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田舎暮らし、はじめてみました  作者: 秋野さくら
35/127

それぞれの…(後編)

(35)


「…さあ、とっとと認めなさい。」

誇らしげにも見える上司の顔。

…今はただ殺意がわくだけだ。


咲はもはや諦めの境地にいた。

今まで苦汁を舐めてきた全被害者のため。

そして何より、自分の社会人生命を守るため、咲は禁句を口にしたのだ。

“頭おかしいですよ”

この一言が、咲を、全被害者を救う一撃となるはずだったのだ…。

ところが奴には何のダメージも見受けられない。

むしろ戦闘モードに振り切った印象さえ抱く。

どうして…いや、どうしたら…。

立花ゆり子の暴走は止められるのだろうか。



清水は、頬杖をつきながらぼんやりと前方を眺めていた。

彼の視界には慌ただしく行き交う社員の姿はおろか、承認待ちの紙を片手に怒り狂う事務員も映っていない。


遡る事数分前。

ゆり子とお揃いで買ったマグカップにヒビが入っていることに気が付いた。

知らぬ間にぶつけてしまったのだろうか。

特に気に入っていたわけでもないが、それなりにショックではあった。

落胆のため息をついた清水の視界の端で、次なる異変が起きた。

写真立てに亀裂が入ったのだ。

しかも何の暗示か、ゆり子の笑顔に重なるようにして入った亀裂。

マグカップ、写真立て…。

偶然だろうか。本当に…?



廊下を颯爽と歩く飯田貴子の顔には、普段見られない笑顔が浮かんでいた。

「久しぶりに会えた。…元気そうで良かった。」

飯田貴子はプライドが高い。

それは彼女の育った環境や教育方針などが影響しており、彼女の責任ではないのだが、如何せん弊害も多い。

その筆頭が夫への対応であった。


もっと仲良くしたい。

もっと対等な関係でいたい。

…本当は一緒に暮らしたい。


現在、飯田悟が優雅な一人暮らしをしているのには理由があった。

貴子の次期代表としての教育が始まった事、悟の課長就任が決まった事など、外的要因が重なったのは事実だが、一番の決め手は飯田悟の意志だった。

“貴子とずっと一緒にいるのは辛い。俺を開放してくれ。”

いつ思い出しても貴子の胸をえぐる言葉。

きっと、関係を改善する最後のチャンスだったのだろう。

でも貴子には出来なかった。

売り言葉に買い言葉で…別居が決まってしまった。

「大丈夫。夫婦なのだから、大丈夫。」

込み上げてきた涙は、目元に力を入れることで追いやった。

飯田貴子が人前で泣いていいはずがない。

貴子は背筋を伸ばし、目的の部屋へと向かった。



給湯室に入るや否や、飯田悟は思い切り壁を殴ろうとして、思いとどまった。

決してビビったわけではない。

「あああ!くそ!…くそくそくそくそ!!」

飯田は台の上に両腕を振り下ろした。

その拍子に端に除けてあったカンが吹っ飛び、耳障りな音を立てる。

「あいつが来るなんて聞いてねぇーよ!

なんでこの俺が、あんな奴の為に茶入れなきゃなんねぇーんだよ!」

握りしめた掌に爪が食い込み、うっすらと血がにじんだ。


飯田悟が貴子と出会ったのは、会社が主宰するパーティーでのことだ。

当時入社3年目だった飯田は、新人と2人組で受付を行っていた。

参加者の名前を確認し、チェックを入れる。

至ってシンプルな作業だったのだが、事件が起きた。

一組だけダブったのだ。

すぐさま新人に確認した所、新人のミスであることが発覚した。

よりにもよって会社の大得意先、2人共々顔面蒼白である。

間違えられた側は怒り心頭で、即刻踵を返してしまう騒ぎ。

慌てた飯田は無我夢中でタクシーに飛び乗り、単身謝りに出向いた。

何度、額を床にこすり付け謝ったか分からない。

結局根負けした先方が飯田の謝罪を受け入れ、大損害は回避できた。

その時の新人が貴子である。


その後、一躍有名人となった飯田は社長室に呼ばれ、社長直々のお礼と謝罪を受けた。

その時に貴子の身分を知らされ、気が付いたら飯田家に婿入りしていたのだから、人生何が起きるか分かったものではない。

…あれから二十数年。可愛らしかった妻は鬼になり、頼もしかった夫は下僕となった。

「久しぶりに会っても可愛くねぇーな!」

貴子好みに配合されたコーヒーを手に、ぶつくさ文句を垂れ流しながら向かうは『会議室B』。

貴子が子会社視察という名目で現れる度に使用する、暗黙の了解となった城である。



「いや、偶然のはずがない!」

清水は勢いよく立ち上がった。

ポカーンとする社員たちの視線を尻目に、清水はオフィスを飛び出す。

向かうは会議室B。

「ゆり子…無事でいてくれ…!」


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