のフードの人物たちもお互いに何やらコソコソとしゃべりながら、たまにチラリと俺の方を振り返りながら去って行った。
閑散とした部屋に俺とレニエだけが取り残された。
「あ、あの」
俺は皆が去るまで一礼したままでいるレニエにおそるおそる声をかけた。
レニエは頭を上げると俺を見て納得したように頷いた。
「魔法が使えないとは。どうりで精神魔法に対する防御が無かったはずです。初めは召喚の混乱で忘れているのかと思ったのですが」
「じゃあ、俺は勇者でも何でもないということですね」
何かの間違いなんだろうなと俺は納得しかけたが、レニエは逆に首を傾げた。
「そこなんですよ。魔法が使えない勇者がなぜ召喚されたか。あなたは本当に勇者なのか、そうではないのか? これはなかなかの難問ですね」
「いやだって、俺魔法も超能力も使えないよ」
「でも、『魔法』という言葉は知っているのですよね」
「そりゃまぁ。ゲームとか漫画とかで」
「使い方を知らないだけで、本当は使えるとかでは?」
「そうなの?」
「試してみましょう」
レニエはぐるりと部屋を見渡した。
そして部屋の壁にかかっているたいまつを指差した。
「あの火を大きくしてみて下さい」
「は? どうやって?」
俺の質問にレニエは困ったように眉をしかめた。
「どうやってって。大気中のマナを感じて、です」
うん。レニエの言っている意味が分からないぞー。
俺はまばたきを繰り返しながらレニエを見つめたが、レニエはそれ以上説明することは無いと言わんばかりに黙って俺を見ていた。
俺はため息をついて、たいまつを見た。
漫画とかゲームとかじゃこういう場合どうやって魔法使うんだったっけ?
俺は目をつぶるとたいまつの火が大きくなることを想像しながら、レニエの言うマナを感じようと集中した。
そしてきっかり1分後、目を開けた。
「無理」
「ですね」
レニエは即答する。
「じゃあ、やらすなよ」
「ものは試しという言葉があるでしょう? 私としてはできるだけ推論を阻害する可能性をつぶしておきたいのです」
「で、俺が魔法を使えないことで何か分かりましたか?」
「いえ、特には。あなたが、我々が思う勇者とは違うということぐらいですね」
「勇者じゃないという結論は?」
レニエはクルリと瞳を回した。
「そこにつきましては、今のところ何とも言えないのですよ。まぁ、とにかく私どもの状況をお話ししたいので、場所を移しませんか?」
俺は辺りを見回した。
先ほどのエレナという女性が言った通り、ここは薄暗く寒かった。
少なくとも立ち話をするような場所ではない。
「できれは座れる場所がいいのですが」
俺の言葉にレニエは頷いた。
「もちろんです。あと、何か飲み物も用意させましょう。お腹は空いていませんか?」
「多少は」
俺はお腹をさすった。朝ご飯を食べたばかりのはずだが、もう何時間も経ったような気分だった。
「分かりました。晩餐には陛下がごちそうを用意しているでしょうから、軽食をご用意しましょう」
レニエはそう言いながら壁のたいまつを一つ手に取ると、俺の前に立って歩き出した。
俺はため息をつくと、その後をついて行った。
部屋を出るとすぐに階段があった。
レニエは何も言わずに階段を登り始める。
その後をついて行ってから上を見上げてゾッとした。
螺旋階段は延々と上まで続いていたからだ。
エスカレーターとか無いよね?
思わず心の中でつぶやくとすかさずレニエが尋ねる。
「エスカレーターとは?」
そうか、俺の心って筒抜けなんだ。
レニエは振り返ってニッコリ笑った。
「そうですよ。気をつけてください、と言いたいところですが、あなたは精神防御の魔法が使えないのでしたね」
「この世界の人ってみんな魔法が使えるの?」
「いえ、使える人もいますが、使えない人も多数います」
「だったらその人達はあんた達魔法使いに考えていることが筒抜けなんだ」
「そうでもないですね。一つは、精神魔法はかなり高度な魔法で使える者が少ないです。もう一つは、この魔法は永久に継続するものではないのです。もうすぐ効果は消えますよ」
なるほどと俺は頷いてから、レニエをまじまじと見つめた。
「ということは、レニエはかなり優秀な魔法使いなのか?」
レニエは得意げにニヤリと笑った。
「まぁ、それほどでもありますね」
それから少し真顔になった。
「ところで、質問に答えていませんね。エスカレーターとは何ですか?」
ああ、と俺は頷く。言葉は通じるようになったが、レニエの世界に無いものは分からないらしい。
「エスカレーターは、動く階段というか、動く床というか。こう板が順繰りに並んでいて、それらを動かすことによってその上に乗っている物とか人とかを動かすものなんだ」
「なるほど。つまりはこういうことですね」
レニエはパチリと指を鳴らした。
途端に俺の乗っている階段が動き出す。それはまるでエスカレーターのように螺旋階段を上へ上へと上がって行った。
「うわ! 動いた! 何? これも魔法なの?」
「はい、そうです。もっとも階段に付与された魔法を私が起動させただけですが」
「そういう便利な魔法があるならもっと早く使って欲しかったのだけど」
「それは失礼しました。あなた方は魔法を使わないと聞きましたので、肉体を使うことがお好みかと」
「いや、魔法は無くても肉体はあまり使いたく無いよ。俺たちだって」
ふむ、とレニエは考え込む。
「一つ疑問なのですが、魔法が無くてどうやって動いているのですか? そのエスカレーターというものは?」
「どうやってって、電気で?」
「電気?」
レニエは首を傾げると、またパチリと指を鳴らした。
途端にレニエの指の先からビリビリと稲妻が走る。
「電気とはコレのことですか?」
「あー、まぁ、一応」
「これでどうやって床や階段を動かすのですか?」
「う、うーん。あらためて聞かれると俺も何て答えたらいいのやら」
俺は四苦八苦しながら、電気を継続的に発生させる方法があり、そのエネルギーを別の運動エネルギーへと変え、床を動かすのだということを説明した。
「なるほど。魔法の無い世界はそんな苦労をしているのですか」
「苦労と言っても俺がした訳ではないけどね。まぁ、おかげで便利だと思うよ。魔法が無くても」
俺の言葉にレニエは首を傾げる。
「そうでしょうか? あなたの説明をお聞きすると、階段を動かすために電気が必要で、その電気を作るために、また別のエネルギーが必要で、そのエネルギーを作るために、さらに別のエネルギーが必要。という形で、ただひたすらエネルギーを消費しているだけの非効率的な世界な気がしますが」
レニエはパチリと指を鳴らすと階段は動きを止めた。
「魔法にはそのようなエネルギーは必要ありません。マナさえあれば、この階段は動いたり止まったりするのです」
「あー、なるほどねー」
俺はしげしげと今は止まっている階段を見つめた。
「魔法だったら、石炭とか石油とか原子力とかいらないもんなぁ。環境破壊とか原子力汚染とか気にしなくていいし。うん? コレってもしかして、むっちゃSDGsなエネルギーなんじゃ!」
そこまで考えて頭を振る。
現実世界でそんなことを言い始めたら、頭がおかしい人だと思われてしまう。
そこではたと気づいた。
「俺、元の世界に帰れるよな?」
「え!?」
レニエが驚いたように振り返る。
しばしの沈黙の後、彼はパチリと指を鳴らした。
ゴゴゴゴと階段がまた動き始める。
その階段の音が鳴り響く中、レニエは一言も口を開かなかった。