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田舎暮らし、はじめてみました  作者: 秋野さくら
9/127

親子ほど年の離れた恋人

(9)

決まった。

心の中でガッツポーズを決めるゆり子。最近、彼女は推理小説にはまっていた。

ポカーンとした顔で一時停止していた清水は、キメ顔をするゆり子も可愛いと、場違いに見惚れていた。


コンコン、失礼いたします。

清水の到着から数分後、ボーイが現れた。

彼は予約室に足を踏み入れてから、この場に流れる変な空気に眉をひそめた。

ボーイを初めて早3年目を迎える彼の信条は、機械のようであれ、であった。これは店長からの受け売りで、口癖でもあったものだ。読んで字の如し、ボーイに感情はいらない。余計な詮索などもってのほかである。瞬時に表情を戻した彼は、床にしゃがみ、2人の注文を聞くため見本通りの笑顔を浮かべた。


ボーイの登場で我に返った清水は、とりあえず注文をしてしまおうと、目の前に座るトンデモ彼女に声をかけた。

「さぁ、ゆり子。なんでも好きなものを頼みなさい。遠慮はいらないよ。」

朗らかな笑顔を浮かべる清水とは対照的に、折角の見せ場を潰されたゆり子はボーイをキッと睨みつけ、鼻息荒くメニュー表に目を通した。


「かしこまりました。今しばらくお待ちくださいませ。」

ボーイの姿が見えなくなると、待ってましたとばかりに身を乗り出したゆり子は、その大きな瞳で清水を見つめた。その瞳を見つめ返しながら、清水の顔に浮かぶのは全てを包み込むような微笑みだった。今回もまた、何やら影響されたらしいゆり子から繰り出される言葉の数々が、どう清水の人生に彩を加えてくれるのだろうか。彼は楽しみで仕方がないのだ。


遡る事3年前。

清水は、見えない綿でずっと締め付けられているような、そんな苦しみの中にいた。

24歳で結婚した妻との関係は良くも悪くも昔から変化がなく、常に凪いだ航海をしているかのようだった。始めこそ、平凡だが穏やかで温かい家庭に満足していた清水も、月日の流れと共に、妻は自分に興味がないだけなのではないか、そんな考えを持つようになっていった。

会社での出来事を話しても、近所付き合いの愚痴をこぼしても、芸能人のスキャンダルを茶化しても…妻から返ってくる反応はどれも同じ。ただ微笑む、それだけだった。

“ある日俺が突然死んでも、きっと妻は悲しみもせず、ただ微笑むだけなのだろう。”

いつしか清水の頭にはそんなことが浮かぶようになり、それと時を同じくして、何かと理由をつけては帰宅時間を遅らせるようになっていた。

幸か不幸か、部長職に就いて間もなかったこともあり、探せばいくらでも仕事は湧いてきた。毎日のように深夜帰宅を繰り返しては、妻の反応を伺って肩を落とす。そんな日々を繰り返していては、身体が付いてくるはずもなかった。案の定、通勤途中で意識を失った。


目が覚めた清水の目は、瞬きを繰り返しながら天井の白さを写した。鼻腔は独特な香りを拾い、病室であることを告げる。腕から伝わる違和感が点滴のチューブを知らせ、遅ればせながら現状に思い至った。

「俺、倒れたのか…。」

少し開けられた窓から吹き込む風がカーテンを小さく揺らし、清水の呟きに肯定の意を表す。


コンコン。ノック音が個室に響いた。

横開きの扉が控えめにスライドし、顔を覗かせたのは、部下の立花ゆり子だった。

「部長、お加減はいかがですか?」

小ぶりなブーケを携えた彼女に、清水は弱弱しい微笑を浮かべながら訪問を喜んだが、妻の姿が見えないことに少し不安をのぞかせた。その様子を察したらしいゆり子は、慌てたように口を開いた。

「部長!奥様からお電話を頂きまして、どうも急ぎの用があって来られそうにないとのことでした。あの、きっと、タイミング悪く何かが重なってしまったのだと思います。そうですよ!決して、部長を蔑ろにしたなんてこと…あ!違います!そんな可能性はないですと、言いたかっただけで…あの、すみません…。」

関係のないゆり子に気を遣わせた上に、謝らせてしまった。

清水は無理に上体を起こし、ゆり子に頭を下げ、来訪を労った。


ゆり子は入院期間中、足繫く通い、献身的な世話を焼いてくれた。後から聞いたところによると、このまま一人にしたら自殺しかねないと思ったらしい。あながち間違っていない心理状態だったので、清水は苦笑いしか返せなかった。妻も何度か来てはくれたが、決して長居せず、何かと理由をつけては帰っていった。

医師から命じられた絶対安静期間を終え、清水は退院した足で離婚届を取りに行った。妻は、やはり微笑みを浮かべながら承諾し、30年に及ぶ結婚生活に終止符を打った。

それからというもの、久しぶりに戻った1人暮らしに四苦八苦する清水に、何かと世話を焼くゆり子という構図が出来上がり、気が付いたら親子ほど年の離れた恋人になっていた。


あれから3年か…、目の前で清水を見つめるゆり子の瞳には、少し白髪の増えた自分が写っている。

「あき?」

清水章宏だから、あき。ゆり子がたまに言ってくれるこの呼び名が清水の老いた胸を高鳴らせる。

「ああ、すまない。えっと、浅野君の不倫疑惑は俺が仕組んだこと、そういう話だったね。」

ゆり子の目がキラリと光り、上体をぐっと清水に近づけた。

「残念だが、ゆり子。君の推理は間違っていると言わざるを得ない。そもそも、浅野君をはめて俺になんのメリットがあるのかな?」

清水の回答にゆり子は宙を睨んで考え、パッと顔を明るくして答えた。

「それは私達の関係をカモフラージュ出来るからですわ。私達も…不倫ですし…。」

途端に顔を曇らせたゆり子に、清水は何度目か、もはや定かではない言葉をもう一度、丁寧に告げた。

「いいかい、ゆり子。よくよく聞くんだ。君と私は不倫ではない。以前、君が言ったね?初めの一歩を君が歩み出した時に、私が妻帯者であったから、この関係は不倫であると。それは違うよ。私が君に思いを打ち明けた時、離婚が成立していたのは君も記憶しているはずだ。つまり双方の気持ちが通じ合った時を考えてほしいのだよ。わかったかい?」

うっすらと涙を浮かべたゆり子の瞳をしっかりと見つめながら、出来ればこの説明が最後であることを祈りながら、清水はゆり子にしっかりと言ったのだった。


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