安請け合いモノと裏切りモノ
(75)
気が付くとそこは銀世界であった。
「…ゆ、き?」
「雪ではないかの~。」
咲の独り言に答えたのは、1体の天狗であった。
「おおこれは!!ベニザクラ殿!ようこそようこそ、おいで下さいました。」
「ありがとうございまする!」
「ああ、これで我らの悲願がやっと…!」
「皆の者、ベニザクラ様ではなくベニ様とお呼びするように。」
クロノメに促されたベニは、何の変哲もない岩場を潜り抜けた。
そのはずが…カラスの城にワープしていたのであった。
「…なるほどねぇー。お前さん、よもやあたしを騙したわけじゃあるまいね?」
さっと周囲に視線を巡らせたベニは、鼻に皺を寄せた。
ベニが潜った岩場は、特殊な術が施された場所だったようだ。
土地に力が宿っているわけである。
「滅相もございません!この命に誓って、嘘偽りを申しておりませぬ。」
「…フン。」
あたしも落ちぶれたもんだ。
ひと昔前の彼女なら、降り立った瞬間に察しがついていただろう。
「…少し、浸かり過ぎたかねぇ。」
咲やイブキと過ごした温かくも穏やかな日々を脳裏に浮かべ、そう独りごちた。
「は、何かおしゃいましたか。」
「いや、なんでもないさ。
さて…その話とやらを聞かせてもらおうかね。」
「して…いかがであるか?」
「まぁの~、お前さんが言うておった、肩は少し腫れておった。
だが、そこまで深刻になるほどでもあるまい。」
「左様か。…すまない、助かった。」
ふっと目を覚ました咲はぼんやりとした意識の中、少し離れた所で交わされる会話を聞いていた。
あれ…私、何してたんだっけ…?
頭の中に散らばるピースを1つ、また1つと拾いながら記憶を遡る。
確か…居間が異国…ベニの尻尾…カラスが…吐きそう…
カラス…カラス?
ああカラス!!
「ヤチノさん!!!!!」
咲の声は、深い洞窟の中を反響していく。
「どうした!」
少し離れた所にいたヤチノは、咲の叫びに慌てふためき、すっ飛んできた。
「ああヤチノさん!わ、私…あの生きて、生きています!」
「そうだな!」
咲は興奮気味に命を確認し、ヤチノは脊髄反射で同意した。
傍から見ると、何してんだ?状態である。
「これこれ。落ち着かぬか、おぬしら。」
尚も言葉にならない興奮を伝え続ける咲と、少しでも理解しようとするヤチノの奇妙なやり取りは、優しい声によって遮られた。
そこでやっと、ヤチノ以外の存在に意識が向いた咲は、はてと首を傾げる。
「…だれ?」
キョトン顔の咲は、えらく小柄な1体の天狗に尋ねた。
「ふぉっふぉっふぉ~。わしは、こわ~い天狗であるぞぉ~。」
両手を高く振りかざし、わざと低い声を出した天狗だが、顔が柔和なせいで迫力に欠ける。
まるで孫とたわむれるおじいちゃんである。
「おじい…!」
思わず口走った咲は、はっと口を押えた。
天狗は驚いたように目を丸くした後、ニッコリと微笑んだ。
「なんだ、聞いておったのか。いかにも、わしがオジイノである。」
さあさ、こちらに。さぁ!
次から次へと湧いて出るカラス達は一様に浮足立ち、期待に満ちた瞳を向ける。
ベニは今更ながら面倒なことになったと後悔し始めた。
「ベニ様…こちらです。」
クロノメが指し示した扉は、一見重厚な作りの特別室といった感じであった。
しかし、醸し出されるおぞましい気配に、ベニの毛は一気に逆立った。
「…なぁーんで安請け合いなんかしちまったんだか。」
ベニの口からは軽口が出たが、彼女の顔に笑みは見受けられなかった。
ニコニコと微笑む好々爺は、咲の反応を待っているように思えた。
咲はぱっとヤチノに視線を投げ、ぱっと逸らされた。
この裏切者!
内心毒づいた咲だが、頭はフル回転していた。
どうする?!
今更、実はおじいちゃんって言おうとしたんです…なんて言えない。
つうか紛らわしいにも程がある!
なんだオジイノって!
いや、待てよ。そういえば…
この時、咲の頭には天啓とも言える言葉が舞い降りた。
そうあれは、薄れゆく意識の中で聞いたヤチノの言葉。
“腕利きの医者”
これだ!!!
「えーっと、オジイノさん。お会いしたかったです!
貴方ほどの腕利きの医者に処置して頂けたなんて光栄です。」
咲は社会人生活で身に付けた、ザ無難な笑みを貼り付けた。
これでどうだ!!
内心の冷汗を気取られぬよう、微笑みつつオジイノを伺う。
彼は意表を突かれたような驚いた顔をしたが、徐々に顔を綻ばせていく。
「ふぉっふぉ。すまんな、わしはモグリじゃわい。」
その瞬間、鋭い視線がヤチノに突き刺さった。
ヤチノは心のノートにこう追記した。
“人間は怒ると怖い”




