納得の現実と趣味
(90)
「その望み叶えましょう!」
そう、人間は言った。
それが何を意味するのか、ちゃんと分かっているのだろうか…。
シメノはそっとため息をつき、自信有り気に笑う咲を見た。
「そう。それじゃあ、よろしくね。」
シメノは少しだけ笑ってみせた。
この雁字搦めの世界から抜け出す為に、よろしくね。
「若!そのような…」
「さぁ皆のモノ、いざ参ろう!」
ヨギノの言葉はもはやアカキノには届いていなかった。
くるりと向きを変え、颯爽と歩み出した彼の視線は、ただ前方にのみ注がれている。
「ベニ殿!若は…ああ、若は…!」
悲痛な叫びを上げるヨギノは、無意識に見切りを付けているのかもしれない。
アカキノを無理にでも引き止めようと思えば出来たはずだ。
しかし、結局はベニに助けを求める。
アカキノもヨギノも、本質はよく似ている。
天狗族が存続の危機に瀕しているのも、駒の1つとして利用されようとしているのも、残念ながら納得の事実だ。
ここでベニが助言すれば、少しは改善されるのかもしれない。
しかし、その後はどうなる?
また困ったら誰かに頼るのか?
もはや彼らに残された道は…痛みを伴うものでしかない。
「見れば分かることさね。…お前さん等の選んだ道さ。」
ベニは努めて冷静に言い放った。
瞬く間にヨギノの顔は歪み、ベニの良心はチクリと痛んだ。
なんて人間らしい表情をするのだろう。
咲はシメノの笑みを見てそう思った。
それはヤチノも同じだったらしく、長らく口を閉ざしていた彼はポツリと呟いた。
「まるで人間の娘のようだな。」
その呟きは思いのほか響き、カヤノとシメノ両者にもしっかりと伝わった。
露骨に顔をしかめるカヤノと、ほんのり頬を染めるシメノ。
両者の反応は相反するものとなった。
「えっと…私はまず何を?」
咲は慎重に口を開いた。
彼女にとって千載一遇のチャンスかもしれないのだ。
下手な事を言って、相手の機嫌を損ねるわけにはいかない。
シメノは軽く宙を見上げたかと思うと、不意にカヤノへと視線を転じた。
まるで今思い出したかのような反応である。
「カヤノ、そういうことだから。私は…死んだとでも思っておいて。」
じゃあ、と本当に軽い足取りで咲の元へと歩き出したシメノだったが、カヤノが黙っているはずがない。
「おい、待てよ。そんなことで、俺が納得するわけないだろう!」
当然のごとく激高したカヤノは、シメノに厳しく当たる。
「…君の納得がいるの?」
対するシメノは冷ややかな反応である。
カヤノは一瞬ぐっと言葉に詰まったが、再びシメノに向き合った。
「当り前だろ。いいか?お前と俺はペアで仕事を任されてんの。
つまり一心同体なわけ。その片割れが納得してねぇーって言ってんだ。
お前には説明義務があるんだよ。」
咲はこの時、少々カヤノを見直した。
よもや彼の口から説明義務なる言葉が出てくるとは…彼を見くびっていたらしい。
ヤチノの口からも『ほーう。』と漏れていた所をみると、彼もまた見直した1体らしい。
「…確かに、あんたが言うのも一理あるね。
説明義務、ねぇ…どこで覚えてきたのか知らないけど、偉そうに。
この際だから言うけど、あんたのそういうとこ、本当に大っ嫌い!
私が何をどこでしようと勝手でしょう?
それを、いつもいつも…一心同体?勝手にくっついて来てんのはあんただから。
私が望んだことは一度もなかった!」
とうとうシメノの限界を迎えたらしい。
薄らと涙を浮かべた瞳で睨みつけ、今まで我慢してきたであろう言葉の数々をぶつける。
始めは呆気に取られていたカヤノも、その内言い返し、激しい罵り合いに発展した。
「あーヤチノさん…これは一体どうしたら?」
激しい口喧嘩を繰り広げるカヤノとシメノを見ながら、咲は苦笑交じりに尋ねた。
「待つしかあるまい。…昔から、この2体は喧嘩ばかりであった。
早く兄らしくなって、弟に胸を張れるぐらいになるべきなのだがな。」
ヤチノもまた苦い顔をして答えたが、咲は看過できない単語に目が点となった。
「え、待ってくださいヤチノさん。彼らは兄弟なんですか?!」
「?ああ、カヤノが兄でシメノが弟だ。」
「う、そでしょ…だって、あんなにも可憐な…。」
「シメノの言う趣味、なのだろう。」
「うっそぉーーん。」