もう二度と離さないで
(73)
耳をつんざく轟音。
身体を引きちぎられそうな程の強風。
只今、上空ナウ☆
「っち!あんのバカ娘が!!」
時は少し遡り、咲がテイクオフされた直後のことである。
ベニは咲の危機に反応こそ出来たものの、あと一歩叶わなかった。
気づけば咲は遥か上空に連れ去られ、哀れな悲鳴だけが長く響いていた。
慌てて駆け出そうとしたベニだったが、背後に気配を感じ飛び退いた。
「おや、申し訳ありません。驚かせるつもりは、これっぽっちも。
当方、クロノメと申します。お初にお目に掛かります、ベニザクラ様。」
そう声を掛けてきたのは、ベニよりも一回り小柄なカラス。
ベニは途端に眉をひそめ、警戒の色を一層濃くした。
「…お前さん、どこでその名を。」
牙を剥き出し、上体を低く構えたベニは唸り声と共に尋ねた。
「ホホホホ。ご有名であらせられます故。」
口元に翼を添え、上品に笑って見せたクロノメだったが、瞬時にまとう空気を変えた。
「ご挨拶はこの辺りにして…ベニザクラ様、しばしご足労願いまする。」
「あのー!!!!どこまでー!!行くんですかーーー!!!!」
咲は自分を掴んでいるカラスに向かって叫んだ。
最初こそ悲鳴を上げていた咲だが、しばらくすると人間慣れるものだ。
そのうちいくつかの疑問が浮かんできた。
どこまで行くのか。
自分を掴んでいるカラスは何者なのか。
ベニは無事だろうか。
やはり待ち受ける運命は餌なのか。
等々…。
もちろん恐怖は依然として咲の中に居座ったままだ。
「あーーのーーー!!しーつもーー」
「うるさい!静かにせぬか。」
何度も叫ぶ咲に、さすがのカラスも苛立ったらしい。
肩を掴む力が増し、咲は再び叫んだ。
「いだだだだぁぁぁーーーーー!!ゆる、緩めて!折れます、折れますてーーー!!」
先程よりも騒々しくなった咲の様子に、カラスは力を緩めざるを得なかったようだ。
「ああああ、もうーーー勘弁してくださいよーーー!!
つうか、誰ですか!!私、どこまで連れていかれるんですか!!
なーのーれー!!身代金ですかーーー???家には愛車しかありませんよー!!しかもローンがまだ残っていますからねーーー!!!」
カラスが強く掴んだことによって、恐怖心よりも憤りが勝った。
尚も、立て板に水状態でつらつら叫び続ける咲。
わざとカラスを煽っているかのようだった。
「黙らぬか!!」
カラスも頭に血が昇っているらしく、再び力を込めようとした。
しかし、それよりも早く咲は叫んだ。
「いいのか!?ええ??また叫んじゃうぞ!!
お前が嫌がる大声、だしちゃうぞ!!いいのか??やってみろよ!!」
完全にヤカラと化した咲は、両手を打ち鳴らし囃し立てる。
更にわざと身体をくねらせ、カラスの飛行を妨害するという暴挙に出た。
その結果、カラスは蛇行し、一瞬咲の身体は解き放たれた。
あ、これアカンやつ。
一瞬の浮遊感のあと、がしっと力強くカラスは掴み直した。
「ああああーーー!!!もう二度と離さないでーーーー!!!」
咲の涙の訴えは、カラスのため息と共に飲み込まれた。
クロノメの少し後をついて行くベニは、抜け目なく相手の動向を伺っていた。
そんなベニの口元には、薄らと自虐の笑みが広がる。
“ベニザクラ”
ベニの本名にして、忌まわしき名前。
とうの昔に捨て去ったはずの名前を、時を経て再び聞くことになるとは…。
「年は取りたくないね~。」
そうポツリと呟かれた言葉は、時折吹き荒れる風に攫われた。
「ベニザクラ様、もうす…」
「ちょいとお前さん。そのベニザクラって言うのは、よしとくれ。
今のあたしはベニで通してんだ。」
「…失礼いたしました。ベニ様。
もうすぐ到着いたします。…先程の件、何卒宜しくお願い申し上げます。」
クロノメは丁寧に頭を下げ、切羽詰まった様子を滲ませた。
ベニはフンと鼻を鳴らしただけで、特段返答を寄越すことはなかった。