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田舎暮らし、はじめてみました  作者: 秋野さくら
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青天の霹靂

(4)

老婆との不思議な再会からしばらく経ったある日、事件が起きた。

事の始まりは、会社に届いた一通の茶封筒。宛名も差出人の記名もない変わった茶封筒は、直接会社のポストに投函されたようだった。第一発見者は事務担当の木原皐月。彼女は元来生真面目な性格をしており、封筒を見つけた時も慌てず騒がず、上司に報告するはずだった。ところがこの日、彼女の頭は彼氏のことで一杯だったのだ。そのためつい、意識が散漫となり普段では考えられないようなミスをしたのだった。そう、持っていた茶封筒を上司ではなく、私の机に置くというミスを。


同棲して早3年、いつになったらプロポーズしてくれるのだろうか。

最近の悩みの筆頭となった結婚という二文字が皐月の脳内をまわる。付き合ってから同棲が早かった私達は、親を含めスピード結婚しそうだねと、よく言われたものだった。実際私もそう思っていたから、暇さえあればゼクシィを眺め、どんな結婚式にしようか、子供は何人かなと妄想しては幸せを噛みしめていた。それが3カ月、半年、1年と過ぎていく中で、キラキラ輝いていたはずの夢が徐々にほころびを見せた。どうしてプロポーズしてくれないのか。時には泣きながら、時には優しく、彼の考えを知ろうと尋ねても濁されるだけで、この足踏み地獄に光がさす気配はない。

とうとう禁じ手を使うべきだろうか、皐月は今朝届いた友達の結婚報告はがきを恨めし気に見つめた。「結婚しないなら別れよう。」付き合いが長くなったカップルが自分たちの関係性をはっきりさせるために突き付ける銃には、常に指がかけられている。はぁ…何度目かの重いため息が漏れた。


「ランチは最近できたイタリアンの店にしよう。」

そう言い出した同期の梓に誘われ、咲は会社から徒歩5分程の店に向かった。新しいものにはとりあえず飛びつく人間達が作る列にもれなく仲間入りを果たし、メニュー表を見てはああでもないこうでもないと騒いだ。順々に前へ前へと進みながら、ふとスマホが振動していることに気が付いた。着信があったらしい。スマホの画面を操作すると、着信相手は同期の花だったことがわかった。何かあったのかな?この時の私は呑気にそんなことを考えていた。

折り返しかけ直そうとした時、丁度前に並んでいたグループが列を抜けた。きっと休憩時間の兼ね合いだろう、しかしそのおかげで私達はなんとか休憩時間内に食べることが出来そうだ。

店内に足を踏み入れると、おしゃれな内装が出迎える。さりげなく配置された絵画やドライフラワーが白い壁を飾り、大小様々な窓からは暖かい日差しが降り注いでいて、どこか牧歌的な雰囲気を感じさせた。賑やかに会話する女性たちの横を通り過ぎ、案内された席は中庭に面していて、黄色の小ぶりな花が風に揺れていた。

席に着くと、事前に通っていた注文の品がすぐに出てきた。私はマルゲリータピザ、梓はカルボナーラを選び、それぞれの前に出来立ての料理が並んだ。立ちのぼる香りが既に美味しいことを約束している。とはいえ、まずは一口、口に含んだ。黙って咀嚼した後、お互いの顔を見合わせ、頷く。無駄な言葉はいらない、この店は当たりだ。

休憩時間終了10分前に店を後にし、梓とこの店に通うことを約束した。「この店は繁盛するね。」としたり顔の梓と別れ、私は自分のフロアーへと急ぎ足で向かう。社員証をかざし、オフィスに入った所で異変に気が付いた。もうあと数分で休憩が終わろうとしているのに、一か所に人だかりが出来ていたのだ。

人だかりが出来ていたのは私のデスク辺りらしい。何事だろうか、自分のデスクに向かいながら人だかりに近寄っていくと、私に気が付いた人から道を開ける。皆それぞれ、驚いたような顔、好奇心を覗かせた顔、冷静さを取り繕った顔をしている。とうとう自分のデスクの前に辿り着くと、部長が難しい顔をして一通の茶封筒を手にしていた。なんの変哲もない、A4サイズの茶封筒には何も書かれておらず、少し厚みがあるようだった。


「少しいいかね。」

苦虫を嚙み潰したよう表情で部長が言った。その頭上で、場違いなほど軽やかなチャイムが鳴り響き、野次馬をしていた人達はつまらそうな、どこかホッとしたような顔でそれぞれのデスクへと引き上げていった。

会議室Bと書かれたプレートを横にスライドさせ、使用中に変えた部長が扉を開けると、ロの字型に組まれた長机と、各辺に2脚ずつ椅子が置かれていた。昼下がりにも関わらず薄暗い室内は薄らっとホコリ臭い。

部長が電気のパネルを操作し、パッと室内に無機質な明りがついた。適当に座ってと指示され、手前の椅子に腰かける。遅れて隣の椅子に腰を下ろした部長は、机の上に茶封筒を置くと、しばらく上空を睨み上げていた。

「何か言っておきたいことはあるかね?」

暫くの沈黙の後、そう切り出した部長は眉間に深い皺を刻みながら私の顔を見た。そのあまりにも真剣な視線に、思わず目線が下がり、太ももの上で結ばれた指が目に入った。あ、ネイルが剥げてる。

「すまない、本当はこんな詰問するような真似はしたくないのだが…。こんなものが会社に届いてしまったからには、聞かないわけにもいかないのだよ。」

私がネイルに意識を向けている間に、なにやら謝られた。そして聞こえる、深いため息。すっと伏せていた顔を上げ、疲れが色濃くにじむ部長の顔を見つめた。

「部長、すみません。先程から何をおっしゃっているのか、全く分からないのですが。」

嘘偽りのない本心を言ったのだが、部長の顔に広がったのは憐みの表情だった。

「ああ、わかっているよ。気持ちの整理が必要だよね。事情があるのだろうが、まずは説明をしてくれないかね。場合によっては上に話を通しておく必要があるからね。」

さぁどうぞと、黙って話を促す部長。いや、だからー!説明もなにも、何が起きていて、何故私は部長と別室に来ているのか、最初から最後まで分かっていないんですけど…。困り果てた私の肩に手を置き、わかっているよと力強く頷く部長に、曖昧な笑みを浮かべるしかない。ふと、机の上に置かれている茶封筒が視界に入った。今更ながらこれが何か関係しているのでは?という考えが浮かんだ私は、部長に断りを入れて封筒を手に取った。


封筒には特に糊付けされた形跡はなく、やはり裏表どちらとも白紙だった。持った感じは意外と重たく、封筒の大きさに比べて中身は小さいようだった。封筒を傾け、机の上に中身を滑らせると、バラバラと複数枚もの写真が飛び出した。封筒を机に置き、飛び出した写真を手に取りペラペラとめくっていくと、どれも同じ人物を写したもののようだ。しかし遠目からの撮影であることと、画質があまり良くなかったことから、誰が被写体なのかまでは分からなかった。

一通り流し見た後、部長の顔を見た。深刻な表情を浮かべ、私の発言を固唾をのんで待ち受けている様子だ。私は瞬きを繰り返し、首をかしげる。

「えっと…見ましたけど、誰が写っているのかは分かりませんね。」

思ったことを口にしたのだが、返ってきたのは失望した顔だった。

「君ね…、言い逃れしたい気持ちはわかるけど、見苦しいよ。この封筒が君の机の上にあったことがもう答えだろう?写真に写っているのは飯田君と君だ。これはれっきとした不倫の証拠だよ。」

青天の霹靂とはまさにこのことか。不倫?この私が?冗談じゃない。そしてよりにもよって相手が飯田課長…罰ゲームか。

「部長、お言葉ですが。そもそも不倫の証拠だというこの写真は、不鮮明なものが多いようです。何をもって飯田課長や私だと判断したのでしょう?」

苦し紛れの言い逃れをまだ続けるのか、そんなことが顔に書いてある。始めの憐れみを浮かべた表情はどこかに消え、憮然とした態度の部長が口を開いた。

「同封してあった紙は見たかね?そこに君達の行動が詳細に記されているだろう。」

慌ててもう一度封筒を掴んだ。確かに、封筒に張り付くようにして1枚の半紙が顔を出した。ワープロ打ちされた内容にざっと目を通すと、何ひとつ見覚えのない様子が時系列順に記されていた。ある時は公園で、ある時は某有名ランドで…私の知らない私が飯田課長と逢瀬を重ねていた。

「違います、私じゃありません!こんなものいくらでも創作できるじゃないですか!」

私の必死な訴えは虚しく会議室に響いた。

「部長!信じてください!私は不倫なんてしておりません!」

口を一文字に結んだ部長は、もう十分だ、そう告げると席を立った。

「詳細は追って言い渡す。その間、出社するのかは自由にしたまえ。」

縋るような視線を向ける私を言外に切り捨て、部長は会議室を後にした。


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