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田舎暮らし、はじめてみました  作者: 秋野さくら
6/127

女には気を付けるんだよ、いいね

(6)

憎々し気に咲を睨み上げた飯田は、ゆっくりと立ち上げり、髪を後ろに撫でつけた。どうやら気持ちが不安定な時の癖のようだ。咲は瞬き一つせずに飯田の動向を監視し、彼の発言を待った。


忌々しい小娘が。さっさと言う通りにすれば良いものを。生意気にも程がある。

どうする…考えるんだ。

とりあえず、あの紙に何が書かれているのか、そこだ。

なに、心配するな。課長職の僕と、たかが平社員の小娘だ。潜り抜けてきた修羅場の数が違う。


飯田は意識的にゆっくりとした動作で椅子に腰を下ろした。そして、咲を見上げ、余裕の笑みを浮かべて見せる。咲は露骨に嫌な顔をした後、同じく近くの椅子に腰を下ろした。

「いやぁー、すまなかったね。ついつい、気持ちが高ぶってしまったようだ。…おっと失礼。」

飯田の胸ポケットでスマホが振動した。これは事前に飯田自身がセットしておいたアラームだった。

時刻は14時30分。

飯田とて、一応課長である。そうそう長いこと抜け出せる立場にはない。

時刻を確認した飯田の頭の中では、パラパラとスケジュール帳がめくられ、難しい顔で残りの猶予を試算する。

咲は、飯田が宙を睨みながら何事か思案する様子を眺め、腕時計に視線を落とした。いつの間にか大分時間が経っていたようだ。

「飯田課長、時間も時間ですし、早く話して頂けませんか?私にも仕事があるので。」

もはや笑顔を向けるのも面倒で、投げやりに飯田に問いかけると、瞬時に飯田の目が怒りに染まる。

「君ね、仮にも上司である僕にそのような態度が許されると思うのかね?前から思っていたが、もう少し女性らしさというものを学んだ方がいい。そう!君の上司の…」

どうして人間は年を重ねると、お節介という言葉を忘れてしまうのだろうか。クドクドと並べ立てられる言葉に、泣いて喜ぶとでも思っているのだろうか。

「今、その話は関係ありませんよね?あ、もしかして話をすり替えようとしてます?」

尚もクドクドと言い続けようとする飯田に腹が立ち、少々挑発的な言葉遣いをした。案の定、唾を飛ばさんばかりに怒り狂った飯田に、咲の口からはため息が漏れる。

ふと、がなり立てる怒声との間でノック音がした。咲の視線が扉に飛び、釣られて飯田の視線が向いた時、第二の訪問者が現れた。


立花ゆり子は、悩まし気な表情で席についた。

ひじ掛けに片肘を立て、その小さな顔を支えると、無防備に晒された美脚を組んだ。今しがた部長から聞かされた部下の不祥事をどう対処するべきか。彼女の綺麗な眉間に皺が寄る。ふと机に置いたスマホが振動した。アラーム機能が作動したようだ。ゆり子は華奢な指先でスマホを操作すると、席を立った。


半ば身体を隠すようにして顔を覗かせた訪問者は、花だった。心配そうな表情を浮かべた花は、咲の姿を視界に捉えるとホッとしたように緩み、続いて飯田に視線を向けると、嫌悪感をにじませた。

「お話し中、申し訳ありません。業務連絡で浅野を呼びに参りました。よろしいでしょうか?」

指名された咲は、花の登場に驚いた顔で立ち上がった。

「ああ、構わないよ。浅野君、話の続きはまた後で行うとしよう。いいね?」

あくまで自分が上であるというスタンスを崩さずに飯田が言い放つ。

「はい、わかりました。次回こそは、お話しを聞かせてくださいね。」

そう言う咲の手にはレイの紙が握られ、手を振るかのように揺れていた。


ゆり子の綺麗な指先がトントンとホコリの積もった窓枠を叩く。15時。いつもなら10分前には必ず待機しているはずの相手が来ない。

時折、息を吹き返したように自販機が重低音を響かせ、錆びれたベンチが現役時代を懐かしむように音を鳴らす。本社移転に伴い、使われなくなったこの建物が、ゆり子と相手の密会場所だった。

ジジジー…電灯の寿命が近いことを知らせる音と点滅。ゆり子の視線が電灯に向けられ、恥ずかしそうに点滅を繰り返す。まだ来ない。


無言で手を引かれ、ずんずんと廊下を進む。花は私を何処に連れていくつもりなのだろうか。

飯田を会議室に残し、2人で廊下に出た途端、花は私の腕をつかみ強引に歩き出した。何度も花に声をかけるが、全て無視されている。怒っているのだろうか?

ようやく花の足が止まったのは、普段滅多に使われない倉庫前だった。ぱっと手を離され、振り向いた花は、怒っているような泣き出しそうな複雑な表情をしていた。

「なんで…なんで、相談してくれなかったの?」

気を抜けば泣き出してしまいそうで、歯を食いしばって言葉を紡ぐ花。

「ごめん…。」

気が付くと言葉が口をついた。何に対して謝っているのだろうとか、泣き出しそうな花の顔なんて初めて見たとか、頭の中は色々なことが浮かんでいたのに。

「私は咲の味方だからね。何があっても味方だから!」

花に強く抱きしめられ、肩に温かい雫を感じた。

「これから沢山の困難が待ち受けているだろうけど、大丈夫。咲なら、乗り越えていけるよ!幸せになってね…飯田課長と!」

…うん?花は今、なんと言った?飯田課長と?なんでやねん!!

思わず初めて使う関西弁でツッコミ、花の誤解を解くのに大変な労力がいった。

“女には気を付けるんだよ、いいね”

花の誤解を解きながら脳裏に浮かんだのは、いつぞやの老婆の言葉。そして、これから長く続く戦いの始まりを知らせるゴングでもあった。


静寂を破る一組の足音。脇目も振らず、ただ前を向いてがむしゃらに足を動かす。荒い息遣いが彼の焦りを表し、気持ちとは裏腹に休息を訴える身体。もう少し、あと少し。

息も絶え絶えに辿り着いた彼を待っていたのは、虚しく点滅する電灯と彼女の残り香だけ。遅かった、間に合わなかった。落胆のため息と共に、彼は髪を後ろに撫でつけた。


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