は?
(59)
時刻は10時。
カーテン越しでも眩しい陽光に目を細め、咲は再び枕に顔をうずめた。
頭が痛い、完全に二日酔いである。
昨夜、勤務を終えるや否や、松永を振り切り逃げるようにして帰宅した。
溜まりに溜まったストレスは、車の運転にも如実に表れ、危うく正面衝突するところだった。
家に到着すると今度は、また来ていたらしい聡子の置き土産である。
“いつになったら会えますか?”
野菜が覗くビニール袋に貼られた、書き殴られた文字。
限界だった。
咲は唸り声を上げて袋を投げつけた。
その拍子に野菜が飛び散り、玄関を汚したが知ったことではない。
勢いよく引き戸を開け放ち、飛んできたイブキとベニには目もくれず、自室へと逃げ込んだ。
「あったま痛いー…。」
思いのほかザラついた声が出て、情けなくて笑った。
「当り前です。あんなに飲むから!…水、飲める?」
小さく開けられた襖からイブキが顔を出した。
「ありがとう、ごめんイブキ。」
「謝るのはベニの方が先かな~。…覚えてる?」
含み笑いをしたイブキが顔を引っ込め、ペットボトルを手に戻って来た。
「まったく覚えてなーい…そんなに酷かった?」
頭を庇いながら上体を起こし、咲はペットボトルに口を付けた。
「そっかそっか、覚えてないかー。うーん…どうしようね?」
ふふふと尚も楽しそうなイブキの反応に、咲はどんどん不安が増していく。
「え、本当に覚えてない。どうしよう…ベニ怒ってる?」
まったく姿を現さないところを見ると、相当怒らせてしまったのかもしれない。
しかし何をしたのか、全く思い出せない。
これでは、謝ろうにも何に対して謝ったらいいのか分からない。
「うーん、まぁ昨日は相当怒ってたね。」
咲の反応を楽しんでいるイブキはわざと原因を言わず、ニヤニヤしている。
これは…一刻も早く、正直に謝った方がいい気がする。
そう判断した咲は、極力頭を刺激しないようにベッドから立ち上がった。
「あ、ダメだよ咲ちゃん。寝てないと。」
少し焦った様子でイブキが止めた。
その手をやんわりと退け、咲は真剣な顔で部屋を出た。
「咲ちゃん…。瞼が腫れすぎてちょっと怖かったな…。」
ベニの部屋、という特定の場所はない。
彼女は自由気ままに、その時の気分で居場所を変える為だ。
とは言っても、彼女なりのこだわりを踏まえると、候補は3か所しかない。
咲がまず向かったのは長い縁側だった。
ずらりと並ぶガラス戸からは眩しい程の陽光が降り注ぎ、幅広の渡り廊下を照らし出す。
お気に入りの昼寝スポットである。
いつもなら、大体ここに横たわっているはずが…今日は違ったらしい。
咲は少し肩をすくめ、次なる候補へと向かった。
傾斜が急な階段を登り、まだ手付かずのまま放置している部屋に眉を寄せ、向かったのは最奥の部屋。
ここはその昔、祖母が秘密基地と呼んでいた部屋だ。
「ベニさーん?」
家の構造上、ほとんど日の差し込まないこの場所は、ある種独特の雰囲気を醸し出している。
時の経過とともに湾曲した床板は、歩く度にミシミシと軋み、まるで侵入者を知らせる警笛のようだ。
「おおーい…ベニさーん?いるんでしょう?」
ここ最近立ち寄っていなかった咲は、どうやら耐性が無くなっていたらしい。
普通に怖い。
「返事…してくれると嬉しい…なぁー。」
まだ昼前だというのに薄暗く、舞い上がったホコリがぼんやりとした雰囲気を演出する。
“これだけ声を掛けたのに返事がないのは、きっとここも違うからだ。”
ヒタヒタと這い上がってくる恐怖心が、ここから立ち去る言い訳を探す。
“きっとそうだ。もう一度、もう一度だけ声を掛けて、返事がなければ次に行こう。”
そう自分を納得させ、咲は祈るように胸の前で指先を絡め、口を開いた。
「べ、ベニさ…」
ガタン
部屋の中から物音がした。
咲は息をのみ、全意識を扉の向こう側にむける。
ガタンドン
再び起きた物音。それも何かが落下したような音だ。
「ベニ…!」
恐怖に固まっていた咲は、はっと我に返り扉に駆け寄った。
あの物音はベニが倒れた音だ。
ベニの身に何か異変が起きたんだ。
「ベニ!待ってて、今行く!」
咲は素早い動きで扉に手を掛け、勢いよく開け放った。
その瞬間、爽やかな風が咲の頬を撫でた。
そして、猿と目があった。




