Mr.ポンコツとMs.クラッシャー
(37)
「…いかがなものでしょうか!」
肩を怒らせ、うっすらと上気した顔で言い放った咲の言葉は、正確に2人の耳へと伝えられ、会議室Bを死の静寂へと誘った。
飯田貴子は、中途半端に腕を組みかけた状態で固まった。
立花ゆり子は、髪を掻きあげようとして固まった。
浅野咲は、2人の様子に困惑して固まった。
イブキとベニは腹を抱えて笑った後、空気を読んで姿を消した。
永遠とも思える数秒が経ち、ゆっくりと立ち上がった貴子を見た咲は青ざめた。
鬼がいる。
「…なんですって?あんた、もう一度言っ…」
コンコンガチャ☆
Mr.ポンコツ飯田悟が現れた。
飯田悟は、部屋に入った瞬間に何故か冷汗が出た。
きっと本能的に危険を察知したのだろう。
「コーヒーをお持ちし…」
扉の正面に立つ貴子の姿を捉え、飯田は口を開いたが、途中で異変に気が付いた。
いつもならシャンと立つ貴子が俯きがちに頭を垂れ、長い黒髪の隙間から覗く彼女の瞳は猛禽類のそれを彷彿とさせた。
「し、失礼しました!」
「待ちなさい。」
決して大きな声ではないのに、飯田の足をピタリと止めさせる貴子の声。
長年に渡る調教の成果だろうか。
「今来たところじゃない。こちらに来なさい。…早く!」
途端すっ飛んでいった飯田は、震える手でコーヒーカップを置いた。
「ありがとう。」
にこりともしない貴子は、ゆっくりと椅子に腰かけ足を組んだ。
飯田はその横で所在無げに立ち尽くし、ふと周りを見回して驚いた。
どうやら、今初めて他に人がいたことに気が付いたようだ。
そして咲の姿を見るや否や、思わず叫んでいた。
「君!こんなところにいたのかね!」
咲は目を丸めて驚いた。
まさか…この状況で、貴子の許可なく発言出来る人間がいるとは。
つくづく実感した、彼はポンコツである。
「誰の許可を得て発言しているのかしら?」
案の定、猛禽類の目を向けられた飯田はあえなく戦意を喪失した。
「さて、皆さん。一度話を整理いたしましょうか。」
コーヒーを一口飲んだ貴子は全体を見渡し、そう発言した。
勿論、発言権を持っているのは貴子のみで、他の人間はただ彼女の言葉を聞かされるだけである。
「まず初めに、はっきりさせておかなくてはならない事があります。
そこの貴方、名前はなんだったかしら?」
「…浅野さ…」
「そう、浅野さん。」
絶対わざとであろう子供のような嫌がらせをする貴子に、食って掛かる気などおきず、咲は大人しく黙った。
「貴方は確か、私にこう言ったわよね?会社を私物化するのはいかがなものか、と。」
質問というよりは詰問だった。
驚愕の表情を浮かべる飯田を一瞥し、咲は真っ直ぐに貴子を見つめた。
「はい、確かに申し上げました。しかしそれは…」
「聞かれたことだけ答えたらいいの。いいわね?」
「…はい。」
完全なる貴子の独壇場である。
この頃にはさすがの咲も、どうやら貴子は相当上の立場らしいことが分かっていた。
それと同時に、とんでもないことをしてしまったらしいことも。
とは言え時すでに遅し。
今はただ、女王の腹の虫が治まるのを待つしかない。
咲は貴子にバレないようにそっとため息をついた。
その時、視界の端でゆり子が動いた。
「飯田専務、宜しいでしょうか?」
すっと貴子の元へと歩み寄ったゆり子は、発言の許可を申し出た。
「いいわ。」
初動の印象が良かったからか、ゆり子に対する態度は柔らかい。
「ありがとうございます。まずは部下の非礼を謝らせてください。
大変申し訳ございません。
私の監督不行き届きが原因で、飯田専務のご気分を害してしまいました。」
再び深々と頭を下げたゆり子と、間髪入れずに追随した咲。
今回は、咲もしっかりと状況を把握していた為動けた。
内心安堵のため息をついていると、明らかに機嫌の良くなった貴子の声が聞こえた。
「そうね。貴方はしっかりしているようだし、今回は大目に見ましょう。
でも次回はないわ。部下の躾はしっかりと行うよう厳命します。」
満足げな貴子にそう言われ、ゆり子は聖母のような微笑みを浮かべた。
「はい、畏まりました。つきましては、部下の躾の一環と致しまして、浅野咲と飯田課長の不倫疑惑に関して報告申し上げます。」




