敢えて泳がす
(78)
「ちっ。」
険しい顔で睨み上げていたベニだったが、しばらくすると諦めたように首を振った。
「あんのくそったれがっ!」
腹立たし気に爪を立てたベニは、地面に深い溝を作った。
「あれー!?ベニー???」
突然、なんとも素っ頓狂な声が響き渡り、その声は間延びしながらベニの耳へと届いた。
「なんでここにいるのー??」
大きなカラスの背からひょっこり顔を出した咲は、心底驚いたという顔をした。
「…それはこっちの台詞さね。それより、お前さん無事だったようだね。」
「そうなのー!ベニは?大丈夫??
あ、ヤチノさん降ります。頭をこう…違う!それじゃあ、私が落ち…ああああ!!」
ベニの問いかけに答えつつ、咲はヤチノから降りようとして…落下した。
顔からいった。
「~~~~!!!」
声にならない叫び声を上げ、のたうち回る咲。
ヤチノはおろおろと反復移動を繰り返し、ただ砂を巻き上げるだけだ。
その砂がまた咲の目を直撃する。
「目がぁ!目がぁ!!」
「おお落ち着け!」
「お前さんがね~。」
先程までの緊迫した空気から一転、なんとも賑やかな空気が流れる。
「…なんだか馬鹿らしくなるねぇ~。」
ドタバタ劇を繰り広げる2人を眺め、そう呟いたベニは空へと目をやった。
重く垂れこめた雲は端に追いやられ、さんさんと輝く太陽が眩しかった。
「では私はこれで。」
「えー!もうちょっとだけ居てくださいよ。」
ドタバタ劇も落ち着き、用の済んだヤチノは早々に立ち去ろうとしていた。
どうやら、咲をここまで運ぶことがヤチノの仕事だったらしい。
「…なぜだ?」
キョトンとした顔で聞くヤチノは、情緒がない。
「なぜって…えー、聞いちゃいます?」
ヘラヘラと笑う咲は、余程ヤチノが気に入ったとみえる。
そんな内容のない会話さえ嬉しそうだった。
まるで付き合いたてのカップルのようである。
「…あーその、カラスの。もう少し羽を休めておゆきよ。
長く飛んできたんだろ?」
苦い顔をしたベニが助け舟を出す。
いや、ベニが見るに堪えなかっただけだろう。
「そう!そうですよー!ヤチノさん、ゆっくりして行ってください。」
ぱっと顔を輝かせた咲はヤチノの翼に抱き着き、ヤチノは釈然としない顔をしつつも、それを咎めることはなかった。
「おや~?」
ベニの知るカラス族は誇り高き戦士である。
その為、体に触られることを特に嫌ったはずだ。
「なんだい、面白いことになってるんじゃないか。」
ニヤニヤするベニだったが、今後の展開のため、敢えて触れずに泳がすこととした。
見渡す限りの砂、山、空。
そして…照り付ける太陽。
日陰はおろか、椅子さえない広大な大地にいる彼ら。
「どっか…移動しない?」
物珍しさが勝ったのは最初の5分だけ。
咲はフリース生地の裾を捲りながら、うんざりした顔を向ける。
「いいんじゃないかい?」
呑気に寝そべるベニは、大きな欠伸をしつつ適当な返事を寄越した。
「行きたい所があるのか?」
ヤチノは律儀に返答したが、咲の顔には“そうじゃない”と書かれていた。
「具体的に行きたい場所はない、けど…。ここじゃない何処かに行きたいんです!
だって暑いし!!つーか、暑くないの?毛皮族たちよ!」
ただでさえ暑い中、咲は大声を出したことで自分の体力を削った。
「おやめよ~。うるさい小娘は嫌われるよー?
ねぇ、お前さんもそう思うだろう?」
完全にリラックスモードに入ったベニは、ニンマリと笑った。
「?そこまでの声量は感じられなかったが…私はまだ許容範囲内だ。」
相変わらずトンチンカンな返答をするヤチノを見やり、次いで咲を見やるベニは心底楽しそうである。
「…?なに、どういうことなの?」
ベニの意味ありげな視線の意図がつかめず、咲は首をひねる。
「まだまだ、これからさね~。お楽しみは先に取っておこうかね。
さぁてと、カラスの。お前さん、住処は近いのかい?」