覚悟
(41)
花はすっと息を吸い込み、ちらりと飯田を見た。
相変わらず、想定外の事柄に弱い彼は明らかに動揺している。
ほんと、ダメな人。
花は小さく笑った後、覚悟を決めた。
自分の為に、そして何より…彼の為に。
「私は、飯田課長と不適切な関係になった覚えはございません。」
しんと静まり返った室内に響いた花の言葉は、皆の耳に平等に届いた。
「浅野さんの証言は完全なる濡れ衣です。
私と浅野さんは同期入社ですので、公私ともに仲良くしておりました。
今から考えると、それが良くなかったのかもしれません。
実は以前より、飯田課長に対する思いを打ち明けられておりました。
…飯田専務、申し訳ございません。
しかし、ただ心で思っている間は見逃してあげて欲しかったのです。
そのうち静かに身を引くだろうと、報われない気持ちを何かしらの形で昇華してくれるだろうと、そう思っていたのです。
それが…あろうことか、このような形で皆様にご迷惑をお掛けするだなんて…!
この場をお借りして、彼女にきちんと伝えたいと思います。
咲、もうやめなよ。
人として恥ずかしい事をしているんだよ?
変な意地張っていないで、罪を認めて。」
悲し気に、でもどこか機械的にそう語りかける花は、もはや咲の知る花ではなかった。
コイツは誰だ。
咲の頭は衝撃のあまり真っ白になった。
「…よくわかりました。
坂下さん、貴方は友として浅野さんをよく支えたと思います。
よく頑張りましたね。」
貴子は穏やかで優しい表情を浮かべた。
花は静かに頭を下げた。
「浅野さん、貴方はとても罪深いことをしたわ。
どうして…こんなにも心を砕いてくれる友達を悲しませるような事をしたの。
…いえ、いいわ。何も言わないで。
心から反省なさい。
処分は追って知らせます。出ていきなさい。」
パタンと、咲の背後で扉が閉まった。
まだ頭の整理が追いついていない咲は、ぼんやりと壁を見つめていた。
「私…どうなるの?」
じわじわと何かが心を侵食し、重たくなっていく。
「ねぇ、私どうなるの…?」
誰か教えて。
私の何がいけなかったのか。
どうして花はあんな…
咲の心は深い深い水底へと、降下していく。
そこは光のない暗闇…かと思われたが、ふわりと持ち上げる者がいた。
「しっかりしな!」
「咲ちゃん!」
ああ、そうだった。
私は1人じゃなかった。
「あんたね!なに動揺してんだい!」
「まぁまぁ。咲ちゃん…ハンカチ使って?」
咲の不甲斐なさにプリプリと怒るベニと、フォローに回るイブキ。
「え…私、泣いているの?」
自分の頬を触った咲が驚きの声を上げた。
そして気づいた途端、顔をクシャクシャにして泣き始めた。
「ごめんなさい…。ありがとう。」
咲にピッタリと身体を寄せていた2人は、心配そうな顔で覗き込んだ。
「大丈夫。…なんか、すっきりした。」
そう明るく言う咲に、幾分ホッとした様子の2人がゆっくりと離れた。
「よ~し!うん、やっぱりもう一度花と話してくる。」
ベニとイブキは何も言わなかった。
ただ、しっかりと頷いた。
スマホを持つ手が少し震えている。
もしかしたら、今日は生涯忘れることのない一日となるかもしれない。
右手に振動を感じ、画面を見る。
相手からの了承を告げるメッセージだ。
約束の時間まであと数時間。
ふと見上げた時計がぼやけて見えたのは気のせいだろうか。
もう後戻りは出来ない。
ただ…今だけ、どうかどうか。
「許して、咲…。」